「授業料改定案及び学生支援の拡充案」に対する東大教員の意見【アンケート公開】

9月10日14時ごろ、東京大学の学務システム「UTAS」上に「授業料改定案及び学生支援の拡充案」が発表され、その後18時ごろに記者会見が開かれました。
それを受けて私たちは、抗議声明の執筆・発出記者会見の発言全文の公開、自民党総裁選および立憲民主党代表選に合わせた各党各候補宛の国立大学の学費値上げに関するアンケートの公開など、事態の緊急性重大性をより多くのみなさまに届けるための様々な施策を打ちました。

そして、「授業料改定案及び学生支援の拡充案」に対して、東大執行部が学内向けに行なっているアンケートと同様のものを、主に東大の学費値上げに反対します」署名に賛同メッセージを送っていただいた東大教員や、「授業料値上げに反対する学生決議(駒場決議)に賛同する東京大学教職員」に対して12日より行いました。集まったご意見を公表させていただきます。

7月2日に公開した、大学教員の100人100色の学費値上げ反対論もご一読ください。

なお、東大の学費値上げに反対します」署名は、明日17日昼に、東大理事・副学長の相原博昭先生に提出いたします。明日は、学費値上げ案の決定を左右する大切な教育研究評議会があります。何卒、最後のダメ押しに、ご署名・ご拡散のほど、よろしくお願い申し上げます。


東大教員が東大執行部へ送った意見

主に以下の理由により学費値上げに強く反対する。

学生支援、特に、免除対象となるか否かの入学前の決定、世帯収入600~900万円層への「きめ細かい」支援の内実、授業料免除に関する学業や休学・留年等の条件の緩和などが一切明らかになっていない

・大学運営に学生が参加するしくみが必要と執行部が学生との懇談会で発言しているにもかかわらず、今回の決定が一方的かつ拙速に進められたことは、学生にとって明確に裏切りと感じられる。

・値上げによる増収分の使途が示されているが、これらが学生にとって教育環境の向上と受け止められるかどうかは不明であり、特に現在の在学者と来年度の入学者の間で後者が前者と比べて2割増しの教育サービスを受けられるという根拠は全くない。また増収分は使途を実現するための約10分の1の額でしかなく、それはこれらの使途の実現も難しいことを意味する。

・東京大学は法人化後に運営費交付金が減額・停滞している間にも、無期雇用の教職員を全体として増やしてきた。その背後には、部局自治が強い中で各総長が「リーダーシップ」を発揮したように見せるために学内に新しい組織や活動を屋上屋を重ねるように作り、それらを運営するための教員や職員を就ける必要があったことによると推測される。また、男性教員を減らさずに女性教員を増やそうとしていることも、教員増の一因となっている。執行部は学費値上げの理由として、これまで人件費不足にしばしば言及してきた。人件費不足の理由が、身の丈に合わない放漫的な学内の組織や人事の運営にあったとすれば、そのツケを授業料として学生に支払わせることは不合理である。

・すでに多くの指摘があるように、東大は首都圏などの私立・国立中高一貫校の出身者が入学者の多くを占める現状があり、学費値上げは授業料だけでなく東京での生活費負担も重い地方の高校生、特に女子にとって受験そのものに消極的になる方向に作用するおそれがつよく、東京大学のD&Iをいっそう悪化させる。現執行部には首都圏の中高一貫校出身者が多くを占めるためか、地方の実情に対して知識や配慮が欠けている。来年度からの拙速な値上げは、これまで東大を目指して勉強してきた地方の高校3年生にとって直前での進学先変更や大きな失望・落胆をもたらすおそれが強い。

・博士は値上げせず修士は値上げするというのは、博士課程進学者の重要な供給源である修士課程への進学を躊躇させるおそれがあり、結局は博士課程の基盤をも細らせ揺らがせることにつながる。現状でも修士課程生に対しては博士課程生よりも支援が少ないが、それを悪化させる。
・学費値上げは国際規約に反し、OECD等からも繰り返し指摘されている、日本の高等教育に対する私費負担の大きさという問題を悪化させる。

本田由紀(東京大学大学院教育学研究科・教授)

授業料値上げに反対します

ボイクマン総子(東京大学総合文化研究科・教授)

そもそも国連規約に基づいて高等教育の無償化を目指すべき国に対し、訴えなければならないのが大学の立場であるはずである。授業料は値上げするのではなく、無償にしなければならない。

柳原孝敦(東京大学大学院人文社会系研究科・教授)

「授業料改定案及び学生支援の拡充案の公表にあたって」には「今後も東京大学のありかたをめぐるさまざまな意見に耳を傾けるために、学生から現在の修学の状況や意見を聞く仕組みを早急に整備するとともに、学生に関わりのある事柄について一緒に考える仕組みを丁寧につくっていきたいと考えています。」とあります。
しかし、そのような「仕組み」の不備を自覚しているのであれば、まずはその「仕組み」を整備する作業が、拙速に「授業料改定案」を作成し、決定することよりも優先されるのではないか、という疑問が拭えません。

