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文章を書くのが下手な私が吹っ切れてブログを書く理由


小説をひたすら読むことに虚しさを覚え始めた今日この頃。
乱読の価値は感じつつも、1つの作品と向き合う - いわゆる精読 を始めてみることにしました。

その前に、なぜ急にそんなモチベが湧いているのか、そもそも何故文章を書きたい欲があるのか。少し過去を思い返す中で、面白いエピソードを思い出したので書き記す。


暇な人は読んでみてほしい。あわよくば暇じゃない人も読んでほしい。

文章下手が激ムズ講義を取ってしまった話

大学生の頃、何を考えたのか『レポート・論文作成法』という講義をとってしまった。急に「意識高い」ゾーン状態に入った挙句、不合理な選択をしてしまう。大学生あるあるである。

ましてや、「レポート・論文作成法」だなんて、、
私は小学生の時「なんでかというと」を作文に多用した結果、先生、同じ塾の生徒、そして親から「N(私)は作文が苦手だね笑」と満場一致で酷評を受けたほどの作文・文章下手である。

どうやって文章を構成するかわからなかったし、早く原稿用紙を埋めたい一心で「なんでかというと」という7文字のキラーワードを愛用していた。



「レポート・論文作成法」は講義のスタイルが少々変わっていた。
ひたすら教授の話を90分聞くという点では他の講義と変わらないのだが、最後に翌週が提出期限のレポート課題が渡される。

つまり、90分しっかり講義の内容を聞いていないといけない。
しかもレポートの課題内容は講義の要約では事足らず、教授の話に一工夫、いや二工夫する必要があるのだ。これについては後述する。

そしてこの講義の教授はフィードバックが厳しく、何人もの単位を落としてきたことで有名でもあった。


あの時の自分にもう一度問いたい、「You はなんでこんな茨の道へ?」


初回の課題は今でもハッキリと覚えている。


その日の講義ではトム・クルーズ主演の『All you Need is Kill』を (鑑賞方法としては最悪だが) 飛ばし飛ばしで見せられた。

All you Need is Killのあらすじはこうだ。
謎の侵略者によって滅亡寸前に追い込まれた人類。そんな中、トム・クルーズが戦死する度に過去に戻れる能力を得て、対抗するというSFタイムループ映画である。

要所要所で教授が画面を停止させて、教授ならではの考察や疑問を生徒に向けて提示する。

未熟な学生であった私でさえ感服するくらい教授の洞察力は深く優れていて、いかに自分が日頃なーんにも考えずにポケ〜と過ごしているか痛感させられた。


そして満を辞して発表されたその日のレポート課題。
【同じような「タイムリープ」ものの映画を見て考察を述べよ】
というものだった。

文章を書くことに抵抗のある私は当然焦った。
原稿用紙が配られたと共に、小学生の頃のトラウマが蘇る。
しかも、マス目がないタイプのやつ!!!

これでは最終奥義の「なんでかというと」乱用作戦が全く通用しない。

加えて、大学生という今のステータスがさらに私を追い込んだ。曲がりなりにも名門私大に属している大学で、何百人のレポートを読み込んできた教授のことだ。添削なしで寄稿しても良いくらいの文章にも遭遇してきただろう。

私は入念に準備を重ねた。まずは作品選びからだ
「タイムリープ」ものと聞いて真っ先に思いつくであろう「ターミネータ」は当然ながら避けた。世代的にも教授がプロットを知り尽くしているだろうし、同じ講義を受けている生徒と被ったときに比較された瞬間に私の生徒としての第一印象は崩れ去る。。

『バック・トゥ・ザ・フューチャー』も危ない。
知名度もさることながら、「シリーズごとに時間軸が全て違って、工夫がされてます〜」みたいなことを書けば、いいんでしょ?と思っている輩が群がるからだ。

色々悩んだ挙句選んだ映画は『ミッション: 8ミニッツ』
多分映画好きでもそんなに見られていないB級映画だ(そんなことなかったらごめん、上の2作と比べるとって意味ね?☆)

主演はジェイク・ギレンホール。トム・ホランド演じるスパイダーマンと激闘を繰り広げた急上昇中の俳優である。(他の作品も色々あるだろうけどMCU好きだから許して欲しい)


