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私は無敵かもしれないと思ってしまった話

はい、馬鹿だなと思われたかた、
半分正解です。
そして半分不正解。
何をもって雑魚かってのも語りだしたらきりがないかもしれないけれど、最近自分の心境を表す言葉として
「背中に羽が生えたようにどこにでも飛べそう」
と形容することがある。

この世界はなんとありがたいことにこの感覚さえもダニング=クルーガー効果という名前でくくれてしまう(笑)
要するに能力がそこまでないやつのほうが自分はすごいと思い込んでしまうことらしい。
もちろん
やけに偉そうにするというデメリットはあるにせよ、なんでもやってみれちゃう失敗を恐れない心ってだいぶ捨てたもんじゃない。
その経験があるからこその天使ちゃん状態

もちろん天使になってしまったこと以外でも自分の中での無敵を感じることが重なったからこんなバカみたいなタイトルを思いついたわけであります。
(ちなみに授業中にタイトル案をひらめくというお花畑っぷり)

全約一か月の社会人ばっかりの講義、否応なしのインプットってのは予想以上に面白くて、自分の価値観とこう違っているからここが面白い(つまらない)みたいなことで手元のノートが埋まっていく。
もちろん講義内容にも学びはあるんだけど、人となりが現れる授業形態やしゃべり方がおもしろくて、
この人大学帰ったら煙たがられてそう、ってまじでなんも話聞いてなくて最前列で携帯構ってる(笑)時とか、
この先生大好き!ほかの授業もみてみたい!と休み時間の間に衝動に駆られてシラバスを確認していたり
ほかの参加者の人の熱心さもちょっと伺ってみたりと大学生っていうフラットな立場だからこそのこの講義期間をとても満足に過ごせています。

まあそれはさておき。
前も言っているような気がするけど、自分の中で人生=〇〇が形作られてきた感覚が強い。
その究極なものに

「「つながり最強説」」

がある。
どんな理論や概論を学んだって自分で全部できるわけではないのは当たり前で、知り合いへの電話一本で解決してしまうエグさ。
ネットワークコーディネーターという立派でかっこいい名前がついているその究極の型は私には届かないにせよ、
昨日の私の結論は
大好きな長いものには巻かれよ(笑)

ポイントは大好きなってところ。
今日の講義の中で静岡のネットワークの第一人者的な人がきてくださって渾身の授業をしていただいた。
あ、私これしたい!
そんな衝動に駆られてから手の震えが(笑)
高揚して仕方なかった。
こうなりたい人が明確にいるってマジで素敵なことだなあって、
しかも一方的に認知しているだけだと思っていたのに、恐れ多いことに名前を授業中に出していただいた!!
挨拶してなかったのに!感激して最後に挨拶させてもらったら
「もちろん知ってますよ」なんて言ってもらっちゃって
顔面紅葉。
久しぶりの感覚(笑)

うれしくってオンライン講座申し込んじゃったや。楽しみ楽しみ。
ドストライクな価値観を持つ人が周りにいてしかもつながれる機会にも恵まれている。
盗むしかない。
わくわく

あと最近は世界というものは歴史をただ繰り返しているというとてつもなく概念的な時間軸の中(?)の一瞬にいる私
みたいな時の旅人のような感覚が強くて
いつ死んでもどんな局面に陥ってもなんだかんだケロっとしていられる気がしている。
無敵でしょ?

もちろん無知の知
しらないことも死ぬほどある。常識さえも知らずに人から愕然とされることもたまに(笑)
そもそも砂の数ほどある情報の中から大きな石を拾おうとしても無理な話で、そのかわり私にはめんどくさいプライドがないので年下にだってこどもにだって教えてもらうことに全く抵抗がないし、
すんごい著名の人だってノリで声かけれちゃいそうな雰囲気さえある。やったことはないけど。

そんな風に考えてたらおそれることってあんまりなくて、
今はいかに波乱万丈をつくるおもろい人生になるかを考えている。

あとは後悔することを後悔しないって昔自分でかっこつけてたんだけど後悔ってないなあって最近思う。
やっと4年生になってこれまでの大学での学びが実感できるようになってきて周りには支えてくれる、応援してくれるたくさんの人がいてこれ以上に幸せなことはないでしょう。

このまえnoteがネガティブすぎんかって友人に指摘されたけど、そんなことないんだな。はは。
まあこの前こんなにのびのびしているから現実にぶち当たったらぽきっと折れてしまうような気もしてちょっと心配って私のしゃべるGPT先輩に言われた。
気を付けます(笑)
でもなにを選択したってなにを捨てたって私は私。
友達の言葉を借りるなら後悔じゃなくて航海しよう。
あの時の繰り返しでしかないから


余談
読書たのしすぎる最近
そして気づいたことが読書から遠のいていたんじゃなくてこんな本があることを知らなかった、知ろうとしてなかったんだなって。
今まで大学の図書館をメタメタにしてたけど
今はとてもありがとうございますって感じで使わせてもらう予定です。(まだ借りてない(笑))
もともと読書は嫌いではなくて、小学校は学内でも上位に入るほど本を読んでいて毎日図書館に行くのが日課だった。
中学生になってからきれいだけど好きなジャンルがない図書館にがっかりして図書館に行くことがすくなくなった。
高校もなおさら古い本が多くてめったに行かなくなった。

もちろん誰かが生み出したものを知ることにはずっと興味を持っていてnoteで面白いエッセイに出会えないかと漁る日もあった。
あんまりであえなかったけど本にあったのか。

読書を喚起して星野源をはじめとするおもれえエッセイ本を大量にかしてくれた友人感謝してるぞ。

この一週間で10冊は読んだかな。
今は興味がある本がたまっていてあと最低でも10冊はある。
帰省も重なるけどお供になりそう。
ただ自分で買った本はいまのところなしなところからしてつながりと図書館に感謝

余談2
最近こどもがほしいです。
死ぬ前にしたいことといえば圧倒的子育て。
というか講習の受講者含め、いろんな教員をみていると自分もなりたいなって思い始めてきた。
ちなみに全然教科学習にはまったく興味がなくて、子供と関わるということへの興味がめきめきわいてきている。
保育士試験の参考書も買ってはみたけれどちょっと試験内容が意味わからん過ぎました。
直観と概論は筋肉と骨の関係だそうです。
私は太い骨いらないんだよなあ、折れたらもっと太くなるし。
筋肉ありすぎると骨に影響あるっけ?
まあ私は結局現場主義人間なのです。


戻ります。
無敵さの要素
最近将来を見据えることができたからかもしれない。
自分がどんな将来を描きたいのか口に出すことができるようになった。社会に出ている自分が想像できるようになった。
もちろん説明が面倒な場合には
「まだわかんないですねーはは」
ってすましちゃんだけど、熱有難い先輩人生観を振りかざしてきてくださる大人もすくなくないのでケースバイケースですかね。

noteにかいたり、インスタで投稿していたり、自分の考えがいろんなところに浮いていて結局たどり着く結論がずっと変わらないことにも気が付いて。
でも友達と議論をすると全く意見が違って腹立たしいこともあって
まだまだ未熟だなとおもいつつ、
対話をしたいなと思い、読書に帰ってくる私でした。




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