平松英人(東京大学大学院総合文化研究科・講師)

大学の一構成員として、今回の発表は残念に思います。たしかに、学生支援の拡充案や、激変緩和措置は、本年5月の報道以降、教職員や学生から挙がった懸念や不安の声に、総長や本部執行部が耳を傾けてくださった結果ではないかとは思います。とくに、博士課程の授業料を現行どおり据え置くという判断には安堵しました。しかし、2029年度より修士課程は値上げするとの判断、これは、とりわけ人文系の学問にとっては、ただでさえ困難な状況に置かれている院生に対してさらなる重荷を負わせることになり、将来の研究者の不足と学界の衰退を加速させる結果を招くことは明らかであり、人文学に携わる教員の一人として強く反対いたします。博士課程と同様、修士課程も据え置きとしてください。学士課程の値上げに対しても反対です。

教育研究環境の維持整備の財源が不足しているのであれば、まず求めるべきは、法人化以降およそ100億円が削減されてしまった運営費交付金の増額ではないでしょうか。東京大学構成員のあいだの開かれた「対話」によって、広く輿論の喚起につなげていくのが望ましいと考えます。総長は今回、「この間の検討のプロセスにさまざまな混乱が生じたことについて」きちんと認識され、謝罪された上、「そのようななかでも多くの教職員、学生のみなさんから貴重な意見や提案が寄せられたことに心から感謝します」と述べられています。しかしながら、今回の提案を含めて、本部執行部が急ぎすぎている感が拭えません。総長が「対話」によって意見を聞いてくれたという十分な実感をもっている教職員や学生がどれだけいるだろうかという疑念をどうしても禁じ得ないのです。とくに学生たちから上がっている切実な声を、大学構成員からのそれとして真摯に受け止める姿勢が必要なはずです。この度提示された案を決定する前に、総長にはせめて、対面による全学的な「対話」集会を行うことをご検討いただきたいと思います。

渡辺優(東京大学大学院人文社会系研究科・准教授)

地方出身者、特に女子学生にとって、東大を受験することのハードルが高いことを考えると、その層をいっそう東大から遠ざける結果となるのではないかと危惧する。「住まい支援」の拡充は不可欠。

瀬地山角

未来の学生だけに一方的に負担を押し付ける振る舞いに及ぶことが「待ったなし」だとは恐れ入った。流石失われた30年を築き上げて来られた方々が外部から経営に入って下さっているだけのことはある。本当に学費を2割も上げねばならぬほど財政が逼迫しているのであれば、その前に我々教授会構成員の給料も一律2割削減するくらいの覚悟は示すべきではないか。そういう発想は執行部にはそもそも最初から浮かびもしないのだろうが、立場の弱い側に一方的に負担を押し付けようとする卑劣なやり方には到底同意出来ない。おまけにそれを学生からも教授会からも逃げるような日程で強行採決しようというのだから、執行部の恥知らずぶりには呆れ返るほかない。今の東大を象徴するものと言えば、心の底から情けないことだが、安田講堂前の芝生の周りに張り巡らされたロープに他なるまい。こと大学自治の理念を自ら放棄することにかけては、UTokyoは確かに「世界最高水準」にあるようだ。

そもそも、2割もの学費値上げをこのような稚拙な進め方で強行したところで、それによって財政難がすっかり解消される訳でもなく焼け石に水に過ぎないのは執行部も示している通りなのだから、意味があるとは到底思えない。運営費交付金の減額が問題の根幹にあることは明らかなので、いま執行部がなすべきことは、学生と連帯して全ての国立大学法人の運営費交付金を大幅に引き上げるよう国に要求することだろう。戦う相手を完全に間違っている

また、学費値上げの代わりに様々な形での学生支援を拡充するという発想自体、そのために教職員が負担することになる事務コストを全く考慮に入れていない愚策でしかない。事務職員に著しい負担がかかるのはもちろんのこと、学生が作成した申請書への押印やコメント記入を求められる指導教員や学科主任の負担も軽視すべきではない。書類の読み書きに時間と手間を取られて研究に集中出来る時間と気力体力が減るほどバカバカしいことはないというのに、何故わざわざ進んで書類仕事をますます増やすようなことをするのか。カネがないのも確かに困るが、時間がないのとストレスが増えるのとはもっとずっと困るのだ。そういうことの積み重ねで所属する研究者の研究時間をどんどん奪っておきながら、どうやって世界最高水準の大学とやらになれるというのか。そもそもこんな文章を書かざるを得なくなっている時点で大いなる時間の浪費だし、読まされる方も時間的にも心理的にもたまったものではないだろう(誰かが読むのだとしても、どうせ総長でも理事でもあるまいから)。

