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I FEEL PRETTY - くたばれ、先入観。

ちょっと前に観た映画で、控えめに言って最高だと思った映画。笑
主人公が最強にポジティブで、コメディとしてもとにかく面白くて笑えるし、観終わって前向きな気分になる。
多分、女子会の一発目の映画とか、金曜日の夜に一人で観るのに最高!

あらすじは、
ぽっちゃり体型で容姿に自信のない主人公のレネー(エイミー・シューマー)が、ジムで自転車を漕いでいた時に自転車から落ち、頭を打ったことで、自分の姿が絶世の美女に見えてしまうようになる、というストーリー。😂
そして「自分は生まれ変わったのだ」と確信していくにつれ、自分に自信をつけ、どんどん大胆に変わっていく。憧れの仕事だった化粧品メーカーの”受付”に応募したり、恋愛にも積極的になってボーイフレンドもできる。ただし外見は全く元のまま。それでも内面から溢れる自信と前向きさで周りを圧倒していく姿は痛快で、外見とのギャップがあるからこそ内面のパワーが際立ち、彼女はとても魅力的に見えるのだ。
そして物語が進むにつれ、最終的には、見た目の美しさではなく、自分自身に誇りを持ち、自尊心や信念こそ素晴らしいのだと気付く、というストーリー。

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今回は、”映画に描かれる女性像”とはズレるけれど、この映画に出てくるキャストに注目してみたい。

まず、エイミー・シューマーと言えば、
彼女はコメディアンなのだが、彼女のネタは女性の視点に立って作られている。「こうあるべき」なキラキラ女性像と程遠い自分や、その乖離や社会の圧力に苦しむ女性たちに向けて、そういった現実を風刺して面白おかしく表現している。
例えばこの動画は彼女のテレビ番組『Inside Amy Shumer』から。

題名は「Girl, you don’t need make up」。その通り、最初は「そのままの君が美しい」と言って「メイクを落として」と歌うものの、いざ落としてみると「ナチュラルにメイクしろ」。最終的には「Girl, you do need make up」そして「もっともっとメイクを!」と歌い出す始末。
かなりわかりやすく、面白いので、おすすめです。😂

またエイミーは体型批判に関してもメッセージを発していて、映画『バービー』のキャストとなった時、「バービーには太りすぎている」という批判を受けても、「私はそうは思わない」「私は強いし自分の生き方に誇りを持っている」「どこに恥ずかしいことがあるの?」と反論。超ポジティブ!
最近出産を経験した時も、産後ダイエットをアピールしがちなセレブリティとは一線を画し、かなりリアルで、ユーモア交えた姿をInstagramで発信して話題になった。

この映画は、エイミーの伝えたいことそのものであり、エイミーのエイミーによる、エイミーのような等身大の女の子のための映画と言っても過言ではない。

そしてここでもう一人、注目したいキャストがいる。
レネーと対照的な美女として登場する、エミリー・ラタコウスキーだ。

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登場回数は少ないが、キーパーソンとして登場している。

そしてエイミー・シューマーとエミリー・ラタコウスキーも、どちらもフェミニストとして活動していて、実は友人である!

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これは、2018年10月に、女性への性的暴行疑惑の渦中だったブレット・カバノー氏が判事候補に指名されたことを抗議するデモでのツーショット。

このデモに参加した際のエミリー投稿のキャプションの最後には、「私は政府に対して、女性を男性と同じように認識して、尊重し、サポートすることを要求します。」と記されている。

エミリー・ラタコウスキーといえば、超セクシーで、水着や下着のモデルと言ったイメージが強く、彼女がそういったメッセージを発信することは少し意外だった。
しかし、そんな彼女のフェミニストとしての姿勢に迫るインタビューがあるので、ぜひここに記載しておきたい。

彼女は、女性らしくあることが好きで、
「”セクシー”であること、ときに”超女っぽく”あることは、私にとって強さを感じるものになった」
「セクシーであり続ける方法の多くは女性蔑視に大きく影響されているとも確信している。でも自分らしくあることは気持ちがいいし、それは私の選択だ」
と主張する。
しかし一方、「女性らしくいること」が「そうでなければならない」という脅迫観念となり、「女らしい」と言われることに不快感を感じることもあると述べる。また、文化が「賢明であることや真剣であることをセクシーから分離する」ことを問題視している。彼女がこの抗議運動に参加したとき、みんな、彼女が下着を身につけていなかった、ということにしか注目しなかったからだ。
そして、
「女性たちが持つことのできる唯一のものは、自分の選択だ。」「女性は着たいものを着たり、好きなように自分を表現したりできるし、そうあるべきだ。」
ー全ては本人の選択。それが彼女のフェミニズムなのだ。

彼女のルックスが完璧だからこそ、「強者の理論」を振りかざしているように思えるかもしれない。けれど私はこれにすごく同感で、女性が「女性らしいこと」に堂々としていられるようにメッセージを発することはすごく勇敢なことだと思うし、私には必要なフェミニズムだった。
私自身、「女性らしい」ものが好きだ。例えば、繊細なレースのランジェリーだったり、セクシーな気分にしてくれるもの。そして、その気分そのもの。
ただし常々、そういったものと「女性」という概念を、結びつけて欲しくないと強く思う。なぜなら、そこに「女性」という概念が結びつくと、途端に男性目線的になり、性的な対象としての意味を帯びてしまうからだ。
私は自分の好きな服を着ていて、別に男性のためじゃない。誰かにジャッジされるためでもない。私は、自分が一番好きな自分でいられるために、その選択をしただけだ。そう胸を張って言いたいのだけれど、現実はまだ厳しい。
そのような個人の選択を、みんなが尊重するような社会になれば、といつも思っている。


さて、ここまでエミリーとエイミーの2人にフォーカスしてみたが、
全く容姿の違う2人だけれど、その根底にあることは同じで、それは、
彼女たちの体と価値観は、確かに彼女たちに属しているということ。

私たちの容姿や身体、身体的表現は、外部から侵食されてしまいがちだ。
一義的な美のモンスターが、「お前はダメだ」「もっとこうなれ」と迫ってくる。SNSのいいねやコメントが、容赦なく自分の評価を決めつける。社会の圧力から、自分の身体が「他者の視線」に属するようになり、それは身体のみならず私たちの精神にまでしのび寄る。

二人に共通するのは、その圧力をはね除け、自分の強みにしているところだろう。
信念さえあれば、周りの尺度に怯えることなく、新しい価値観を生み出すことができると思う。
自分自身で自己との向き合い方を選択することが私たちを自由にし、前を向くことができる。
この映画でレネーが成し遂げたように、周りの目線から自分を疑う心に打ち勝ち、自分を誇りに思うことができると思うのだ。

果たして私たちは、世間的な基準を満たしていなければ自分に価値を見出せないのだろうか。
そして、世間的な基準に当てはめて判断して、その人の内面・性格・思考までわかるだろうか。

くたばれ、先入観。

(※この言葉は、記載したエミリーのインタビューの締めくくりの言葉から引用して用いました🙇‍♀️)

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