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のびパパ軽井沢日記:#12 川端康成「別荘」は「ブループラーク」を拒否していた
今日(9月7日)昼ごろ、車を運転していたら「FM軽井沢」が「軽井沢町、川端康成別荘の保存を断念」というニュースを伝えていた。
帰宅して検索してみると、全国紙「朝日新聞」もこのニュースを報じていた(2021年9月7日10:30『川端康成が「みづうみ」執筆の軽井沢の別荘取り壊しへ 町が保存断念』https://www.asahi.com/articles/ASP967332P96UOOB005.h
のびパパ軽井沢日記:#6バックで駐車は余所者?
〈住んでいる環境が性格・行動に大きな影響を与えている〉
と、大上段に構えたが、これは高校時代に『風土』(和辻哲郎、1935年)を読んだときの衝撃を言語化したものだ。
感情の起伏が激しく、独りよがり、だが、真剣に生きる目的を模索していた青年のびパパは『風土』を読んで、大学で人文地理学を勉強しようと思い立ったのだった(弊著『超エネルギー地政学』「エネルギーフォーラム社」2018年刊、の「はじめに
のびパパ軽井沢日記:#5ヨーロッパの「運河」に似た御影用水は・・・
(写真は「レジーナリゾート軽井沢御影用水」のものです)
初めてタイを訪れたのは1975年12月、会社派遣の修業生として香港大学で北京語の勉強を始めた年のことだった。
たまたまオリエンタルホテルのプール周辺で開催されていた泰国三井物産のクリスマスパーティに参加させてもらった。チャオプラヤ川を渡る風が救いだったが、汗をかきながらのクリスマスは初体験だった。
その後、再訪のチャンスはなく、3
のびパパ軽井沢日記:#4軽井沢のクマさん
散歩コースに「熊さん家」と書いた標識がある曲がり角がある。車の通るアスファルト道路から、雑草が道の真ん中に生えている砂利道に入るところである。
砂利道に入って上っていくと左手にブルーベリー畑があるので、僕たちは「ブルーベリー畑の小道」と呼んでいる。
砂利道に入ってすぐそばに「熊川」(仮名)という標識が、奥まったところの住宅へ連なる私道の外にたっている。「熊川」さんが、友人知人が訪ねてきたときに
のびパパ軽井沢日記:#3谷間の白百合、今は・・・
軽井沢生活を始めて8年目、知らずしらずのうちに自然に目が向くようになっている。
子どものころから観念の世界に遊ぶことに長けていた僕は、小動物や鳥、虫などはもちろん、庭に鎮座している樹木も道端に咲く草花も、おおよそ関心の対象になることはなかった。
たとえば、家を飛び出して外に行っても遊び友達がいないと、戻って将棋盤と将棋の駒を使い、架空の水泳大会を実況中継して遊んでいた。
「第一のコース、古橋
のびパパ軽井沢日記:#2生まれ変わったら、もう一度
旅の醍醐味は「日常」からの離脱だろう。
大昔のことだが、仲人をお願いした高校時代の恩師から「Eがどうしているか、知っているか?」と聞かれたことがある。一浪して東大に入学したものの、インド旅行にでかけたまま音沙汰がないのだそうだ。
あの時代、『何でも見てやろう』の著者・小田実のように海外貧乏旅行に出かける若者が多かった。旅の途中で、たとえばインドで現地の雰囲気に染まり、働くことに「無意味」さを
のびパパ軽井沢日記:#1教えたくないけど、知ってほしい「軽井沢観光スポット」
ほぼ同じ時期に軽井沢生活を始めた櫻井泰斗・ユウコ夫妻の各種発信は、非常に興味深く拝見させていただいている。最近、ご夫婦は推奨する「軽井沢観光スポット」を初級編から中級編、上級編、そして超上級編として配信し終えたばかりだ。
2014年夏から過ごし始め、すでに8年目を迎えている僕たちは、観光客とはいえず、移住者でもないが、一年の半分ほどを毎年軽井沢で過ごしているので、ある種の生活者といえるだろう