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言語と時間

主張


 言語では今この瞬間をあらわすことはできない。言語が表せるのは未来と過去だけである。例えば例文などでよく見る「今、彼はテニスをしています」と言ったとする。現在進行形だ。ここで考えてほしいのは「テニスをする」とは持続性を持つものであるということだ。ラケットでボールを打ち返し、走り回るこの一連の流れを全体的に捉えたうえで人はそれを「テニスをしている」というのである。したがって現在進行形は事象を線としてとらえたものであり、点(瞬間)を表しているわけではない。

知覚できるのは今なのか

 ではもっと踏み込んで考えよう。はたして人間は「今、この瞬間」を知覚することは可能なのか。イマヌエル・カントの考えを借りるのならば答えは否である。彼はモノをまず感性により受け取って悟性で解釈し認識するとした。要は時間がかかる。
 もっと踏み込む。熱いものをさわったときにおこる「反射反応」。これも脳を介さないとはいえ反応するまでにはコンマ数秒の時間がかかるため瞬間ではない。
 要は我々が知覚できるのは過去の事物だけなのだ。今現在などというものは真には存在しない。あるのは記憶によって形作られた過去と不確かな未来だけである。

今この瞬間を知覚したい人はどうすればよいか

 予測だ。未来を予測するのだ。知覚できるのが過去の事物だというのならば先回りして未来のことを予測してやればよい。ただしそれは不確定である。不確定なものを確定まで持ってくるには予測の数で対抗するしかない。幾千ものパターンを予測しておいてその中のどれかが当たった際に今という瞬間を体感できるというわけだ。そうして今を手に入れた者だけが、未来永劫語り継がれる存在になり得るのであろう。


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