最後にもう1点。重複回答を避けるためにUTokyoAccountでのログインを求めているというが、12月31日までという長い受付期間の間に1人1回しか回答出来ないということなら、その設定自体がおかしいだろう。こんな設定にしておいて何が「頂いたご意見は今後の大学運営に活用させていただきます」だ、白々しい

上原 究一

今回の授業料改定案及び学生支援の拡充案の問題点については、学生団体「学費値上げ反対緊急アクション」が、日本国憲法・国際人権規約の原則との齟齬減免措置が経済的困窮を抱える学生への十分な補償にはなり得ないこと、増収ぶんの使途への説明不足学内合意形成プロセスの軽視、といった項目に分けて説得力をもって主張している通りで、私自身はこれらの疑問に答える言葉を持ち合わせていません。これに、教員・研究者としての意見を付け加えれば、今回の措置は、少なくない学生に、大学、大学院への進学を躊躇させることになるはずです。

私の指導する学生のなかにも、何度も外部の奨学金に挑戦したり、あるいは一度就職して資金をためてから、再度の進学を計画したりしている学生がおります。ただでさえ研究者人口の減少が問題視され、研究分野によっては、その存立すら危ぶまれる状況にあって、さらにそれに追い打ちをかけるような施策は、長期的に見れば自分たちの首を絞めることにつながらないでしょうか。

東京大学の学費値上げが持つ象徴的な意味が大きいことは、報道でも何度も指摘されています。他大学への波及効果も考慮したうえでなお、今回の学費値上げが本当に、この社会全体の学問・研究にとってプラスの効果を発揮するものかどうか、慎重に検討すべきではないかと考えます。

村上克尚(東京大学大学院総合文化研究科・准教授)

現時点での授業料改定案には、賛成できません。以下にその理由を申し述べます。

1、東京大学憲章はどのような歴史的文脈のなかで成立したのか

国立大学としての東京大学が、国の行政改革の流れの中で国立大学法人に移行したのは2004年4月であった。改革を迫られた時、東京大学は、いち早く、2000年10月、東京大学21世紀学術経営戦略会議(UT21会議)を評議会の下に設置し、国立大学の独法化への批判的見地を堅持しつつ、東京大学のあるべき姿とそのための改革に着手していた。
折しも、佐々木毅総長体制が2001年4月に成立する。問題は、国が示す独立行政法人通則法が、一律的な「中期目標・中期計画」の策定を大学に求めていたことである。この問題を批判的に論ずるなかで、UT21会議は、東京大学の自治のあり方を保障するため、「東京大学憲章」の策定を開始した。憲章の起草にあたった当時の副学長・理事の廣渡清吾は、政府の改革への「切り返しのための」東京大学の独自の改革論の文脈から、東京大学憲章が成立したと説明している(参照、東京大学『東京大学大変革 現状と課題4』2004年、132~145頁)。

憲章には、「学問の自由と教育の機会均等を保障する大学の使命」、社会の中の小コミュニティーとしての大学のあるべき姿、構成員の権利義務等、「大学及び部局における自治組織の構成と自治の範囲」が書かれるべきものと構想され、憲章準備小委員会は、2001年5月から3ヶ月にわたってパブリック・コメントを実施し、26の部局及び東京大学職員組合代表、学生自治会代表などを含む多様な構成員からの意見を集約した。その上で、2001年12月、東京大学憲章起草委員会(委員長 佐々木総長、座長 廣渡副学長)が設置され、その主導のもとに起草された同憲章は、2003年3月、評議会の承認を受けて決定された。

2、東京大学憲章が位置づける構成員とは

このような歴史的背景を持つ東大憲章に鑑みた時、今回の藤井輝夫総長及び東京大学による授業料改定案についての、教職員、学生に対する改定案の提示の仕方には、根本的に大きな問題が含まれていると感じる。東大憲章は、「Ⅱ 組織」の12条「大学の構成員の責務」において、「東京大学を構成する教職員および学生は、その役割と活動領域に応じて、運営への参画の機会を有するとともに、それぞれの責任を自覚し、東京大学の目標の達成に努める」とある。この条文の原案段階(2001年3月7日「東京大学憲章(案)」)では、本条は「構成員」というタイトルのもとに、こう書かれていた。廣渡ら憲章小委員会の発想がよりよくわかるはずだ。「東京大学は、教職員と学生をもって構成される。東京大学の全構成員は、その役割と職域に応じて、運営への参画の機会を公平に有するとともに、各自の活動に関する説明責任及び運営に関する広い視野に立った協力の義務を有する」。また、東大憲章の「Ⅲ 運営」の15条「運営の基本目標」においては、「〔前略〕公正で透明な意思決定による財務計画のもとで、教育・研究環境ならびに学術情報および医療提供の体制の整備を図る」と書かれている。

