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ショートショート 「夏の過ごし方」

彼女に振られた途端、暇を持て余す日常が始まった。
特別愛していたわけでもないが、必要な時に収める鞘があるのは心地良かった。
親の仕送りだけで十分に生活できてしまう俺は大学2回生の夏休みをベッドの上で無気力に過ごしていた。

ただボーッと自分の部屋の壁を眺めていると妙に引き込まれてしまい、気付くと僕はベッドから起き上がり、壁紙の模様をじっと凝視していた。
とても細かい不規則な凹凸が何と無く文字に見えたり数字に見えたりしたのだ。
何となく「C」に見えたり「7」に見えたり「ヒ」に見えたり。
星座を作った奴も相当暇だったんだと思う。
きっと女に捨てられた時に適当に決めたんだ。
夢中になって時間を忘れたかったのだが、結局15分もしないうちに飽きて止めてしまった。

ベッドに戻った俺はルーティン的にスマホを触り、SNSを開いた。
鼻につく友人の投稿やお気に入りのAV女優の際どい写真や、たまに金をばら撒くベンチャー企業の社長の何とも言えない言葉を眺めていた。
すると、滅多に投稿しない友人が珍しく何かを載せていた。

真っ黒の画像と「何も成し遂げられずに消えて行きたくない」と言う短い文章。

ヲタクっぽくて厨二病が抜けない結構痛い男なのだが、何となく気が合うので今でもつるんでいる。
今の俺にはこいつの痛さが必要に感じた。
早速電話をして「これからの俺たちについて語ろうよ」と嘲ける気持ちを抑えつつ熱くけしかけて、自分の部屋に招いてみた。
二つ返事で「今すぐ行く」と言ったあいつは1時間後に俺の家に着いた。
確か、あいつの家から俺の家まで電車を2回乗り換えて1時間半ぐらいかかるはずなのに。
何でこんなに早いのか聞くと「時間が勿体無いからタクシーに乗って高速使ってもらった」と血走った目で答えた。
「22000円かかったよ」と言ったこいつはやっぱり良いなぁ、馬鹿で。
呼んどいて何だけど、特に話したいことはなかった。

「そもそも大学に面白い人間などいる筈がなかったんだ。気付かずに受験戦争に勝利してしまった僕が愚かだったんだ」
と彼は堰を切ったように語り始めた。
日本人の8割が知らないであろう3流大学に進学したこいつが何を言っているんだ?
とりあえず水道水に氷を入れて彼に差し出した。

机にコップを置くと、一瞬口を止めて俺に律儀に頭を下げてからコップを手にとって一気に飲み干した。
深い呼吸をした後、ゆっくりと彼は口を開いた。

「何も成し遂げられずに消えて行きたくない」

「それ、生で聞けると思わなかったよ」と半笑いで言った俺の目をじっと見つめて「どうしたら良いと思う?」と聞いてきた。
「分からないけど、しばらくこの部屋にいたら良いと思うよ」と言うと心底嬉しそうに笑った。

奇妙は共同生活が始まった。
俺は1日の大半をベッドの上で過ごし、こいつは座布団の上で正座してスマホで何かを検索し続けていた。
買い出しやウーバーイーツでの注文はこいつに任せた。
会話は食事の時だけで、あいつが一方的に話しまくっていた。
検索したての陰謀論めいた情報を俺にアウトプットするのだ。
話切ると決まって、「何も成し遂げられずに消えて行きたくない」と俯きながら数回ぼやいていた。

ある朝、俺が目覚めたことを確認したあいつは興奮気味に声を上げた。
「スマホを捨てよ!街に出よう!」
一体どうしたのか?訳を聞くと、
「ネットの情報は人間打ち込んだ偽りしか存在しない!神は外の世界に生きるヒントを散りばめている!僕はこんなところにいては腐り果ててしまうんだ!」
目は希望に満ち溢れていた。
完全にイかれてしまったようだ。
「外に行かなくても生きるヒントは見つかるよ。」
俺は何故かこいつが家から出て行くことに寂しいと感じてしまった。
「こんな穴蔵のようなアパートに何が存在するんだ?スマホが嘘ばかりだと知ってしまった今、僕はどうしたら良いんだ?」
涙目で訴えてくるので何か適当な答えを教えなければならなくなった。

「この部屋の壁紙を見てみろ。何かの文字が隠れている。人間の無意識を利用して神がお前になにか伝えようとしている筈だ!」とか何とか言ってみた。
「・・・・・。」何も言わずに数分間壁紙をじっと見つめた。
そして、目に涙を浮かべながら家を出た。
しばらくすると、コンビニの袋を両手に抱えて戻ってきた。
大量のゼリー飲料とノートとボールペン。

その日以来俺と話すことはなくなった。
俺は1日の大半をベッドの上で過ごし、あいつはノートとペンを手に持ち壁に張り付いて何かを書いては線で消してを繰り返していた。
俺が話しかけようが、屁をここうが、マスターベーションをしようが全く気にせずに謎の作業に没頭していた。
食事は数秒の間で済ませていた。
俺が起きている間、あいつが休んでいる姿を見ることはなかった。
作業は2週間ほど続けられ、みるみる痩せこけていった。
そして、忽然と姿を消した。
床に積まれていた十数冊のノートだけを持ってこの家を飛び出したらしい。

数日経ったある日の昼、家のインターフォンが鳴った。
ドアを開けると黒いスーツを着たおっさんとガラの悪そうな兄ちゃんが何人か立っていた。
おっさんは優しく微笑んでいたが、横にいた若い衆が俺のみぞおちに3発食らわせた。
一切固形物が混じっていない水っぽいゲロを吐いた。
うずくまる隙も与えてもらえず、殴った流れのままヘッドロックかけて俺を部屋の外に引きずり出した。
それでも、数冊のノートを大切に手で持っている自分に気が付いた。
「詳しいことは事務所で聞くね。警察より先に見つけられて良かったよ。面倒ごとが一つだけ減ったからね」とおっさんが言った。

あいつの顔が思い出せない。
あいつと俺はどういう関係だったのか。
全く思い出せない。


俺は何を成し遂げてしまったのか?

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