ご機嫌取り
自分を愛する
というフレーズをここ何年かでよく見かけるようになった気がします。
自分に優しくする
自分は自分の1番の味方で在る
自分をたまには甘やかす…
勿論それらも自分を愛するという事に入ると思うのですが
わたしの中で自分を愛するということは
どんな自分自身のことも受け入れるというか
俯瞰して見るという事ではないかと思います。
自分自身を知る事
今どう思ってるか本当の気持ちを知る事
『こんな自分…』と思うところも見ていく
そこには良い悪いとか正解不正解などジャッジをするものがなく淡々と俯瞰して
『そうか。今自分はこんな風に感じてるのか、思ってるのか』と知る事。
身勝手な事、貪欲な事、嫉妬、妬み、怒り、狡い事、酷い事、暴言的な事…
蓋をする事なく見る事。
(人にぶつけるのとは違います。それは傷つけに行ってる)
もしそれらを思ってる自分のことを見つめるのもイヤならば
自分自身に条件付きの愛を差し出しているのと同じ気がします。
〝どんな自分も愛する〟って言葉が薄っぺらく感じるような。
泣き出した子供におもちゃやおやつを差し出す前に、なんだろう?と
コミュニケーションがまだスムーズじゃなくても一所懸命何かを訴えている事はわかるはず。
お腹空いたのか、飽きたのか、おトイレなのか、眠いのか、疲れたのか…
自分の伝えたい事が伝わると、泣き止む場合もあるんじゃないかな。
満足してケロッとして遊び出したり☺︎
自分の事を周りに分かって欲しいと求める前に
自分の心に湧いてくる声を聞いてるかどうか。
1番に分かって欲しくて聞いて欲しいのは自分自身なんじゃないかとそんな事を思いました。
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