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短編小説 「お薬飲めたね」

今日もたくさん悪いことをした。
みんなが嫌がる大変なことをした。
だから今日はいっぱい飲み込まなきゃいけない。
良い子、って褒めてもらわなきゃいけない。

誰も迎えてくれない。
毎日ちゃんと18時50分に帰ってくるのに。
家に着いたら自分の身包みを剥がして真っ裸になる。
まだ24歳の女の子なのに何故かおっぱいが垂れてきたように思う。
これが平均的なものなのか?
誰でも良いから教えて欲しい。

洗面台にある昨日飲み残した市販薬を取り出す。
さて、今日犯した罪を振り返ろう。
「同僚のあきこさんに私の仕事を手伝わせた」
「手汗かいてたのに他の人のパソコンのマウス握った」
「帰りのバスで妊婦さんに席を譲れなかった」
なのに、誰も私を責めないの。
絶対嫌な気分になったはずなのにみんな黙ってた。
私は罰を受けるべきなのに、みんな許してくれる。

きっと心の中で私を責めてるのに。

私は小さな薬瓶に入った残りの錠剤を全て一気に飲んだ。
強い薬じゃないから死ぬことはない。
吐き気に襲われるけど、絶対に吐き出してはいけない。
だって、これはみんなのモヤモヤ。
私が受けるはずだった罰をこれで相殺しているから。
こうでもしないと私は死んでしまいたくなる。

飲む前に手のひらに錠剤を乗せて写真を撮る。
それをSNSに載せると見知らぬ誰かが私を褒めてくれる。
「今日もたくさん飲めたね」って。
「体に悪いからやめろ」とか「病院に行け」とかコメントしてくる奴もいる。
ほっとけよ。
こうやって自分に罰を与えてるんだ。

薬は決まったドラッグストアで購入している。
彼は土曜日以外は出勤しているから大体レジを担当してくれる。
真っ白になるまでブリーチされた髪で目元が隠れた青年。
二十歳ぐらいで私よりも若く、体の線が細くてハードなボディピアスがちょっと痛々しい。
ほっぺたにスタッズが刺さっていたり、手の甲にボコっとピアスがねじ込まれていたり。
中性的な顔立ちと元気の良い接客が可愛くて私のささやかな癒しの時間。
勿論、雑談をしたことは一度もない。
業務の一環として商品のバーコードを通してレジを打ってくれるだけ。
でも、咳止め薬をこのペースで買っている女なんて私ぐらいしかいないだろうから顔ぐらいは覚えてくれてるかも。
気にかけてくれていたら嬉しいな。

今日は少し薬の量が多過ぎたみたい。
脳が一服したのが分かった。
頭がお休み中なので何も考えられないから気分が少し楽になる。
お札を納めに参ります。行きはヨイヨイ帰りは怖い。
子供の泣く声が聞こえる。
部屋中の壁から私に向かって罵倒するように泣いてくる。
声は大きくなって、大人の声に変わって、私を笑う声に変わって。
この部屋は外の声から私を守ってくれないみたい。
壁が迫ってきてグニャグニャと歪み始めた。
『トレインスポッティング』の主人公がキメた後にベッドに沈んでいくシーンがあるでしょ?
あれ実体験だと思うの。
でも、彼は良いな。
一緒にいるお友達がいて。
激しい目眩と悪寒に震えながら私は全裸のままベットに入り布団に包まった。
「これが私が犯した罪の代償」
怖いながらも通りゃんせ。

オーバードーズを始めたのは2年前から。
彼氏にフラれたのがきっかけ。
“ 彼氏 ”と言っても私は多分3番目ぐらいの女だったから、あの人からすればどういう位置づけだったのかは分からない。
どんな扱いでも良いから私は彼と繋がっていたかった。
夜中に駅の公衆トイレに呼び出されて口でやらされただけで帰されたこともあった。
流石に悲しかったけど、帰り際にポカリスウェットを買ってくれたのは嬉しかったな。
「お前と居ると虚しくなる」って言って一方的に別れを告げられた時、私は彼を苦しめていたことに気付いた。
汚い私には罰と治療が必要と思い、衝動的にカバンに入っていた胃薬を噛んで飲み込んだ。
10錠ぐらい飲んだだけだったから特に体には影響を及ぼさなかったけど、それから癖付いてしまった。
調べると私のような人は多いらしい。
皆んな頑張って飲んでるから私も頑張って飲もうと思えた。