もちろん、上記の12条の条文中、大学の構成員である教職員と学生は、「役割と活動領域に応じて」運営への参画が認められているわけであり、たとえば、大学の自律的な運営に不可欠な教員人事などに学生が参画したり、各学部の予算の割当内容などについて参画したりすることは、もとより想定されていないと考えられる。それは、東大憲章起草の際に、確実に参照されたはずの、1969年2月11日の「七学部代表団との最終確認書」と、当該文書についての評議会決定についての、東京大学総長代行・加藤一郎の文書『「七学部代表団との確認書」の解説』(1969年3月9日、65~66頁)からも判断されることである。

加藤は、「九、学生・院生の自治活動の自由」の説明で、「大学当局は、右の自治組織の団交権(大衆団交を含む)を認める方向で、その交渉要求に誠意をもって応じる。但し、その内容・形態については今後話し合うものとする」の説明部分で、労働法上の用語を大学における学生の自治活動に適用するのは困難として、「右の自治組織の団交権(大衆団交を含む)を認める方向で」と、学生側の草案文を修正したと説明する。そして、交渉の内容として考えられるのは、学生の自治活動や学生生活に関するもの」ではないか、と説明していた。

3、授業料改定案と学生支援の拡充案は、学生にとって、「学生生活」という活動領域に直接的に係わる問題

以上の「確認書」の解説文を踏まえて、東京大学憲章の条文を読んでいく時、授業料改定や学生支援拡充策の意思決定にいたるプロセスに、大学構成員たる教職員と学生がいかなる過程で、どこまでの参画を必要とされ、あるいは可能であるのかは、必ずしも自明ではない。ただし、人口減少と右肩上がりの成長が不可能な時代に突入している現代にあっての大学の授業料が、今や問題とされているのだ。教育設備にかけられる予算が国からの運営交付金と授業料収入という限定した資源から支弁されるのが明らかであるならば、この授業料部分を負担すべき受験生・学生への大学が負うべき説明責任は、確認書が書かれた1969年に比較して、格段に大きなものとなっていると言わざるをえない。

2004年の大学法人化に向けた準備を2001年に開始した、東京大学の熟考と省察のプロセスに鑑みれば、今回の授業料の改定、学生への支援策の開示と説明は、時間的に遅きに失したものと言える。2024年5月に情報漏洩があったことで、不本意な展開を強いられたと総長と大学当局は、Zoomでの「総長対話」においても、9月10日の記者会見でも述べていたが、5月の情報漏洩を、意図せざるもの、大学当局に対して害をなすものと捉えるのは誤りで、少なくとも、藤井総長が就任した3年前から、周到な意を尽くした説明と準備が不可欠であったと考えられる。

9月10日の記者会見に先だって、学内の教職員と学生に対して発せられた本部・各学部総務からの連絡文、あるいはUTASを通じた告知、に書かれた藤井総長の過程の説明は軽きに失しているのではないか。「授業料改定の必要性と具体的な提案については、研究科長・学部長・研究所長合同会議(科所長会議)の場や各種の懇談会、あるいは個別の会談などを通じて教職員から意見を聞き、検討案を作成してきました。また、学生との「総長対話」を6月21日に開催し、自由回答形式のアンケートを通じて学生の意見聴取を行ったことも、学内の意見を聞くプロセスの一環でした。8月23日には総長メッセージで、学生から多く寄せられた質問・疑問について、基本的な理念や前提となる大学の現状について丁寧に説明するとともに、改善等の方向性について明らかにしました」との認識がここでは示された。しかし、各部局の教職員からの意見の動向、学生アンケートの意見の動向については、賛否の割合について量的質的な説明がなされていなかった。これでは、意見の聴取、意見の集約とは言えまい

4、授業料改定案と学生支援の拡充案は、東京大学の掲げる「UTokyo COMPASS 2.0」の根幹に係わる構想である

東京大学のHPに掲載されている「UTokyo COMPASS 2.0」は、2024年10月1日に施行される改正国立大学法人法を前にして、東京大学が文科省に対して提出しているはずの指定国立大学法人構想の工程表と概要に添った案だと思われる。この改正国立大学法人法が施行されると、運営方針事項の決議及び法人運営の監督等を担う「運営方針会議」が、東京大学に設置される。この運営方針委員は、学長選考・監察会議との協議を経て、文部科学大臣の承認を得た上で学長が任命することとなっている(「国立大学法人法の一部を改正する法律の概要」説明資料から)。このような抜本的な外部環境の変化という事態は、2004年の国立大学法人化の時と同じか、それ以上の規模の激震を、東京大学に与えるものであると考えられる。

今回の学生支援として書かれている博士課程の大学院生への優遇措置などは、「UTokyo COMPASS 2.0」計画中に書かれている指標の一つ、一部に他ならない。9月10日の記者会見でも大学側が説明していたように、本来必要な額は143億円にも上るが、それに対して授業料の増加は、最終年度2028年度末で13.5億にしかならず、このようなギャップは、多様な財源の確保に期待するしかないと答えられていた。つまり、この授業料改定・学生支援拡充策は、東京大学の2004年の法人化以降最大の変化を来すはずの、大変革構想への対応の一角に過ぎない。この問題が、軽々に、短期間に、2024年10月1日の改正国立大学法人法の施行前に決定されようとしているのは異様であると思われる。これは学生が参画する問題群というだけではなく、東京大学の教職員・学生のみならず、執行部も本気に一丸となって、時間をとった熟慮と省察が求められている問題群だと思われる。

