「『授業料改定案及び学生支援の拡充案』公表に対する抗議声明」を発表しました

9月10日14時ごろに東京大学の学務システム「UTAS」上に「授業料改定案及び学生支援の拡充案」が発表され、その後18時ごろに記者会見が開かれました。私たちは17時ごろから有志の呼びかけによって抗議声明の執筆に着手し、翌11日3時ごろにTwitter上で声明を発出しました。

緊急の声明ではありましたが、同時に当局による初の学費値上げ案の正式な発表ということで、初めてこの問題に触れる人を含め、東大生かそうでないかにかかわらず、多くの方が今回の学費値上げ案の問題点を網羅的に理解できるように努めました。ただし、これはあくまで東大の発出した学費値上げ案に批判の対象を絞っておりますので、別のところにある社会全体における問題の根源には十分に言及されているわけではありません。

以上のような緊急性充実した内容の二つを追った編集方針の為に、声明の執筆には10名を超える学生が、最大10時間程度の労力を割きました。夏季休業中にかかわらず多くの学生に作業に参加していただいたことは幸いでした(この文を書いている私も旅行中だったので、滞在先から観光の時間を削って編集に参加しました。)しかしながら、同時に休業中に連絡を取り合う難しさも痛感し、この実体験も踏まえて、学生がキャンパスにいない夏季休業中に案を公表し、早ければ今月中にに決定するという執行部のスケジューリングは看過できるものではありません

この記事をご覧のみなさまには、この事態の緊急性重大性を踏まえたうえで私たちの考え方をご理解いただき、より多くのみなさまに声を届けていただきますようご協力をお願いいたします


「授業料改定案及び学生支援の拡充案」公表に対する抗議声明

2024年9月11日
東大学費値上げ反対緊急アクション

昨日14時頃、東京大学の学務システム上に「授業料改定案及び学生支援の拡充案」等の資料が掲載され、大学執行部により学費値上げ案が正式に公表されました。私たち東大学費値上げ反対緊急アクションを含め、問題に関心を持つ学生の大半が学費値上げに反対する意思を表示しており、構成員間での議論が十分とは言えない状況において、案が公表され、学費値上げが拙速に決定されようとしていることに、強い懸念を表明します。

学費は低廉であるべきである
学費は低廉であるべきという法的な原則をあらためて確認したいと思います。

日本国憲法第26条は「すべて国民は、法律の定めるところにより、その能力に応じて、ひとしく教育を受ける権利を有する」と定めており、教育を受ける権利が基本的人権として保障されています。加えて、教育基本法第4条では「すべて国民は、ひとしく、その能力に応じた教育を受ける機会を与えられなければならず、人種、信条、性別、社会的身分、経済的地位又は門地によって、教育上差別されない」と定めており、教育の機会均等が保障されています。
この二つの条文に基づけば、高等教育へのアクセスを経済的理由によって制限することは、憲法および教育基本法の趣旨に反すると言わざるをえません。

また国際条約である社会件規約第13条(c)では「高等教育は、すべての適当な方法により、特に、無償教育の漸進的な導入により、能力に応じ、すべての者に対して均等に機会が与えられるものとすること」と定めています。
日本は2012年まで第13条2(b)及び(c)を留保していましたが、これを撤回しました。したがって日本の教育行政はこの規定に拘束され、「無償教育の漸進的な導入」が義務付けられています。
しかしながら今回の学費値上げ案は、無償教育の漸進的導入に逆行するものです。
国立大学は政府と協力して、すべての者に高等教育を受ける権利を保障するよう努めるべきであるにもかかわらず、自らこの規定を破ろうとしています。教育機関の根拠となる重要な原則に反することは、高等教育機関として極めて不誠実であり、学問の府としてあるまじき態度です。