TSUTAYAで早速DVDを借りて、鑑賞。
レポートの課題そっちのけで見入ってしまった。

細かいあらすじは割愛するとして、タイムリープ×ミステリとしては天下一品だし、俗にいう「発掘されていないB級映画」とはこのことかと思った。

その熱い思いをレポートに落とし込んでいく作業は難航した。
まず一般的なタイムリープものとは毛色が違い、過去に戻るのではなく、過去を模倣した仮想空間にタイムリープするのである。

これには私の文章力ではどうにもならず、「図解」を差し込んで凌いだ。
見方によっては完全な逃げであり、当時の自分には「あなた…この課題の趣旨を理解している??」と問いたい。


少し時間が飛んで、第三回目の講義で初めて提出したレポートの課題が返された。

気になる評価(S→A→B→C→F)を見るため、ゆっくり重なった原稿用紙をスライドさせていく。


結果は、、、




A !!



誇りを持てた私はお調子良く、同じ講義を受けていた友人の評価を見に教室を縦横無尽に歩き出す。


C君:「俺もAだったわー」
A子:「うちもAだったー。N (私)と一緒かよー」




みんなAかい!!!!


まあ、作文嫌いだった私がみんなと同じレベルなのだ。及第点といったところだろう。ましてや何かと対抗心バチバチでいつも挑んでくるA子と同じなのだ。十分ではないか。

よし、来週も頑張ろう!と思った矢先、当然ながら、なんの映画を選んだかに話は移る。


A子:「うちはターミネータ!」
C君:「俺はアバウトタイム」


ふむふむ、君たちはやっぱ王道を選んだのね(笑)
満を持して、私が発表する番である。


「俺はねー ミッション: 8ミニッツ!」




束の間の沈黙。
「え、、なんでそんなの選んだの?」とこれはA子。

「 だって、せっかくなら観たことない映画の方が良い感想が書けるかな、、って」と吃りながら答える私。

A子/C君 : 「… まさか、わざわざ映画観たの!?」

「うん」

A子: 「ウケる笑笑!うちは映画のあらすじと解説をネットで見て書いただけだよ」





「えええーーーーーーー!!!」


そんな小癪なマネを初回から行う肝の座り方にも驚くし、ネットの情報量だけで書くなんて。
(こういうやつが就活とか小賢しく成功させるのだろう、私は真面目すぎたのだった。)


A子と私のレポートは同等のレベルとはで言えない。なんせ私はわざわざTSUTAYAで映画を選定し、指が痛くなるほど重要なシーンで再生と停止を繰り返し、図解まで入れていたのである。

ひょっとすると教授は「よく頑張ったで賞」としてお情けの「A」評価をくれたのではないだろうか。


教授の評価の真意・素直な感想は未だにわからない。





ついに「F」評価を喰らう?!レポート課題で最大のピンチ

さて、大学の講義というものは半年単位で授業を組まれる。

当然ながら「レポート・論文作成法」は毎週レポートが課され、最低10回は自分の拙い文章を教授にみっちり1週間読まれることになる。


面白いもので、自分がノリノリで書いた文章ほど酷評をされ、自分が億劫になりながらなんとか書き上げたものが高評価を受けたりする。

今回はそれに関する話だ。


流石に、何週間も講義を受けていると単位取得が難しいと言われる所以がわかってくる。教授は少しクセはあっても、心優しくフィードバックをしてくれる人だった。

恐ろしいのはやはり、課題の量。そして教授のレポートへの評価だった。
教授はいわゆる「楽をしている大学生」が嫌いで、少しでも手抜き・居眠りが見えたら容赦なく叱るし、「F」(落第) をつける。

反対に、よっぽど心が動かされない限りは「S」(優秀)をつけることがなく、私を含む友達たちは「A」か「B」を見せ合うという不毛などんぐりの背比べを繰り返していた。


転機は第7週目の課題だった。
その日の講義は、9・11のアメリカ同時多発テロについてだった。

内容がセンシティブなこともあり、生徒もこれまでと違った態度でクラス前方に投影されているスクリーンをじっと見つめている。

講義の最後に5分弱のショート映画を2本観せられた。
(厳密には1本の映画で、いわゆるショート作品が何本も詰め込まれたオムニバスのようなものだった)

1つは、アフリカ大陸の国だろうか、村の子たちが日干しレンガのようなものをそそくさと運んでいる。どうやら学校の活動のようで、いかにも先生っぽい人が皆を集めて煙突から出る煙を眺めているというもの

もう1つは、NYに在住しているカップルに場面が移る。物静かなアパートメントで朝食をとるカップル。男の方は仕事をしているらしく、玄関で口づけを交わした後、仕事へと出て行った。