加藤陽子(野島加藤陽子)(東京大学大学院人文社会系研究科・教授)

あまりに拙速で、教職員の意見すら無視する姿勢、他の組織との交渉力の乏しさに驚いています。

木場智之(東京大学法学政治学研究科・講師)

諸物価高騰の折、もし国(文科省)からの運営費交付金も、科学研究費補助金の総額枠も、そして教職員給与ふくめ諸経費・諸支出も、全て物価に比例し増大している、ということであるならば、授業料もまた同じく物価に比例して上げざるを得ない、という主張には一理あろう。しかし今般の現実は、これとは大きく異なる。国からの交付金・補助金が一方的に年々減額され、それが嫌なら国策への恭順を意思表示して国際卓越に選ばれろ、という「兵糧攻め」を受けた結果として大学の赤字が急拡大。その穴埋めを大学債(=将来世代へのツケ回し)や学費爆増(=やはり将来の卒業生たちの奨学金借金苦の爆増)といった形で前途有為な若い世代に押し付ける、というやり方は、明らかに間違っている。高等教育とは定義によって、将来世代と将来社会への投資のはずであり、あべこべに彼らからの前借りや搾取を始めることは本旨に反する。言うまでもなくこれは一大学だけの責任ではなく、国の政策の責任である。大学への補助金をこれほど急速に年々緊縮している国は世界にも類例が無く、これまで1世紀以上に亘り一応「知的な国」として国際社会から尊敬されてきた日本は今や世界に冠たる反知性の国へと転落しつつある。

佐々木彈(東京大学社会科学研究所教授・

東京大学教職員組合副執行委員長・東京地区大学教職員組合協議会議長)

学費の値上げには、とりわけ地方出身者のことを考えて反対です。代案の学費免除プランも、中途半端なものです。このままでは、「関東の大学」となってしまうことを懸念します。 

氏名非公開

博士課程の学費値上げを断念されたことは、東大として賢明な御判断であると思います。

しかし、次世代の研究者の育成に配慮するなら、博士課程のみならず、修士課程についても学費は据え置かれるべきです。とりわけ、修士の学生への奨学金の少ない文系部局においては、修士課程の学費値上げは、長期的には部局の存続にかかわる重大な禍根を残しかねません。

また、学部の値上げをやむなしとする場合でも、これが現在すでに顕著な、進学者の東京近郊中心・男子学生中心の偏向傾向を助長するものとなるのは確実です。この点については、さまざまな学生支援で対処されるおつもりのようですが、地方学生に対する一律の住居費支給、学生寮の大幅な増設などの具体的対策を示すべきであると考えます。

いずれにせよ、総長には、今回の学費値上げについて、安田講堂で全学集会を開催し、国の文教政策と大学の財政の現状を示した上で、学生の理解を求めていただきたい。これは単に学内向けのみならず、世論に対して東大の置かれた立場・状況を示す上でも有効であると考えます。

氏名非公開

学生支援の拡充について、外国人留学生は「免除判定における収入や所得の考え方が日本人学生と異なることから、従前どおりの取扱いとする」とありますが、「免除判定における収入や所得の考え方が日本人学生と異なる」という点について詳しい説明をお願いします。またこれは、「すべての構成員が国籍、性別、年齢、言語、宗教、政治上その他の意見、出身、財産、門地その他の地位、婚姻上の地位、家庭における地位、障害、疾患、経歴等の事由によって差別されることのないことを保障」するという東京大学憲章に矛盾しないのでしょうか。

同時に、日本人学生と外国人留学生という二分法が使われていますが、例えば日本で(生まれ)育った外国人はどちらに入るのでしょうか。今日、学生の背景はますます多様化しており、日本人学生/外国人留学生という二分法はそうした現実とずれています。この件(授業料改定案及び学生支援の拡充案)も含め、大学における文書、取り扱いでの日本人学生/外国人留学生という二分法の使用を再考していただけないでしょうか。

氏名非公開

教員です。なぜこんなに急ぐのでしょうか。次の4月からの入学者に対して提示する時期としては私は遅すぎると思います。入試の重要事項変更では2年前に公表するのが基本のはずですので、それと同等であるべきと思います。ちょっとひどいんじゃないでしょうか。受験生はもう夏休みも終わって、志望校絞って過去問や大学別模試なども受けながら勉強していますよ。いまさら安い国立大学に変更もしにくいでしょう。東京大学の見識を疑われるような方針は、大学構成員の一人として、ぜひやめていただきたい。

