そうだ、入荘報告します。

2020年12月より人生の学び舎「荘」プロジェクトに、みなも荘民として参加するささみです

紙の入荘届を受け取った際、入荘報告をここに書こうと思い立ちました。

荘民には月一の学びのnote更新が課せられていますが、荘民になる半年前からちょうど月一くらいでnoteを楽しんで更新してきたので書くネタが増えて嬉しいです。

荘について考えていたら、数えきれなそうなくらい「そう」を織り交ぜて文を書くという遊びを同時にしていました。意味はありません。そういうもんです。

──────その昔(約1年前)、北海道函館市弁天町にある旧野口梅吉商店に住みついた大学生が数人いた。コロナ禍にも関わらず和洋折衷の町並みが残る函館市西部地区を盛り上げ、学生・社会人・ご近所さん・企業 and so on... 共感者を増やし続けている。現在は、わらじ荘・みなも荘・きらく荘と名付けた三軒の古民家に、年齢もバックグラウンドも異なる荘民たちが、寄り添って住んでいる。そしてイベントや図書館や飲食店など、感染者情報に振り回される情勢の中、その時々でできることを模索しながら地域に開き続けている。

私が越してきたのはみなも荘である。

築113年旧西浜旅館。氷点下の外気が隙間という隙間から貫くこの建物がどうやってここに生き続けたのか、その歴史を私は想像できない。

たくさんの方々の協力を得ながら、荘民総掛かりで掃除をし、床を張り、断熱をした過程を私は発信されている限りしかまだ知らない。

お試し荘民生活を始めた先週から、共同生活を送るみんなと顔を突き合わせるが、それが一番私に必要なことだったと強く感じる。

この生活は、ただ空間をシェアするだけではない

対話・実践・表現が荘民の条件だ。
「荘」プロジェクト自体は友人がわらじ荘の押し入れに棲みつき始めたあたりから知っていた(今、彼は同じくみなも荘民である)。

荘を知ったとき、自分探し族の巣窟だと思っていた。私は陰気な趣味と内省にふけるタイプの人間なので、自分との対話はもう十分だし、ここ数年さんざんフラフラしてきて、そういうのもうたくさんなんだよと思っていた。ので、ごくまれに友達に会いに行く感覚で荘に関わっていた。

そう思っていた矢先、みなも荘が誕生していた。みなも荘に込められた意味についてみなも荘長のツイッターから引用させていただく。

みなも(水面)
・水面に石を投げ込んだ時にできる波紋は、重なり合う部分もあれば、重ならずに広がり続ける部分もある
・僕たち荘民も、影響しあったり何かを共に成すこともあれば、各々の力で進んでいくこともある
・依存ではなく、同時に自立も目指す場所(関係)でありたい
・また、活動に関わってくださる方々を水面に投げ込まれる石に見立てている。(関わってくださる人が多ければ多いほど、多くの波紋が起きる)
・海のすぐそばなので、水をイメージする名前がしっくりくる
【みなも荘】という名前には、こんな意味や願いが込められています!!
@kei50011より

素敵な名前だと思った。

みなも荘の住民は割と自分の方向が決まっていて日々精進しているという表現が似合う気がする。

たとえば、あおたん。

あおたんに出会ったのは7月とかだったと思う。私はあおたんのnoteが最近すごくスキで、彼女の作品と言語化のアウトプットの記録、ぜひ見てほしい。まだ5投稿しかないからまとめてさくっと見れるチャンスだ。

見返したら彼女の初投稿がそれこそ7月だった。名前と生年月日だけの「名刺」という作品で何者でもない自分を風刺して、実績を上げると宣言し、宣言通りめっちゃやってる。彼女はすでにお金をもらって表現活動をし始めている。

荘民の発信(note, Twitter, Facebook, YouTube, Instagram)は総じて面白いので他にも検索して見てほしい。

なにが荘民の創造性を創出しているか、それは「対話」だと思う。

ひとたび団欒しようとリビングに行こうものなら、「今なんでそれやってるの」「なんでそれやろうと思ったの」「どうなっていきたいの?なんでそう思うの?」...って、壮大で素朴な「なんで?」が騒々しく飛び交う。一緒に住んでいるから逃げられない。

めんどくさい?でもこれが一番大事かな。

問われるだけじゃなくて自分からも他人に問う。相談しているわけでもない。アドバイスをするでも、嘲笑をするでもない。対話する、他と自己の間で気づく、実践する、表現する、対話する、荘ってそんな空間だ。そこから生まれているのは相互依存関係ではない。相乗効果ってやつだと思う。

そういえば自分のことを書くのを忘れていた。

私は公立はこだて未来大学に所属している。人工知能に興味があって入学したけど、すでに知能を持ってる生命なんかに興味が移ってきた。色々あってふらふらしたが、研究者になろうと今年から腰を据えると決めて、函館バスの学割フリーパスを一年ぶりに更新して早々、その当日大学が登校禁止の知らせを送信してきた。今年は、町や人やネットの停滞した雰囲気とともに自分も物理的精神的に停滞して、厚いグレーの乱層雲が晴れない気持ちで過ごしていた。(あと自粛でバイトがしばらくできなくて、去年休学して学費として貯金したお金が生活費に取られた。泣いた。)

大学に期待していたのはまさに「対話」だった。オープンスペース・オープンマインドをモットーにしていた大学がクローズドになるのは想定外でショックだった。

荘でやっている、問う問われるのプロセスは研究者同士のコミュニケーションに似ているし、未来大学が大事にしていたコミュニケーションに似ていると思う。学校に通えないなら荘に住めばいいじゃないか。弁天町は密になれない静かな町だ。

みなも荘に来てから一日中作業の手が止まらない。これは意外な変化だった。

さて、入荘届に書く内容のドラフト的入荘報告noteなのでここらで締めます。

最近の函館は、金森赤レンガ倉庫で「2020はこだてクリスマスファンタジー」が12月1日から始まりました。今年は規模縮小されステージイベントや出店等はなくなってしまったそうですが、25日まで毎日18時にクリスマスツリーイルミネーション点灯と同時に花火を打ちあげるそうです。

12月1日の18時、雪が薄く道路を覆うくらい降っていました。ちょうど「冬、雪で家がつぶれたらどうしよう」とあおたんと話していた直後だったので、まだそんな積雪量ではないのでありえないですが、急にドーンと響いた音が、雪が屋根から落ちた音に聞こえて本当に総毛立ちました。でもすぐ「花火だ!見晴らしのいい場所に行こう!近いからきれいに見える!」と気づいて、わらじ荘のリビングで素麺食べてた荘民2人と一緒に夜道を駆け出しました(走らないと寒い)。でも花火が打ちあがるのは結構時間が短いらしく、海沿いのツリーが臨める場所についた時には終わってました。寒いので、残煙を背にすぐ走って帰りました。

そう、そういう荘生活です。


「そう」を入れすぎて、途中で頭痛が痛いみたいな文を紡いでしまいましたが、頑張って冬を乗り切るので見守ってください。

あと今回写真一枚もなくてごめんなチャイ。

これからどうぞよろしくお願いします。ささみでした。

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