減免措置は十分な解決策ではない
加えて、値上げと引き換えに提示された減免措置も十分な解決策にはなりえないと考えられます。
学費減免措置は一見すると経済的に困窮する学生への支援として有効に思えますが、学生の個別具体的な背景や状況に適合できる包括性と、実際に事務組織の限られたリソースで運用できる簡素さや明快さを両立した制度を構築することは、現実的とは言えません。
例えば、親権者・生計維持者が大学への進学に反対しているなどして学費を拠出しないケースでは、世帯の収入が高くても学生本人が経済的に困窮している可能性があります。しかし、多くの減免制度は世帯収入を基準としているため、このような学生は支援の対象外となってしまいます。
総長メッセージでは「きめ細かな対応を工夫する」と謳われていますが、どのような場合に、どのような方法で経済的困窮を認定されうるのか、全く具体性を欠いており値上げの交換条件たり得ません。
現に在学している私達ですら「きめ細かな対応」の実態を想像することができないのですから、親権者・生計維持者の反対を押し切ってこれから大学を受験しようという受験生にとっては、自分が学費免除を受けられるのか全くわからず不安を抱えることになります。
特に地方出身の女性学生は、同条件の男性学生よりも親権者・生計維持者から大学への進学に反対される割合が高く、東京大学は自ら掲げる「ダイバーシティ&インクルージョン宣言」の精神に逆行する施策を行おうとしているのです。

多くの減免制度が標準修業年限内の学生のみを対象としているため、留年を迫られる学生への配慮も不十分です。
健康上の理由などにより休学や留年を余儀なくされる学生、あるいは海外での学びを深めるために留年した学生が、追加の経済的負担に直面する可能性があります。
また、障害のある学生や社会人学生、独立生計の学生なども、現行の減免制度では十分にカバーされていません。他にも仕事と学業を両立させるために長期にわたって在籍する社会人学生など、様々な状況下にある学生たちが画一的な基準によって支援対象から外れてしまう可能性があります。
さらに、災害、失業、病気など予期せぬ事態により突然経済状況が悪化する家庭もあります。しかし、多くの減免制度は前年度の収入を基準としているため、現在の実態を反映できない場合があります。学生を取り巻く環境は常に変化し得るものであり、固定的な基準による支援では対応しきれない側面があります。

加えて、減免制度の申請プロセスそのものが学生にとって心理的負担となる場合もあります。経済的困窮を証明する必要性や複雑な書類手続きは、一部の学生にとっては大きな障壁となり得ます。このような手続き上の問題も、支援を必要とする学生が制度を利用できない要因となっています。

そして、外国人留学生の免除判定については、従前どおりの取扱いとされ、日本人学生との明らかなる差別が存在します。「グローバルな競争のなかの教育学修環境の改善」を謳うのであれば、この対応の差は逆行であると言わざるを得ません。「免除判定における収入や所得の考え方が日本人学生と異なる」などという曖昧な理由で以って一方的に差別することは、東京大学が掲げる「ダイバーシティ&インクルージョン宣言」の理念に大きく反します。当事者である外国人留学生の存在を検討プロセスに含めることをせずに、この議論を前に進めることは許されません。

これらの問題点が示すように、世帯収入のみを基準とする画一的な授業料減免制度は学生の多様な背景や状況を適切に反映せず、本来支援を必要とする学生の高等教育へのアクセスが制限される可能性があります。したがって、単に授業料減免制度を設けるだけでは、教育の機会均等を保障するには不十分です。

増収分の使途には疑問が残る

さらに、学費値上げによる増収分の使途にも、大いに疑問が残ります。

9月10日発表の資料によれば、学費値上げによる増収分は、学修環境の改善に充てると説明されています。またこの学修環境の改善は、グローバルな競争をする上で「待ったなし」だと、鍵括弧つきで強調されています。
しかし、その具体例として「取り組む事項」に挙げられている使途はいずれも、高等教育を受ける権利を保障するという本来の大学の目的に照らして、緊急性のないものばかりです。物価の上昇等により学生の生活が経済的に苦しくなっている今、その学生の負担を増やしてまでも、あえてシステム整備や施設改修を優先して進める必然性が、資料からは一切読み取れません。
むしろ、そうした競争によって、本来であればアクセスできたはずの教育を受けられなくなったり、断念したりする者がいるという事実は、上で挙げた諸原則に反します。「グローバルな競争」のなかで等閑視されてしまう者がいること、その者が経済的理由によって教育機会を喪失してしまうことは、許容されません。