もう1つ理解できないのは、必要額に合わせて学費を上げるのではなく、学費を上げること自体が優先されている印象しか持てないことです。私は本当に必要なら学費を上げてもいいと思っています。ですが、これまで出てきたどの説明を見ても、いますぐなぜ必要なのかがまったくどんぶり勘定的で説明不足と思います。学内合意形成をもっときちんと踏むべきと思います。

氏名非公開

大学の財政が逼迫していることは理解できるものの、インフレが進行し、名目賃金の上昇も鈍い状況下で学生に経費の不足分を負担させることには再考の余地があると考えます。学生支援の拡充案は一定程度評価できるにしても、親の支援を受けられない学生など、必ずこぼれ落ちる層があり、また、支援を受ける学生にも申請の負担と決定するまでの精神的負担を与えることには変わりありません。修士課程の授業料を増額することも、すでに一部の文系の私立大学大学院と逆転現象が起きていることに鑑みて、全く評価できません。やはり、東京大学の代表たる総長がなすべきことは、学生に負担のお願いをするのではなく、国に運営費交付金の増加を訴えることではないでしょうか。

氏名非公開

その他、東大教員が東大当局に送ったもの以外の意見

反対運動を進めてくださっている学生の方々には、時間やエネルギーをこんなことのために使わせてしまっていることを申し訳なく思っています。それでも、学生の方々の強い運動が東大執行部や日本政府の惨状を食い止める、あるいは可視化し一石を投じるためには不可欠と思います。どうぞよろしくお願いします。

本田由紀(東京大学大学院教育学研究科・教授)

以下、元教員としての見解です。

東京大学が行なう学費値上げの多大な社会的影響を鑑み、さらに一連の決定プロセスの不透明さと拙速さを踏まえて、現時点での値上げ決定には反対する。国立大学の学費値上げがもたらす弊害や上記プロセスなどの問題点については、「東京大学学費値上げ反対緊急アクション」が9月11日に公表した抗議声明に詳しく、その抗議の趣旨に賛同するので、改めて繰り返さない。以下はおもに、決定プロセスの問題点・疑問点に関する補足である。

1.5月の科所長会議では、おおよその決定時期まで想定した値上げ提案が提示された。しかし、わたしが在職した本年3月までの教授会ほかで学費値上げが検討事項として言及されたことはまったくなかった。では、この唐突な提案の背景にはいったい何があったのか。藤井輝夫総長は学習教育環境の改善について「待ったなし」と繰り返すことで危機感を煽っているが、その「待ったなし」の提案が、総長就任すでに3年以上を経過したこの時期に「なぜ」出されたのか。

2.藤井総長は総長対話で「この20年にわたって授業料が改定されてこなかったことは、計算の仕方にもよりますが、たとえば数百億円にのぼる教育環境への投資を控えざるをえなかったことにもなります」と語った。同趣旨の発言を総長はその後も繰り返している。しかし、この種の過去に遡った仮定は端的に無意味──かつ誘導的──であるのみならず、学費を20年間据え置いてきた東京大学の「意志」と「見識」を無視するものだ。東京大学総長の職責を引き継いだ者として、藤井総長はむしろ、学費が据え置かれてきた「積極的な理由」こそをまず語るべきだろう。藤井総長は過去の歴代総長が学費を据え置いてきたことの理由をそこでどう説明するのだろうか。これは上記の「値上げへの方針転換をいったいいつから検討したのか」という疑問点の背景をなす問いである。

3.各部局で行なわれたものと思われる値上げ問題をめぐる教員への意見照会の結果は公開されていない。総長対話ののちの学生アンケートもそうだが、回答を集めてその数を盾に、「それらの意見は反映した」と一方的に主張することは民主的な手続きとは言えない。今回の件のように抗議や異論が多々ある場合には尚更である。意見聴取の結果を公開しないのは「自由な意見が述べられなくなるから」といった紋切り型の弁明は、大学という言論の場においてなされるべきではなかろう。語りうることのすべての責任を引き受けた議論が公の場で繰り返されるべきである。
その意味から、まず過去の意見照会の結果は全面的に公開されるべきであり、東京大学構成員が教授会や専攻会議など、相互の意見を知ることができる公の場で議論したうえで、段階的に合意形成を図るべきである。そもそも、20年間据え置かれた学費の値上げを行なう以上は、総長や財務担当理事から科所長会議でまず問題提起がなされたうえで、東京大学の財務状況・方針に関する詳しい説明と質疑によって状況認識の共有を図り、全体で一年くらいの時間をかけ、教職員のみならず学生を含めた全学で検討するといった、より民主主義的で慎重な過程が踏まれるべきだった。5月の一種の情報リークから半年にも満たぬうちに、ほとんどの教員や学生にとっては秘密裡に近い上位の会議のみで値上げを決定することは、あまりに拙速極まりない。

