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はじめてのひとり旅

「 おとうさん、今年は無理かも知れないけど、今度の夏休みにね、ひとりで電車に乗っておじいちゃん家に行ってみたいんだ。」

日曜日の遅い朝食後、リビングのテーブルでコーヒーの芳ばしい香りを楽しみながら、スポーツ新聞の中日ドラゴンズ勝利の記事を読んでいるときに小学4年生の息子が話しかけてきた。

自分も息子と同じ年頃に一人旅をしたことがある。もう、そんな年頃になったんだな、そんな事を昨日のことのように思い出し、それなら息子にも一人旅を経験させてあげようと思った。

よし、まずは時刻表の路線図で何線を使うか調べて見よう。そう言うと、若干食いぎみにそんなのネットで調べた方が早いよ!と、指摘されてしまった。それは勿論そうなのだが、旅の情緒というものが欠けてしまうと思うのは"年代の差"というものなのだろうか。

お父さんの子供の頃はな、列車に乗るといえば時刻表で調べるしか手段はなかったんだ。お父さんのお父さん、つまりお前のおじいちゃんも旅行が好きで、常に最新の時刻表を買っては良く読んでいたんだ。お父さんも試しに見せて貰ったけど、最初は何がなんだか解らなかったよ。でもな、その内時刻表で脳内旅行に出掛けられるようになったんだ。面白いから取り敢えず眺めて見ることから始めればいい。

そんなの見なくても、乗車駅と降車駅さえ入力すれば、チョチョイのチョイだってば。だいたい、脳内旅行ってなに?今はパソコンのマップで世界旅行だって出来る時代だよ。

はぁ。もう情緒の欠片もないな。息子にテーブルの席につくように促しながら、読んでいたスポーツ新聞を四つに折り畳んでテーブルの上に置いた。めんどくさいなぁと言いつつも、素直に席につくところはまだ反抗期ではないということか。

お父さんは『特急とき』が大好きで、よく絵を描いていたんだ。学校でも賞を貰ったことがあるんだぞ。え?『とき』って新幹線の名前じゃないの?という息子に、今はな。上越新幹線の開業で廃止されたんだ。特別記念物の国際保護鳥に指定されている佐渡の朱鷺にちなんだ名前だから、新幹線になってもその名前を残したかったんだろうな。新幹線の愛称募集できまったんだ。と、話をしてやった。

脱線したな。そういうと、息子が、またか?といった表情で見つめてきた。

まあ、大好きな『特急とき』に乗りたくもあったけど、とにかく初めて一人で列車に乗るという不安があったんだろうな。新潟と名古屋間を直通で走る『赤倉』という気動車急行があったから、それに乗って行くことにしたんだ。初めて聞く『気動車』という言葉に首をかしげる息子に話を続けた。
気動車というのはエンジンを積んだ列車のことだ。一部区間で電化されてない場所を通過するからエンジンがないと走れなかったんだ。エンジンだから遅い訳ではないけど、乗車時間は8、9時間ぐらいだったかなぁ?と言うと、げっ!マジで!?超暇じゃん!と、息子は苦虫を噛み潰したような顔をした。

何が暇なもんか、新潟駅を出ると街並みから緑一面の田園風景が広がるんだ。青々とした稲穂と稲架木(はさぎ)のある景色、稲穂を駆け抜ける風の香り、それを抜けると次は日本海が見えるんだ。日本海と言えば荒波のイメージだか、夏の日本海は割りと穏やかでキラキラと輝いていて綺麗なんだぞ。
長野県にはいると山並みに変化するんだ。木々だって杉ばっかりじゃないぞ。セミの鳴き声だって。川の表情も場所によって全然違う。同じ景色なんてひとつもないんだぞ。それに、隣に座ってくる人達がみんないい人たちで、子供の俺をみて口々にどこまで行くの?偉いねぇ、と言ってお菓子とかミカンとかお裾分けをくれたんだ。今じゃあそれも憚られる世の中になってしまったけれども。

大体、旅行ってのは行くのだけが目的じゃないんだぞ。その前の計画から道中の出来事も引っくるめて旅行なんだ。道中に困った事があっても、その時は本当に大変だったりするけれども、後になればそれがいい思い出になるんだ。新幹線で行けば時間の短縮にもなるけれども、旅の魅力もその分縮こまったものになるんだ。

やだ、つまらないよ。早くおじいちゃんの家に行けた方がいいよ。沢山遊んでもらえるし。それに…。それに…なんだ?アイスクリームとかジュースとか飲ませて貰えるから、か?ち、違うもん!そう言いながら、息子は口を尖らせながらそっぽを向いた。

確かに息子の言うことにも一理ある。自分もそれに期待していたし、プールや川遊び、昆虫採集にも連れていってもらっていた。違うのは、父が脚を悪くてしまった事だ。自分が小さい頃こそプールとかに連れていって貰っていたが、脚を悪くしてからというもの、好きな旅行に行くことも少なくなってしまった。それでも、孫が来てくれたのが嬉しいのか、アイス買いに行くか?と、口癖のように言っていた。


時代の流れには抗えないのか、高速鉄道網の発達の影響で『急行赤倉』は廃止されてしまった。今では新潟と名古屋を直通で結ぶ列車はないが、そのうち北陸新幹線が新潟と京都を結べば…と期待する。もし、開通したら列車名は何になるだろう?『らいちょう』『はくちょう』あたりを引き継ぐのか、かつての上越新幹線の『あさひ』が復活するのだろうか?でも日本海と言えば『ゆうひ』なんだよぁ。京都に向かうから『こと』なんていうのもアリか?まあ、利用者数を考えると非現実的な話だし、その頃には列車に乗る必要なんてなくなっているだろうけども…。


…うさん、ねぇ、お父さん、息子の呼ぶ声に我に帰った。ぼくのひとり旅の話はどうなったの?ああ、そうだったな。ごめんごめん。そう言って、スマホを取り出してアプリを立ち上げたら、時刻表じゃないじゃん!と息子が叫んだ。


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#第2回THE_NEW_COOL_NOTER賞
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