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未来を予測するためにすること

以前の記事である「言語と時間」で「今」を生きるためには未来を予測しなくてはならないと述べた。

では未来を予測するために具体的にどうすればいいのか。そのことについて今回は思索にふけりたい。

予測とは

尚、ここでいう予測とは今、この瞬間を知覚しながら生きるためのものである。したがって予測する時間の幅はあまり広くはない。せいぜい数秒先に起こることを予測する程度だということを了承いただきたい。

①統計

統計は強い。なぜなら人間は秩序を好むからだ。
少し話は逸れてしまうが、人は無秩序を恐れる。
例えばセミ。ある日私が自転車を漕いでいた時の事。優雅なチャリンコ生活を過ごしていた夏の朝。突如木からセミがおぞましい鳴き声を上げて顔にめがけて飛来してきた。そのときの私の狼狽えようと言ったらたいへんみっともないものであった。その日から私はセミに対して警戒心を払うようになった。なぜか。動きが読めないからである。
しかし人間は違う。街を歩いていたら、通りすがりの人が突然襲ってくる、あるいは歩いたかと思えば全力で走り、かとおもえば歩いて……など予測不能な行動をする人間などよほどの気違いでない限りはあり得ないだろう。
こうしたことから、人間は実に秩序を好む生き物であることが解りしたがって統計は威を振るうのである。しかしながら統計のデメリットとしては結果を出すのに時間がかかるということ。30秒先のことを予測するのにいちいち計算などしていられない。

②弁証法

弁証法と言うとすかさず我々の頭に思い浮かぶのはかの哲学者フリードリヒ・ヘーゲルであろう。
ここで弁証法を説明するのは少し面倒なので省かせてもらうが、田坂広志さんが弁証法を用いた未来予想について話していたのでここで紹介とさせていただく。(つまり説明放棄)

②-1 常に選択肢を3つ持つ

私が未来を予測するためにしていることは上の弁証法を用いた思考である。例えば自分が行動する時、相手の言葉を予想する際に弁証法を用いた選択し3つを考える。「今日は早く帰る」「いや、今日は帰らない」「あと30分経ったら帰る」という風にテーゼ、アンチテーゼ、ジンテーゼを考えるようにする。とはいってもこれを習慣化するのは至難の業である。したがって私は今でも修業を重ねている。

③ 雰囲気でなんとなく予測

突然いい加減になったと思われるかもしれないが、これは日本語を使用している者に限るのならば少なくとも十分妥当な主張だと考えられる。
なぜなら日本語は基本的に最後に動詞が来る。一般的に考えれば動詞とは「結局何がしたいのか」を表す非常に重要な個所であり、これが最後に来るとなると会話がしづらいような気もしてくる。
しかしながら、そんなことはない。
我々はこの日本語を用いて十分すぎるほどに意思の疎通をすることができる。また日本人はあまり身振り手振りを使って話さない。つまり多くの情報を相手の発声から読み取っている。日本語の構造。これが日本人の雰囲気を読み取る力を醸成しているとするなら、この雰囲気を読む力を利用しない手はない。

最後に

私も③に関しては相手が逆説「~ですが」「~ですけれども」を言う際は予測ができるようになり、またそこから話の内容、言いたいことを雰囲気でつかめるようにはなってきた。それをするとたいていの話は聞くほどでもなく要点をまとめてほしいと考えるようにもなってきた。


今という瞬間を知覚するには今を考えてはいけない。だったら未来を予測し、その状態で進行していくことが今を生きるということなのではないかと私は常々考えている。そうすることでより次元の高い話をすることができるとも考えている。

日々是修行………


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