FXで400万円を1億円にして感じた事
結論から言えば口座資金が1億円に到達した瞬間は特に何も感じませんでした。普段通りの1日の終わり。
そこに至るまでに感じてきた眠れない夜の息苦しさ、損切り続きのストレス、小さな勝利の喜び、そしてトレードの持つ本質的な面白さと比べたら、何事もなかったと言って差し支えないと思います。
「あぁ、1億いった。」
本当にそれだけの感想です。
それでも1億は1億。
数字上の一区切りです。
そこに到達した際には、その瞬間の気持ちを書き残しておこう、という事は以前から決めていました。
少々時間は経ってしまいましたが、その決め事を守ろうと思います。
自分自身との約束を守る事は、トレーダーが勝ち続けるための絶対条件だと信じていますので。
※お読み頂く前に※
こちらの記事にアフィリエイトや商材への誘導は一切ありません。それと共に手法などトレードで勝つための直接的なヒントも一切ありません。一人のトレーダーがいま思うことが書いてあるだけです。心穏やかにお読みください。
忘れられない日
1日のトレードを終え、ベッドに横になる。
その日は初めて1日で100万円のプラス収支を出した日でした。
天井を見上げながら、心にあったのは3つの感情。
ひとつは1日中チャートと向き合った疲労感。
もうひとつは1日をプラス収支で終えられたという僅かな安堵。
最後にお金とは仕事とは何なんだろう、という感慨でした。
日本のサラリーマンの平均的な月収は35万円だそうです。
パートの方など、もっと少額のお給料で働かれている方も多いと思います。
私自身、社会人として働いていますので、そのお金の価値、そしてそれを稼ぐ大変さはよく分かっています。
客観的な事実として100万円を1日で稼ぐという行為は、それらとは比較にならないくらい大きな経済活動でしょう。
では、トレーダーという仕事は他と比較できないほど偉大な仕事でしょうか。それを達成した私は他者と比べて人間としての価値が高いでしょうか。
その日、天井を見上げながら、私は心からそれらを否定する事ができました。この”できた”という事実が私にとって大きな意味を持っています。
「自分と他者を比べた時、人としてそれほどの差はない。」
「大金を稼ぐトレーダーも決して偉大な存在ではない。」
そう自然に思えたという事実は、
「きっと自分はお金の魔力に負けないでいられる。」
「お金をいくら持っていても自分は自分のままでいられる。」
という自信につながりました。
映画『ロード・オブ・ザ・リング』で、主人公フロドから差し出された指輪の魅力にガラドリエルが打ち勝った時のように、自分はお金で我を忘れる事はない。
ひと時の勝利と敗北に一喜一憂することなく、謙虚な心を持って自分のトレードを追求していく下地が出来たと思えた瞬間でした。
ただ、それは同時に“お金が増える事”自体には大きな喜びを感じられなくなってしまった事も意味していました。
お金と欲について
では、お金が増えた事で心躍る瞬間は一度も無かったのか?と聞かれれば、もちろんそんな事はありません。
思い返してみれば、一番嬉しかったのは口座資金が1000万円に到達した時でしょうか。
本当に嬉しかったです。
資金を2倍に出来た。
桁が1つ上がった。
長年自分がやってきた事が報われた。
そう思いました。
まだお金の増加が直接的な喜びにつながっていた時期です。
その時を頂点にお金が増えて嬉しいという感情は急激に消えていきました。
たぶん安心したのだと思います。
そもそもお金をたくさん使うタイプでもありませんでしたし、欲しいものもありませんでした。
資金を2倍にしたという事実が、今後、自分は生活に困らないだけのお金を稼ぎ続ける事ができるだろうという自信に繋がりました。
あくまで私個人のケースではありますが、トレードに勝てるようになる過程で、物欲が綺麗になくなったのは印象的でした。
元々ファッション系の仕事にも携わっていましたので、嗜好品への興味はある方だと思います。
ただ大金を出してまで欲しいかと聞かれると、それほどの情熱はなくなっていました。(実際、いまこの文章を書いている時に着ている服も、ユニクロのデニムにzozoのセールで購入した白シャツです。)
トレードという行為そのものに“お金を得る”以上の、楽しさや喜びを感じるようになったからかもしれません。
では、私がいま何をモチベーションにトレードを続けているのか。
それについて3つの項目に分けて書いていきたいと思います。
トレードはアート
正直に白状しますと、私は他のトレーダーの方々と話しがあわない事が多いです。(もちろん仲良くしていただいている方もいます!とても感謝しています。)
最大の原因はこれだと思っているのですが、私にとって「トレードはアート」なのです。
文字にするとおかしさが際立ちますね。
