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ゲイのゲイによる誰のためでもない戦争


ゲイの世界は戦争で溢れている。
何かの目的や正義のためではなく、ただ相手を殺すためだけの最も悲惨な戦争。

前髪系(ジャニーズ系)と短髪髭(ガテン系)
細い人と大きい人
新宿二丁目に行く人と行かない人
イベントが好きな人とイベントに行かない人


同性愛者というマイノリティの世界で、私たちはさらに細かくカテゴライズされる。
ときとして便利な側面もあるが、大抵の場合それは戦いの火種となる。


人には好みがある。
「前髪系NGなんで」と言われると、じゃあてめぇの目の前で坊主にでもしてやろうかと思うこともあるが、もちろんそれぞれの好みがあるため仕方ない部分でもある。

細い人もたくさん食べて筋トレをすれば大きくなるし、前髪系も髪を切れば短髪になるのになぁと私は思ってしまうが、きっとそんな単純な話でもないのだろう。
 
188cmで65kgの私は体型を維持するために必死にダイエットをしているが、筋肉が好きな男から見れば奇怪なことのように思われるに違いない。

身体を鍛えるゲイが多いのは、やはりモテるからだと思う。
私も恋愛相談をするたびに真っ先に「鍛えれば?」と言われる。
私はモテたいわけではないし、ありのままを好きになってほしい傲慢な人間のため共感はしないが、ニーズに合わせて自分の容姿を変えることはとても努力の必要なことで、それを実行している人たちを本当に尊敬している。

ただ、得てして努力をしている人間は自分の努力は正しいものだと考え、努力をしていない人間を疎ましく思いがちである。
たくさん食べて体を大きくする努力をしている人は、食べる量を減らして細くする努力をしている人を認めにくい。
そうして相手の努力に気付かず、自分のしている努力こそ正しいのだと批判をしてしまう。

余談ではあるが、私が初めて二丁目に行ったとき、隣に座った熊みたいな男に「あんたみたいな爪楊枝、ゴミと一緒よ。食べれないほど貧乏なの?」と言われたことは死ぬまで忘れないし、もしもデスノートを手に入れたら真っ先に名前を書いてやる。


話は少し逸れるが、私はTwitterに出会って世界が大きく変わった。

自分がゲイかもしれない、そう気付いたときには涙が止まらなかった。
毎日が地獄で、テレビでオネェタレントが出ていじられているのを見るたびに悲しくなった。
自分はこの先、一生周りに嘘をついて生きていくしかないのかもしれない、そう思ったときには自殺さえ考えた。

そんな私を救ってくれたのがTwitterだった。
バイト先で偶然知り合ったゲイの人にTwitterで仲間を探す方法を教えてもらった。

自分が一人ではないこと、想像以上に自分と同じ人間がいること、Twitterを通じて友達ができること、ひどく安心した。

今でも私はTwitterを出会いのツールとしてではなく、ただ気持ちを吐露する場として使っている。
私のようにTwitterを介したコミュニティの存在に救われている人間は少なくないと思う。


しかし、そんなTwitterこそが戦争の舞台となっている。


身体の大きな人たちが集合写真を載せれば「みんな同じ顔に見える」「病気で早死にしそう」「量産型」と叩かれ

前髪系の細身の人たちが集合写真を載せれば「女っぽい」「キョショガリばっか」「ブスしかいない」と叩かれる。

イベントに行けば叩かれ、恋人の写真を載せれば叩かれ、部屋の写真を載せれば叩かれる。

RTでそういったものが流れてくるたびに、明確な悪意に悲しくなる。
会うこともない人たちに費やす労力があるなら、私を抱いて、あわよくば愛してくれればいいのに、そう思ってしまう。


マイノリティ同士の戦争。
「多様性を認めろ」と声を上げる者たちによる多様性の排除。


マイノリティであり社会から不当に隔離されている面をもつ私たちは、本来ならばみんなで手を取って一丸となるべきである。
(正直私は現状の社会に特に不満はなく政治的な思想は持ち合わせていないが、仲間意識があることは悪いことだとは思わない)

そんな私たちの憩いの場であるはずの同族の集まり。
その場でさえも傷付き傷付けあわなければならない私たちは、一体どれほどの業を背負っているのだろうか。

生まれ持った本性で差別される悲しみを知る私たちが、相手の小さな一面で差別する。
貶して、晒して、何がしたいのか。

思想は自由だ。言論も自由だ。

しかしそれは、理不尽に誰かを傷付けない限り、という制約があると思う。

SNSをしていると顕著に見られる。
誰かを傷付けずにはいられない存在。
誰かを否定しないと生きていけない人たち。

人を傷付ける行為というのは、いつかの自分を傷付ける可能性を含んでいる。

たとえば体型なんてものは病気や怪我ですぐに変わってしまう。
嫌悪感を表していた新宿二丁目に、今では毎週のように通っている友人だって何人もいる。

口から出た他者を傷付ける言葉が、未来の自分を呪う言葉へと変わる。
そんな危険性をはらんでいることに気付いているのだろうか。

この誰のためにもならない戦争を、誰も止めることなく永遠に続けている。

「もうやめましょうよ!」と声を上げてくれるコビーも、「戦争を終わらせに来た」と止めてくれるシャンクスもいない。


今日もどこかで闘いのゴングが鳴る。

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