また、これらの環境改善により、「世界最高水準の学びを不断に追求」するという高い理想を東大執行部は掲げています。
しかしこのような理想に見合うほどの学修環境の整備には、大規模かつ持続的な財源が必要であり、大学の収入全体の1%程度にしかならない学費値上げの増収分で達成されるものではありません。学費値上げの根拠として「世界最高水準の学び」という抽象的な目標を設定する執行部の態度には、大いに疑問が残ります。この論理を受け入れてしまえば、今後、国際卓越研究大学への認定などを経て、現在の上限値を越えて学費を増額することも正当化されうるため、決して承服できるものではありません。

学内の合意形成プロセスが無視されている

学内における合意形成プロセスの観点からみても、東大執行部の態度には問題があります。それは「東大確認書」や「東大憲章」によって歴史的に積み上げられてきた「全構成員自治」「学内民主主義」の精神に真っ向から反し、これを破壊しているという点です。
総長メッセージの中では、6月21日に開催された「総長対話」を通じて、あたかも学内で丁寧な合意形成を行ってきたかのごとく強調されています。また「学生に関わりのある事柄について一緒に考える仕組みを丁寧につくっていきたい」とも述べています。
しかしその実態は、学生を交渉や協治の主体として認めず、一方的に意見聴取を行う、民主主義にみせかけた言い訳づくりでした。
「総長対話」は、学生側からの再三の対面での開催要求にもかかわらずオンラインで開催され、大学側から許可された参加者しか発言できないシステムが用いられました。さらに発言を許可されても非常に短い制限時間を課され、大学側の応答に再質問することが困難になるよう、仕組まれていたのです。このあまりにひどい名ばかりの「対話」の中でも、ほとんどすべての発言者が学費値上げに反対を表明し、学生の意思を突きつけました。
しかしその意見聴取さえも、「総長対話」後のアンケートに寄せられた学生の意見に正面から応答しないまま対外的な発表を行うという形で、放棄されようとしています。
こうした決定に際し、キャンパスに学生が不在である夏季休業期間にこれが行われたことは、学生に対する後ろめたさと学生を無視し続けようとする姿勢の投影だと言えるでしょう。
「対話」の重視を掲げながら、トップダウンの独裁的なガバナンスで値上げを強行することは、全くの欺瞞です。

これまで私たちは教職員や、総長室への直接的なアピールを通じ、全構成員自治を掲げた「東大確認書」や「東大憲章」の精神に基づく団体交渉を幾度となく求めてきました。
それにもかかわらず執行部は団体交渉を拒否し、「拒否する」というその回答さえしようともしません。このような態度は、学生の声の完全な黙殺と言わざるを得ません。
藤井総長をはじめ執行部がいま行うべきは、拙速な学費値上げではなく、学生が大学自治の当事者であることの制度的保障を迅速に設計することです。

年次進行は不適切である

学費値上げを、「過渡的な激変緩和措置として在学生には適用せず」に年次進行で行うという点も、受け入れられるものではありません。

その理由の一つは、この措置が、学費値上げの根本的な問題点に触れないまま、もっぱら在学生の反発を和らげるためになされているからです。在学生の学費負担が増加しないことで、在学生からすれば反発の感情が削られ、執行部からすれば、利害当事者ではない在学生の反発に耳を貸さないことの口実になります。他方で、来年度以降の入学者は依然として、学費増額の悪影響を受けることになるため、学費値上げの根本的な問題は解決されないままです。