はっきり言って意味不明です。
そもそもアートとは何でしょうか。
深い話をし始めるとボロが出かねませんし、専門家の方に怒られる危険性も発生しますので、今回に限っては、私にとってのアートはこれです、という事を定義させてください。
私にとってのアート、それは「物事の本質が投影され、作者を含めた見る人の心が動かされる事。とりわけ“美しい”という感情を呼び起こす事。」です。
私は為替のチャートを見て美しいと思います。
本当に思うのです。
そもそも為替とは単なる値動き、言ってしまえば連続する数字の変化にすぎません。
ですが、そこには無数の参加者がいて、それぞれが個別の意図を持って価格に干渉しあっています。
為替の価格決定プロセスは集合体としての人と社会の本質その物だと思えるのです。
しかも最終的にその過程の全てがチャートという縦横2軸の平面の中であらわされている。
国籍も社会的立場も動機も違う人間が(最近ではAIまでもが加わって!)、全員で1枚のキャンバスの上に絵画を描くようにして生まれるもの、それが私にとってのチャートの姿です。
それはとても凄い事だと思うのです。
人の感情や営みが1つの平面に集約され、そこに自分自身も参加できる。
美しいリズムと規則性を持ったチャートが今も生まれ続けています。
トレードを行う時、私はこう考えています。
自分はこの作品の中にどういった形で参加しようか、と。
「トレードとはお金をかせぐための手段にすぎない。」
たぶんそれが一般的な認識だと思います。
私もそれは否定しません。
ただ「お金が儲けられればいい。」「お金を増やす事だけに価値がある。」というスタンスの発言を見ると、どうしても自分が素敵だなと思っている作品の価値を貶められているかのように感じてしまうのです。
もちろん、そういった方々も立派な“製作者”の一人ではあるので、否定しきれないのですが。。。
一方で、別にトレードという行為を神聖視はしていないです。
あらゆる行為・あらゆる仕事には、突き詰めるとそういった美しさは内包されていると思います。
例えば農家の方が野菜を栽培し、それを配送の方がレストランまで運び、シェフが素敵なひと皿へと調理する。
あらゆる仕事の持つ尊さや美しさと同じものをトレードという行為も持っていて、私にとってはトレードが一番魅力的に見えている、それだけの事でもあります。
トレードは歴史
もともと私は大学で歴史学を専攻しており、一時期は大学院に進んで研究者になろうかと計画していました。
結局そういった人生は送らなかったのですが、歴史への憧憬と歴史学の持つ面白さは確かに私の中に残り、トレードにもそれらと共通したものを見出す事が出来ました。
『歴史とは何か』はイギリスの歴史家・政治学者であるE.H.カーが著した本で、大学で歴史学を専攻した方の中には読んだ記憶のある方も多いかもしれません。
「歴史は現在と過去の対話である」とは、その中に出てくる有名な言葉ですが、チャートを見る時よくその言葉を思い出します。
チャートの見方、そしてトレードのやり方に正解はありません。
一人一人違った見え方、違った解釈をしています。
「勝っているトレーダーを完全に模倣する事は出来ない。」という言葉を私は信じています。
同じチャートを見ていても、同じ“見え方”をする事は絶対に不可能だからです。
そこに解釈の余地が生まれ、最終的にその人ならではのトレードにおける”強み”になる。
このことは歴史と歴史学者の関係性に似ていると感じます。
歴史上に絶対で客観的な事実など存在しないように、チャートの見方にも絶対はない。
現代に生きる自分自身という視点から離れて歴史を眺める事ができないように、勝てるトレーダーになるためには自分自身の視点を俯瞰して捉え、それを鍛えるしかないというのが、現時点での私の結論です。
また、それとは別にもう1点、為替トレードに歴史のような面白さを感じるポイントがあります。
これは私が株や先物ではなく為替に対して特に面白さを見出している理由でもあるのですが、それはどんな大きな資金を持っている人物・団体であってもチャートに“影響”を与える事はできても”コントロール”する事はできない。という点です。
私が歴史学をやっていて好ましく感じたものに歴史上の”偉人”に対する考え方があります。
簡単に言ってしまうと、社会や時代背景が持つ圧倒的な力に比べたら一人の偉人が個人として持つ力はそこまで大きくはないよね、という考え方です。
歴史とは一部の偉人が作るものではなく、名前を残さなかった無数の人々が作る大海であり、偉人とはその波間に浮かび上がった泡沫にすぎない。
大切なのは名前を残さなかった人々の営みをマクロ・ミクロ両面からひも解く事、それが歴史学だと思っています。(もちろん違ったとらえ方をしている方も多いと思います。正解はありません!)
