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愛ってなんだ

あい
【愛】
そのものの価値を認め、強く引きつけられる気持。
かわいがり、いつくしむ心。「子にそそぐ―」。いつくしみ恵むこと。
 「神の―」。いたわりの心。
 「人類―」
大事なものとして慕う心。
 「母への―」。特に、男女間の慕い寄る心。恋。

いろんな形の愛があるけど、そのものの価値を認め強く引き付けられる気持ちと定義するなら、パートナーへの気持ちは紛れもない愛です。

かわいがり、いつくしみ、大事なものとして慕う心。バッチリ。

恋愛感情をもって彼女を見て、彼女にもそういう気持ちを向けてもらえていると感じる安心感は、今まで綱渡りのジェットコースターのような恋愛とはまた違い、ああこれが安心できるってことなんだなと30歳にしてようやく認識しました。
家族愛にあまり恵まれなかったため、家の中は安心できる空間ではなく毎日父親が母親に怒鳴り、その愚痴を母親に聞かされ、なんとか仲裁を試みては父親に怒鳴られるという幼少期を過ごし、思春期を迎えるころには当然のように精神を病み、毎日元気に死ぬ方法を模索していました。ギリギリまで家に帰らない日もあれば、部屋の隅で息をひそめて居ない振りをして過ごす日々。18歳ごろにバイトでこっそり貯めた50万を握りしめ勝手に上京して、漸く開放された気持ちでいましたが、それ以降も「家族」の呪縛からは逃れられず今も若干両親とはあまり上手く付き合うことができません。

それでも、ふとした瞬間に、両親にも私をかわいがり、いつくしむ瞬間はあったんだろうかと考えて、自分の覚えている記憶との齟齬に不安定になる日もありますが、そんな日も彼女がそばにいてくれると安心できます。

あ~、愛だな~ってぼんやり思います。

友達に関しても、彼、彼女らの幸せを心から祈る気持ちも愛なのかな。
結婚していたり、結婚したり、付き合ったり、別れたり、人生色々あるけど、ごはん食べて美味しいって思えたら良いね、安心して過ごせたら良いね、うまくいくと良いね、と願ってます。

以前ちょっと呟いたんですが
人の幸せにケチつけてる人は他から見ても不幸な人だと思う
という言葉って本当だなと思うし、マウントしてくる人も、自分が幸せなはずなのに満たされないから他に承認を求めてマウントとってくるんだろうなと思うと可哀そうなので、すごいね!って言ってあげようと思います。

これも一種の愛なのか?

愛も、幸せも、他に承認してもらうものではなく、自分でじんわり自覚して大切にするものですね。

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