4.「授業料改定案及び学生支援の拡充案について」という文書冒頭には、「「世界の誰もが来たくなる大学」というUTokyo Compassが掲げた目標は、実際に東京大学に来た学生や教職員の誰もが、「来て良かった」と思える理想の環境を実現してはじめて達成されるものであって、そのためには不断に教育学修環境の充実を図る必要がある」と書かれている。記者発表などの場でも、藤井総長は「これだけ学習教育環境を整備します」という、いわば「学習サービス」の改善アピールを繰り返している。
しかし、「「来て良かった」と思える理想の環境」とはたんに、資金投下にとって実現される、そうした「環境」ばかりではない筈だ。たとえば、学生が自主的に大学運営の一端を担うような「共同体としての大学」という側面もまた、重要な「学習教育環境」の要素ではないか。そんな共同体としてのあり方こそが、自由かつ自律的に思考する人間を育てるのではないか。少なくとも、東京大学の駒場キャンパスにおけるリベラルアーツ教育のなかで育ったわたし自身が、「来て良かった」と思った東京大学の姿とはそうした、その場の空気が自由と自律性を育むような「環境」だった。
藤井総長をはじめとする東京大学本部は、「高等教育におけるグローバルな競争」を意識しすぎた「世界から学生を惹きつける世界最高水準の学び」といった美辞麗句で「学習サービス」環境を飾り立てるのではなく、高等教育、畢竟、大学なるものの存在価値の本源に立ち返った、根本的な議論の場を開くことを望みたい。少なくとも東京大学の内部においては、サービス業的な発想のセールス・トークではなく、大学の「理念」が語られてよいのではなかろうか。
わたしが信じられる東京大学の「未来」は、こうした美辞麗句で飾られた将来像よりもむしろ、今回の値上げ方針発覚以降、広範になされてきた学生の皆さんの抗議活動にこそある。

田中純(東京大学・名誉教授)

奨学金等を充実させるだけでなく、それを強力に周知して地方の学生にリアリティのある選択肢を示さない限り、副作用が防げない。

瀬地山角

国立大学法人での学費の値上げは事務方には受けのよい方策であると認識しています。つまり、当事者に対する視点はないということかもしれません。高等教育の無償化という視点の重要性が完全に抜け落ちていることを危惧します。東京大学の場合、様々な形で予算を確保する手段があるはずで、学生の世帯収入が高いので、学費を上げてもよいという発想は単純で愕然とします。

黒澤直俊

高等教育の漸次的無償化という日本国が国際的に負っている義務の履行について、東京大学はこれまで国立大学教会などを通じて政府にいかなる働きかけを行ってきたのか、まず、その点を説明する必要があります。高等教育の漸次的無償化という目標に一切触れずに、東京大学が単独で授業料値上げに踏み込むのは、政府の義務を曖昧化させ、「取れるところから取ろう」とする悪手です。

また、法人化以降の運営費交付金の削減が各国立大学法人にもたらした財政的な無理についても、政府にいかなる働きかけを行ってきたのかを説明せずに、授業値上げに踏み込むのも政府の責任を曖昧化させることになります。

授業料改定による増収分予想額の使途について国立大学法人会計上のいかなる縛りをかけて、「学修環境の改善に充てる」ことが担保されうるのかを東京大学は説明する必要があります。

また、その増収分が現在の財務状況を好転させるうえでどれほどの効果があるのかを、財務データとともに示す必要も、東京大学にはあります。

小野塚知二(東京大学エグゼクティブ・マネジメント・プログラム室特任教授/名誉教授)

今回のような形で値上げを行うならば、本学の公的な性格は大きく損なわれます。公的な役割を期待して、俸給等を顧みず就業している教職員もいたことをよく考えるべきだと思います。

木場智之(東京大学法学政治学研究科・講師)

国立大学の学費は、学びたいと望む者が誰でも無理なく支払える額に抑えるべきです。そもそも学費が大学の予算に占める割合は非常に低く、資金難の問題が学費値上げによって解決できるわけではありません。学費値上げは学習・研究環境の改善に及ぼす効果が薄い割に、学ぶ意欲と能力があるにもかかわらず資金力のない者を排除する影響力は絶大です。そういった学生への支援を拡充するとのことですが、奨学金獲得のための手続きに費やされる労力や心的負担により、進学をためらう者、諦める者が続出するでしょう。実際に、私は自分の出身校、慶應義塾大学文系大学院で行われた大幅な値上げが、その後の世代の学生たちの院進を大きく妨げた様子を見てきました。そして、値上げに代わる奨学金拡充の約束が骨抜きにされた様も見ています。
私立大学とは異なり、資金力がなくとも、学ぶ意欲と能力のある者を受け入れて研究の多様性を確保するのが国立大学の使命ではないのでしょうか?東大本部はなぜこれほどまでに、損害の割に効果の薄い学費値上げという手段にこだわるのでしょうか。

針貝真理子(東京大学大学院総合文化研究科・准教授)