為替市場はとても巨大で複雑な世界です。
特定の誰かが完全にコントロールするのではなく、大小の参加者が相互に影響を与え続ける様子は、歴史という大海と比較しても遜色ないほどの大きさと複雑性をもったものに私の目には映っています。
トレードをしていると、まるで大海の中の小さな雫の一つとして、歴史の最前線にいる気分にすらなれるのです。
トレードはゲーム
お金が増える事にそれほどモチベーションを感じない、という私が、いまでも口座の資金を増やしていこうという大きな動機になっているのは、トレードが持つゲーム性にあると思います。
実際勝っているトレーダーでゲーマーだった方が多いのは間違いないでしょう。
有名な方だとcisさんなどがいますね。
私もゲームが好きです。
どんな感じかといいますと、信長の野望で関東平野を水田で埋めつくす事に喜びを感じる子供でしたし、MMORPGをやっていた時期は色々やり過ぎて某掲示板にさらされた事もあります。
要するにがっつりゲーマーです。それも変質的な遊び方をするタイプの。
それがトレードにどう関係するのかという話しをするために、少しトレードについて具体的な話しをしましょう。
トレードが上達するために必要な要素をあえて分類するとしたら
1.メンタル
2.資金管理
3.手法
に分けられると思います。
これらのスキルを鍛えていく過程は、ゲームが上達する過程によく似ていると感じました。
単語を入れ替えればそのまま当てはめられるほどに。
全ての項目について詳細に説明すると、それこそ無限に記事が書けてしまうので、私がそう感じた事例をひとつご紹介します。
トレードにおいてAという新しい手法を考えついたとして、それをそのまま実戦で使うことはしません。
事前に検証用のソフトを使ってその優位性を調べます。
私の場合は一つの手法につき対象となる通貨ペアと時間帯で2008年~直近まで(いまだったら2021年まで)10年以上の期間について検証を行い、その手法の勝率・リスクリワード(勝ち負けの比率から導き出される1トレード当たりの期待値)・最大ドローダウンを出していきます。
実際のトレード以上にこれが骨の折れる作業なのです。
結果Aという手法に優位性があると判明しても、そこで終わりません。
ほとんどの場合、検証していくうちにAをマイナーチェンジしたA´という手法や、別パターンのBという手法を思いつくのが常です。
その場合どうするか。
全部検証します。
文字通り全てです。
そしてその過程で手法B´、手法C、手法D、…更には突拍子もない手法αなんてものも思いつきます。
一生終わりません。
この検証をしながら気づいたのは、ゲームにおけるダメージの期待値計算と同じ構造だという事です。
乱数が一定になるように大量のサンプルをとり、1秒間のダメージ期待値が一番高い行動パターンを考えます。
そしてそれを現実的に自分のスキルで実行出来るか、あらゆる組み合わせから考える工程によく似ていると感じました。
上記はあくまで一例ですが、そういったゲーム性が増せば増すほどに、結果得られる“お金”の見え方も変わってきます。
私にとってトレード口座の“お金”と、実際に生活の中で使う“お金”はまったくの別物です。
誤解を恐れずに申し上げると前者はポイント・スコアに近いです。
トレーダーとしての実力を証明するものではありますが、それ以上でもそれ以下でもありません。
極端にデフォルメして言うと、口座の資金が増える事≒クッキークリッカーのスコアが伸びる、です!(あぁ、言ってしまった…炎上したくない…)
このような言い方に不快感を抱く方も多いかもしれません。
当然です。
お金を大切にあつかっていない、と。
ただ、逆にいうとトレードで得られるお金をただの“数字”として捉えられるようになったからこそ、欲や恐怖を制御して勝てるようになったとも言えます。
でなければ数分で100万円単位の損切りなんて、まともな神経ではできないでしょう?
FXで400万円を1億円にして感じた事
記事の最初で私は
「1億円に到達した瞬間は何も感じませんでした」
「トレードの持つ本質的な面白さと比べたら、何事もなかったと言って差し支えない」
と書きました。
私にとってトレードはアートであり、歴史であり、ゲームでもある、そういった存在です。
自分の人生の要素、多くに根を張っている行為、それがトレードです。
呼吸をするようにトレードしています。
仮にトレードを禁止されたら気が狂うでしょう。
1億という数字は大きいかもしれませんが、所詮はただの数字、そして通過点です。
上には上がいます。
人と比べ始めたらキリがありません。
トレーダーの中には1億なんて誤差みたいなものだという人がゴロゴロいます。
だから私はトレードを続ける事、それ自体に重きをおきます。
トレードの世界において結果はコントロールできません。
その瞬間のベストをつくす事、そして成長し続ける事の方がよほど価値があると思います。
それがいま私が感じている事です。
たぶん何年後かにこの記事を読み返したらきっと恥ずかしくて消したくなるんでしょうね。
というか、そうなっていないとトレーダーとしての成長が止まっているという事です。
それは由々しき事態であるとここに書き残しておきます。
みなさんここまでお読みいただきありがとうございました。
気が向いたらまた別の記事もあげるかもしれません。
その際にはどうぞよろしくお願いいたします。
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