小ホラ 第30話
心霊居酒屋
岩橋が心霊話を仕入れて来た。しかも写真付きで。
「ほらな、ここ」
居酒屋の店内を映した画像を指さす。一つのテーブル席に座る『人のようなもの』が映っているが、手ぶれで撮影に失敗したようにも見える。
だが、それだと周囲の景色もぶれてないとおかしい。その写真は『人のようなもの』以外すべてピントが合っていた。
岩橋は神妙な顔つきをしているが、どうも胡散臭いような気もする。
わざとそのような仕上げにしている、つまりフェイクだと俺は判断した。
「で?」
「で? って、才能ないホラー作家志望の親友のためにネタを仕入れて来てやったんだぜ」
「さ、才能ない? 親友がディスるか?」
「ディスりじゃねえよ。真実だ」
岩橋は豪快に笑った。
俺は舌打ちした後、やつが持参した缶ビールを喉に流した。久しぶりのアルコールが体に滲み込んでいく。
「じゃ、お前もこの写真で騙されてるんじゃないか」
「いや、これオレが撮ってプリントした写真。つまり当事者ってわけ。
けど初めは友達の友達に聞いたってような話で、オレも信じてなかったよ。だから実際見に行ってカメラで撮ったんだ。で、これが写ったってわけさ。マジもんだろ?」
「そんなで、わかるかっ」
ふんと鼻で嗤って、これも岩橋持参のつまみを口に入れた。
ちゃんと味のあるものを口にしたのは何日ぶりだろう。
ここ最近ずっと白米だけ食べていたから。しかも残りが少なくなってきているのでほんの一握りずつ――
「それがマジなんだって――ところで田舎の親御さん元気? 米送ってくれてんの見たら元気なんだろうけど」
岩橋が隅に置いた米袋に気付いたらしい。
「元気過ぎるくらい元気だよ。米だけしか送ってくれないけど」
「おいおい三十まわった大の男にそうそう米も送ってくれないぜフツー。孫でもいれば何でもかんでもホイホイ送ってくれるかもだけど。
ろくでもないお前にこれでもずいぶんな期待かけてくれてるんだよ、きっと」
「お前の言葉、なんかいちいち引っかかるな」
かっとなった俺は岩橋に空いた缶を投げつけようとしたが、思いとどまり底に残っている雫をすすった。
「情けないな――おい、谷本。お前まだホラーで一旗揚げてやるとか思ってんだろ」
「もう思ってねえよ。何も思ってねえから、すべてにやる気が出ねえんだよ」
「そうだよな。お前ホラー一辺倒で生きてきたもんな。それを糧にできなかったら人生見失うのも当然だ。
というわけで、この大親友がネタを仕入れてやったんだ。いっぺんその居酒屋に行こうぜ。
詳しくは誰も知らないらしいんだけど、居酒屋にする前は事故物件だったっていうウワサがあるらしい。殺人事件があったとか、自殺者が出たとか――昔から忌み地だったからっていう証言もあるし。ウソかマコトかわからんけど、心霊現象は本物だ。
な、行こうぜ」
「いや、別にいいよ」
「あ? 担がれてると思ってるのか?」
「うん? まあ――」
「ホントにホントなんだって。それで店長もオーナーも困ってるんだから。来客数が減ってくるし、店員たちもすぐやめていくし、霊障のせいか店長たちの心身も具合が悪くなっていくしで――」
「でもなぁ、俺、霊感ないからなんも見えん」
「ところがこれが誰でも怖い思いするんだってよ。オレだって背中の怖気がまだ取れてないんだ。
な、一度経験してみろ。心境が変わって新たな着想が生まれるかもしれないぜ」
「あーいや――ていうか、行く金がないんだ。教えてくれたお前に協力費として奢らないといけないしな」
「なんだよ、なんだよぉ。オレに気を遣ってくれんのか? まだそんな気持ち残ってんだな。
よしわかった。オレが奢る。で、オレへの奢りは出世払いでいい」
というわけで岩橋に誘われ、その居酒屋とやらに後日行ってみることになった。
「な、なんか異様な空気だろ?」
店に入ったとたん、岩橋が訊いて来たが、やはり俺には何も感じなかった。
危険だと怯えながら止めようとする店長を無視して、何事も経験だと岩橋が俺を件の席に座らせようとする。
「お前本当に俺の親友か?」
なんて奴だと呆れながらも、どうでもいい人生を生きている俺はためらいもなく座ってみた。奴のおごりで来ているのだから逆らう理由もない。
座ったとたん、ぐにゃりと空間が歪むように目が回ったが、それ以外になにもなく――いや、身体の奥から力がみなぎり、頭の中で浮遊したまままったくまとまらなかった恐怖に関するワードたちが自ら整列し、どんどん文章になっていく。
書きたい。早く帰りたい。
「どう?」
興味津々で岩橋が笑顔を向ける。
「いやなにも」
俺は素知らぬ顔をした。