もう一つの理由は、年代による差別が生じることです。来年度以降の入学者は、今の在学生と異なる額の学費を払うことになります。入学年度が1年異なるだけで被るこの「差別」を、来年度以降の入学者がどのように感じるかということを、執行部は無視しています。目先の反発を鎮めることに腐心した結果、未来の東大生に思いが至っていないのがまさに執行部自身だということは、実に皮肉と言うほかありません。
また、学費減免についても同様に、在学生と来年度以降の入学生との間で条件に差が生じます。これは、世帯収入等の条件が同じであるにもかかわらず、年代が違うというだけで、減免措置を受けられる学生とそうでない学生が発生することを意味します。補助が必要な全ての学生に支援を拡充すべき学費減免措置が、こうして逆に差別を助長するという事態は、決してあってはならないと考えます。

仮に、学生の負担が唐突に増えることに配慮して年次進行を採用するならば、段階的な増額などの他の方法が考えられたでしょう。しかしそのような選択肢を一切顧みず、入学年度が1年違うだけで4年あたり40万円の負担を強いるという今回の措置は、合理的とは言えません。
また、学費値上げによる増収の約半分で、システム改修のための予算を賄うという説明がなされています。しかし、システム改修は毎年行う性質のものではありませんし、維持費も高額ではありません。このように考えると、おそらくシステム改修が終わった後であろう4年後に、なぜ修士過程の学費を上げるのか、その理由が見出せません。修士と学部を分けるのならば、4年後になぜ増収が必要なのか、根拠を示すことが必要です。

大学執行部、学生、そしてすべての皆さんへ

以上のように、学費値上げの妥当性や決定プロセスに関する根幹部分に大きな問題点が存在することは明白です。このような問題が山積する中で、議論を尽くさず拙速かつ強権的に学費値上げを強行することは、現在在籍する、あるいはこれから先に入学してくる学生に対する教育を職責とする教育者として不誠実な態度であると言わざるを得ません。
大学執行部に対しては、現在の柔軟性を欠いた、結論ありきのスケジュールを根本から見直すことを求めます。

またこの見直しの中で、大学執行部は、大学の一構成員としての学生の立場を再確認すべきです。
6月21日に「学生の意見を聞く」と称して行われた「総長対話」は、学生の声を大学運営に反映させる機会として、不十分でした。
この反省を踏まえた上で学生の意見を取り入れる仕組みを確実に構築すべきでしょう。最も人数が多く重要である学生という集団の意見を十分に尊重し、大学自治に参画する権利を十分に保障すること、そしてこの考えのもとで、以前より蔑ろにされてきた学費値上げ問題についての学生との交渉を行うことを求めます。

一方で、大学自治の主体の一つである学生のみなさんに対しては、一方的かつ誠実さに欠ける執行部の対応を無批判に受け入れないことを求めます。
検討案を読むに、学費値上げは決して「時代の趨勢に沿った」「仕方のない」ものではありません。学生の切実な主張は不明瞭な理由のもとで蔑ろにされています。
内容・プロセス双方において不当な要求には、毅然とした態度で抵抗しなければなりません。そして私たちにはその力があります。

学費値上げによって脅かされる「教育を受ける権利」は、すべての人々に対して認められた、憲法にも記載されている普遍的な権利です。つまり、政府はこれを擁護する義務を負っています。しかし、政府は国立大学法人化以降、運営費交付金などの公的支出を削減し続けることによってこの権利を脅かし続けてきました。
広く皆さんには、今回の学費値上げ問題を含め、「教育を受ける権利」に関するすべての問題が、運営費交付金の削減に代表される公的支出の削減政策によって引き起こされたものであると理解していただきたいです。
私たちは、このような政策を改め、人々の権利の適切な保障を行い、最終的には教育無償化を目指すべきであると訴えます。


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