目が醒めると私は上手に立ち上がれなくなっていることに気が付いた。
昨日は眠ったのか気絶したのか分からない。
今朝はいつもより倦怠感が酷かった。
今日の出勤は多分無理だ。
職場で頻繁に過呼吸を起こすようになってから課長は私を腫れ物を触るように対応している。
入社当時は結構厳しい人だったはずなのに。
言われるうちが華ってことかな?
だから「今日は休みます」って電話をしても多分優しく許してくれる。
そう言えば、この2日間ろくに何も食べてない。
薬の摂取が増えると食欲が失せる。
身体が生きることを諦めているように、大切な欲求が思い出せなくなる。
異常な発汗と吐き気に襲われて地を這うようにトイレに向かった。
伸びきった髪が便所の水に浸るほど顔を突っ込んで胃の中の物を戻した。
白いペースト状のゲロを吐き出し、昨晩の自己浄化は失敗に終わった。
嗚呼、今日は最低最悪だ。
今日は仕事を休む。
この罪は私に罰を与えるこの上ない理由になる。
最近の私にとって罪と罰の関係は、鶏が先か卵が先かのような状態。
側から見れば私は陰気な女だと思うけど、私の心は躁鬱が激しいから明るい時だってちゃんとある。
大体は自分が存在することに絶望してるけど、明るい時は犯した罪を捻出して薬を飲む口実ばかり考えている。

ブラもパンツも身に着ける気力はもう残っていない。
昨日脱ぎ散らかしたブラウスとジーパンを穿いて、とにかくドラッグストアに行かなきゃ。
汗とヨダレはもう制御が効かなくなってるし、便器の水で濡れた髪もそのまま。
今日は水曜日。
こんな姿であの金髪の男の子に会うのは嫌だな。
でも、ちょっと見て欲しい気持ちもある。
ちゃんと私を見てくれる人がいて欲しい。

鍵を閉めずにサンダルを引っ掛けて家を出た。
財布を探す気力が無かったから電子決済で払えば良い。
ドラッグストアまでは歩いて5分程度だからそんなに遠くないはずなのに今日はとても時間が掛かった。
まともに歩けなくて何回も電信柱にもたれかかって休憩した。
みんな私を見てるのに誰も声をかけてくれない。
地面が低反発クッションのように一歩踏み出すと沈んでしまうから足を取られて転んでしまう。
皆んな私を見てるのに誰も助けてくれない。
でも、みんなの心の声は全部聞こえてるの。
「汚い」「臭い」「邪魔」「下劣」「ゴミ」
全部学生時代に言われたことがある言葉ばかり。
言われるうちが華なんて絶対に嘘だ。

サンダルはどこかに脱げてしまったらしく、私は裸足でドラッグストアに踏み入った。
あの可愛い男の子はちゃんとレジにいてくれた。
彼がいるレジにいつもの錠剤を3つ持っていった。

何とかスマホ決済アプリを開くことは出来たが、呼吸が荒くなって声を出す余裕はなかった。
彼は私の顔を覗き込んで強い口調で話し始めた。

「もう売りません」
どうして?
「僕の周りにもそういう人がいるから分かります。危険だからもう止めて下さい」
どうして?
「僕は毎日あなたのことを思ってこのレジに立ってます。」
どうして?

「これ以上僕を苦しめないで下さい」

大変なことをしてしまったみたい。
ずっとこの子に辛い思いをさせていたんだ。
ちゃんと私を見ててくれてたんだ。
久々に聞こえた優しい言葉に嬉しくて力が抜けて地面に倒れてしまった。
今回は眠ったんじゃない。
泡を吹いて気絶した。


目が醒めると自分の部屋のベットの上だった。
私は姿は今朝と同じ真っ裸。
状況を判断するまでに少し時間が掛かった。
足の踏み場が無かったはずなのに部屋が綺麗に片付けられている。
台所にはあの金髪の男の子が立っていた。

「起きましたか?酷い熱だったので家まで運びました」
ありがとう。
「凄く汗をかいていたので服は脱がせました」
ありがとう。
「もう薬無しで治しましょうね」
ありがとう。

どうして私の家がここだと分かったんだろう?

「あなたが心配でいつも外からあなたの様子を見てました」
「薬が切れると暴れたくなるらしいので自由はなくしました」
「あなたはもう自分で何もしなくて良いんですよ」

私は手錠を掛けられていることにようやく気が付いた。
彼は至って冷静に話してくれているけど、あそこが大きく膨らんでいた。

「これからは僕が罰を与えます」

私はようやく解放された。
罪を探さなくても良い。
薬に頼らなくても良い。
孤独を感じなくても良い。
この男の子にアピールし続けた自分を褒めてあげたい。
彼からすれば私はどういう位置づけなのかは分からない。
でも、私が犯した罪は彼によって浄化されることは明確だった。
だって私の前に置かれた彼の鞄のチャックはもう空いてるから。
これからの為にたくさん準備してくれてたみたい。

色んなピアスとニードルがいっぱい。

台所からおかゆの良い匂いがするから懐かしい気持ちになった。

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