実際執筆の欲求以外何もなかったので、これは心霊現象ではなく、岩橋の言う通りただの心境の変化だと思ったからだ。
「なんだつまらないな。お前、本当に大丈夫か? こんなことも感じなくなってしまったのか? 曲がりなりにもホラー小説書いてんだろ? もっと真剣に興味を持ってだな――」
説教しながら岩橋が向かい席に座る。
戦々恐々と見物していた店長と店員たちがいっせいに「あっ」と叫んだ。
「――なんのために俺がここを紹介したと思ってんだ。どん底のお前を心配してだな――」
「ちょ、岩橋さん」
俺に説教し続ける岩橋に向かって店長が話を遮った。
「なに? オレ今こいつを諭してんですから黙ってて――」
「あの――その――何ともないんですか? 以前、そこに座ったお客さん突然泡吹いて倒れて救急車呼んだこともあるんですよ」
「え? 別になんもないけど――」
ぽかんとする岩橋に俺は笑った。
「ほら、お前もなんもないじゃん。ははは」
「あ、ほんとだ。ははは」
俺たちの笑い声につられて店長たちも笑い出し、その後も何もないまま、その席で酒と晩飯を奢ってもらい家路についた。
数日後、岩橋からあの店に行かないかと誘いの電話があった。俺も行きたくてたまらなかったが、先立つものがなく、かといってこちらから誘っておいて奢ってくれとまでは言えない。
逸る気を抑えつつも奢りかどうかをしっかり確認して承諾した。我ながら情けないと思うが仕方ない。
なぜ俺があの店に行きたくてたまらないか?
その理由はあれから帰宅後、いそいそと原稿用紙に向かったのだが、みなぎっていた創作意欲がまったく消えてしまっていたからだ。あの時浮かんでいた言葉や文章を思い起こそうとしても煙のようにつかめない。
あれは心境の変化ではなくて霊現象だったのかもしれないと俺は推測した。なぜそんなことになるのかはわからないが、もしそうなら俺にとっては素晴らしい現象だ。
もう一度あの感覚を味わいたい。できるならあのテーブルで執筆したい、そう願っていた。
俺は原稿用紙と筆記用具をバッグに入れて部屋を出た。
「いらっしゃいませぇ、お待ちしてましたぁ」
待ち合わせしていた岩橋とともに入店すると店長の表情がいっきに明るくなった。
さあさあと急かされ、件の席に座らされる。
「ああ、やっぱり――」
店長はほっとした表情でそう言い店員に目配せするとまだ注文もしていないのにビールとツマミの入った皿が出てきた。
「連れて来て下さってありがとうございます」
岩橋に向かって店長が頭を下げる。
「いやいやお安い御用ですよ」
そう言いながら岩橋が俺の向かいの席に座った。
店長がいったん笑顔を消し、意味ありげな視線を岩橋に送る。岩橋が指でOKサインを出した途端にさっきよりも破願した。
「なにどういうこと?」
二人の顔を見回すと岩橋が笑う。
「店長が言うにはね、もしかしてお前がいたら店が浄化されているんじゃないかって言うんだ」
「そうなんです。この間谷本さんたちがいる間、店内のどんよりとした重さが消えていたんです。空気が清々しくて僕たちも動きやすくて――奇妙な現象が起こることもなかったし。でも谷本さんが帰った後、店内の雰囲気が元に戻ってしまって――だからあの時、何もなかったんじゃなくて、谷本さんがいることでいいほうに何かが起こっていたんじゃないかってみんなで話し合ったんです。ただの推測だったんですが、今確信に変わりました。目の前が晴れていくように気分がいいです」
そう言って店長は深呼吸した。
それを聞いた俺も自分の推測が確信に変わった。
何故かはわからないが、俺にも店にも良い影響が出るのだ。
「だからさ、お前ここで働けよ」
岩橋がコップにビールを注いで差し出した。
それを呑み干して、
「そんなこと言われてもな、接客業なんかできないし――」
「いえ、開店から閉店まで谷本さんはここに座っててくれさえすればいいんです。もちろん食事もお酒も提供します。ささやかですがお給料も出します。これは私だけでなくオーナーの頼みでもあるんです」
店長は空っぽのコップになみなみとビールを注いで俺の顔を見つめた。
ホラーの書ける場所にずっといられる? しかも食事付きで給料まで出るってか?
俺の胸は期待で高鳴ったが、岩橋にも店長にも悟られないよう困惑を装った。
「でもな――一応俺にも夢があって――」
「お前もうやる気ないって言ってたじゃないか。そうだ、なんならここで執筆させてもらえばいいじゃないか。やる気が出てくるかもしれないぞ」
「うーん」
迷っているふりをしたが心は決まっていた。
涙目で「お願いします」と懇願する店長、離れた場所で自分たちを見守る店員たちを見回してから、俺はゆっくりうなずいた。