4年ほど前の総長選の時にも同じ感想を抱いたし、12年ほど前の所謂「秋入学」「ギャップターム」騒ぎの時にも既に同様だったが、大学の重要な方針案が、学内者であり当然最大のステークホルダーであるはずの学生や教職員に事前周知されず、従って学内者が議論に参加できず、ひどいときは学内ルートよりも先に学外からのスクープ報道によって初めて方針案の存在を知り、やおら慌てて学内議論を始めようとしても大学側は既にその案を既定方針として学内議論をガン無視して押し通してしまう、という「学内世論無視」のやり方が常道化しつつあるのが何よりも恐ろしい。このような、少数の大学幹部や政策担当者たちによる密室意思決定が「大学自治」と履き違えられつつある現況を憂慮するのは私一人ではあるまい。
今般の学費爆増案に限って言えば、国立大学の学費が安すぎて競争的にアンフェアだ、という某私大学長の「愚痴」が引き金だったとも(前述の学外報道等から)仄聞するが、もしこれが事実だとすれば独禁法や不正競争防止法に抵触する惧れのある由々しき事態でもある。即ちこの愚痴は、国立大学の学費を少しでも私大のそれに近くなるよう引上げろ、という「価格カルテル」提案とも受取れるし、それに応答する形で国立大学側が授業料値上げに応じたとすれば実効上、価格カルテルが形成されたことになるからである。国立・私立大学間の学費の差が競争的に問題であることは事実としても、それを解消する正道はあくまで「私学助成金の拡充」や「給付型奨学金の普及拡大」(註:これが進んでいる諸外国では授業料改定が学生たちの奨学金破産等に直結する心配が無いため本邦のように社会問題化することは無い)に見出されるべきものであって、国立大学授業料爆増や運営費交付金縮減といった「後ろ向き」「退嬰的」な方向性は明らかに邪道である。

佐々木彈(東京大学社会科学研究所教授・

東京大学教職員組合副執行委員長・東京地区大学教職員組合協議会議長) 

学費値上げを求める際、財政の現状を示す程度のことは、最低限なされるべき社会的「マナー」に属すると思います。今回の学費値上げに関して、東大当局は一貫して値上げありきで手続きを進めており、今後の大学・学生に対する「愛」が感じられないのが、残念だなと思っています。

氏名非公開

年収〇〇万円の意味は、自宅生と地方出身者とでは異なります。学費免除プランは、地方出身者にとって、かえって不公平です。

氏名非公開

これまでのところ、執行部は各団体との交渉的プロセスを避け続けているようで、そのことを大変憂慮しています。個別に執行部関係者が各部局で意見交換をするプロセスはあり、個人としてはその尽力に敬意を表しますが、しかし組織全体としては一部の個人に過大な労力を与え、搾取する構造に陥っているとも言えます。早急に、適切なタイミングで合理的な交渉を可能にする体制を整えるべきだと考えます。

また、9/10の「値上げ提案」発表のあと、教授会を経ずに9/17教育研究評議会で投票、9月末に成立を目指す流れとなっています。これは拙速であると感じます。

氏名非公開

大学本部に送った意見では、外国人留学生に対する差別的取り扱いについてのみ書きました(そうした意見は相対的に限られると思いましたので)が、もちろん授業料値上げ自体に反対です。

氏名非公開

以前にもお伝えしましたが、やはり経営の失敗の面があるのではないかと疑っています。その責任を新入生以降の世代に転嫁しようとしているように見えます。『中央公論』の各大学アンケートや他の報道を見ても、据え置きする国立大学は他にもあるのに資金力のある東大ができないというのが理解しがたいところです。経営失敗か、政治的背景か、いずれにしても不透明な印象をぬぐえないと思っています。

氏名非公開

授業料について、ヨーロッパの大学でこんなにお金のかかる国立大学はないと思います。経済的に恵まれていなくても、能力があれば良い大学で学ぶことができます。そうやって国が優秀な人材を選抜し、大切に育てていくのです。授業料値上げは、東大が現在おこなっている一連の間違った選択のひとつとしか思えません。授業料を上げてしまっては、経済状況によっては東京大学に進学できない優秀な学生が出てくるでしょう。まずは、授業料を上げず、優秀な人材を獲得しやすいようにすべきではないでしょうか。奨学金などの話が出ていますが、大学時代というのは、立ち止まって考える自由も、授業に出ない自由も、留年する自由も必要だと思います。その時間は決して無駄ではなくて、成長に必要なものです。奨学金で縛られては、自由にやりたいように勉強できません。奨学金の拡充よりも、授業料を上げないことが重要だと思います。授業料のせいで本当に優秀な学生が来なくなったら、東大はおしまいじゃないですか。

氏名非公開

以上が、9月17日10時時点で集約した東大教員の意見です。
9月17日12時頃の、「東大の学費値上げに反対します」署名提出時に、これらの意見も合わせて東大執行部に提出いたします。

順次、増え次第更新いたします。

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