家に残っている女の方は家事をしながら窓から見える景色を眺めていた。
どこか悲壮感が漂う表情を浮かべていたと思った直後、地面を揺るがすほどの爆発音が轟く。心配になった女は男へ電話をしようとしたところ、灰を被って石膏のようになった夫が玄関から笑顔で帰ってくるというものだった。


教授: 「はい、今週はこの2本についての感想・考察を書いてください」


その日の夜、バイト終わりに机と向き合いレポートに取り組んだ。

(何も。。。書けん)

誰もが思考停止する瞬間を経験したことがあると思うが、いくら時間をかけても書くべきことが思いつかない。

決して集中力を欠いていた訳ではなく、5分という短い時間で得られる情報が限りなく少ないため、特に何も感じられなかったのだ。


しかもYoutubeに該当の動画がない!
観た時に得た感覚を思い起こして書かなければならないのだ。
(これを読んでいる人に動画を見せられないのが心苦しい)

2つ目の動画はまだわかる、、1つ目の動画は何が言いたいねん!!とシャーペンを投げかけた。

このままだと観たままのファクトとうっすい感想しか書けない。。。
「もうどうにでもなーれ♡」とペンを走らせ、なんかそれっぽいことをこじつけて書いた。


『2つの動画は、9・11に関する一般市民の距離を描いている。
1つ目の動画は日頃の生活をしている村の人々が、最後に煙突の煙を見つめることで、どこか遠くで不穏な事件が起きていることが描かれている。そしてその次にNYの動画を観客に見せることで、一気に9・11が身近な存在と捉えられ、緊張感が増す展開になっている。この順番で観客に見せることで、事件との距離を効果的に演出しており、没入感が生まれる仕組みになっていることに感心した。』 

『レポート・論文作成法』第7回課題より

的なことを書いた。


お世辞にも良い感想とは言えず、小学生の頃の必殺技「なんでかというと」作戦が、それっぽい言い方・着眼点で文字数を稼ぐという上級テクニックへと進化しただけだった。

「F」を確信したのは初めてのことだった。


課題の評価を取りに、今週も教授が鎮座する教卓の元へ、、
「あれ?心なしか課題を返す直前に教授がニコッとしたような…」

恐る恐る原稿用紙を覗くと、自分の目と教授の筆跡を疑った。
評価は「S」だった。


全員が席についてから教授は生徒全員に向けて話出す。

「今週の課題は少し難しかったですかね。実際「S」を取れたのはN君だけでした。彼はね、この映画2本を見せる順番に意味があると書いていてね。その発想は私の中では無かったなーと思ったよ。まずアフリカの動画だけどN君は〇〇と洞察していて….」


教授は話し続けていたが、褒められている私は呆然としていた。

何より、自分としては提出するのが嫌なくらいひどいレポートを書いていたということ。付け焼き刃的に書いた「順番がどうこうで〜」の部分が最も教授に刺さっていたこと。


実感はなかったが嬉しく、ルンルンとした気持ちでその日はバイトに向かった。


クソみたいな文章でも誰かの心を動かせる

たとえ稚拙な文章でも、感想や考察が複雑なロジックの元に書かれていなくても、文章で人の心を動かすことができる。

そして自分の中では正答ではないと思っていても、他人にとってはそれが貴重な意見だったりするのだ。そもそも、考えや意見に正答なんで存在しないのだ。

大切なのは自分の意見を持つこと。
めちゃめちゃ当たり前でも出来ていないことが多い。それはどこかで「自分の中にある一定の条件/ハードルを超えていないと外に出さない」というプライドが邪魔をしているのではないだろうか。

ということで、マイペースではあるが最近の趣味である読書についてnoteを定期的に書こうと思う。

過去何回か頓挫しているので継続の保証はできないが、少しでもコメントをもらえたら糧になるので、どしどし欲しい。


大学で見聞きした内容なんかほとんど人生の役に立たない中で、僕は教授にこう伝えたい。「教授の講義、、めちゃめちゃ覚えてますし、役に立ってます!!」

しかも面白いことに卒業から3年後とかに響いているのだから、学生の時に得た勉強や経験はバカにできない。




余談だが、件のレポートの結果発表後にA子が敵意剥き出しの目でこちらを睨んでいたことは忘れない。多分評価が悪かったのだろう。にしても同級生をそんな顔で見るべきではない。













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