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C.G.ユングを詠む(011)-神と悪魔:『死者への7つの語らい(1916)』から

『死者への7つの語らい(1916)』

『死者への7つの語らい』の邦訳は、「ユング自伝2」の付録として収録されていて、これはユングの死後に発表された著作になる。

今回はその第Ⅳ章の感想メモになる。

この第Ⅳ章はユング自伝2付録Ⅴに入っていて、2世紀の初期に実在したグノーシス派の教父バシリデスが、エルサレムから帰ってきた死人たちに教えを説く形式で書かれている。

河合隼雄著「ユングの生涯」によるとこうある。

「すべての私(ユング)の仕事、創造的な活動は、ほとんど50年前の1912年に始まったこれらの最初の空想や夢から生じてきている。後年になって私が成し遂げたことの全て、それらの中に含まれていた。」49%

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河合隼雄著[ユングの生涯」

ユングの心理学的基盤が完全に出来上がったものと評されるので、この付録Ⅴを本編より先に読んでいる。

◎ユング自伝付録Ⅴ、第Ⅳ章
Ⅱ章では、私(教父バシリデス)によって、死者たちの信じている神の上位にアプラクサスと言う神が、彼らの神と悪魔の上位にあると説かれて、死者たちがパニックに陥った直後から始まる。更に第Ⅲ章では、至高の神、アプラクサスについて説明をもらったところで終わった。
 
ここで登場する死者とは、ユング自伝2付録Ⅴ、I章で登場したエルサレムへ行ったが、探し求めていたものが見つからず私(教父バシリデス)の家に訪れて教えを請うてきた者たちである。代表的な説明はこんなものであった。

アプラクサスは知ることの難しい神である。
その力は、人間がそれを認めることができないので、最大である。
P251

人は太陽から最高の善(summum bonum)を,悪魔からは最低の悪(infimum malum)を経験するが、アプラクサスからはあらゆる点で不確定な「いのち」、前と悪との母なるもの、を経験する
P251

アプラクサスは太陽であると同時に、虚空の永遠の吸い込み口であり、避難するもの、切断するもの、悪魔である。
アプラクサスの力は二面的である。しかし、お前たち(死者たち)の目には、その互いに対抗する力が相殺されてしまうので、それを見ることはできない。
太陽の神の語るところは生であり。
悪魔の語るところは死である

アプラクサスは、同一の言葉の中に、真と偽、善と悪、光と闇を生み出す。従って、アプラクサスは、恐るべきである。
(中略)
神は太陽の後に住み、悪魔は夜の背後に住む。神が光からもたらしたものを悪魔は夜の中に引き込む。しかし、アプラクサスは世界である。その去来そのものである。太陽の神のすべての恵みに、悪魔はその呪いを投げかける。
お前たちが太陽の神に請い求めるものはすべて、悪魔の行為を呼びおこす。
お前たちが太陽の神にと共に創り出すものはすべて、悪魔の働きに力を与える。
P252~p253

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第Ⅳ章は、こんなふうに始まる。

死者たちは呟きながらその場を満たし、そして言った。我々に神と悪魔について語れ、呪われたるものよ。
P253

ユング自伝2
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神と悪をアプラクサスの前に同等に位付けしてしまった者に対しては、神の信者からはグノーシス派の教父バシリデス(ユングの代弁者)を呪われたものと呼ぶのであろう。彼の説明はこんなふうだ。

神を1つにしたことに否定的な説明が続く。一神教教徒の方は読まない方がいいかもしれない。

太陽の神は最高の善であり、悪魔はその対である。かくて、お前たちは二人の神を持つ。
P253

ユング自伝2
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ユングの持つ、神と悪魔を対等もしくは、悪魔を神の子として位置付けるイメージは、ゲーテの戯曲「ファウスト」の影響を受けている。神と悪魔の説明は続く。

しかし、まだ多くの高い善や重大な悪魔が存在する。それらを元に2つの神=悪魔が存在し、一つは「燃えるもの」であり、他は「伸びゆくもの」である。

燃えるものは炎のかたちを持つ「エロス」である。それは焼き尽くしつつ、光り輝く。

伸びゆくものは「生命の木」である。それは成長し、活力の成分を蓄えつつ、青々としている。

エロスは燃え上がり、その中に死ぬ。しかし、生命の木は測り難いときを通じて、ゆっくりと常に成長する。

善と悪は炎の中に一体となる。
善と悪は木の成長の中に一体となる。
P254

ユング自伝2
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これは分かる。エロスと生命に善悪の色はつけられない。

その神性の中に、生命と愛は相対立する。
P254

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これは、私にはわからない。生命と愛の対立とはどんな対立だろうか。

神と悪魔の数は、星の集まりと同じく数え難い。
星の一つ一つが神であり、星の占める一つ一つの空間が悪魔である。
しかし、全体の虚空は「ありのままの存在」(プレロマ)である。

その全体の働きはアプラクサスであり、ただ非現実のみがそれに対抗している。
P254

ユング自伝2
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アプラクサスの対立が非現実という説明が他の章でも出てくるが、私にはまだ解釈できない。至高の神アプラクサスの対立するものが、非現実とはピンとこない。

四は主要な神の数である。なぜならば、四は世界を測る数であるからだ。
一は始まりである、太陽の神である。
二はエロスである。なぜならば、それは二を結合し、輝き広がるからである。
三は生命の木である。それはその体で空間を充たすからである。
四は悪魔である。なぜならば、それはすべての閉じられたものを開き、すべての形を持ち体をなすものを溶かす。どれは破壊者であり、全てものを無に帰するからである。
P254

ユング自伝2
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単純すぎて何を説明しているのかわからない。21世紀にユングも生きていれば、違った世界観を持つのではないかと思う。

神を一つにしたことに対して、批判的な説明がこここら始まる。あくまでユングが書いたものとして受け止めてほしい

神々の多様性について知らされたことは、私にとって幸いであった。

お前たちがこれらの一致し得ない多様性を一つの神に置き換えたことは禍である。

お前たちは不可解という苦しみを作り出し、その本質と目標が区別することにある「考える実存」(クレアツール)を損なうことになる。

お前たちは、多を一に変えようとして、自分の本質にいかにして忠実でありうるのか、お前たちに神々になしたことは、お前たちにも生じるのだ。

お前たちはすべて一様となり、かくてお前たちの本質は損なわれる。
P255

ユング自伝2
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この説明は非常に腑に落ちる。人間は一様ではない。それを一神教の神と同じで個性を無視して一つにしてしまうのは拒否したい。と、私は思うのだが、ユングは神こそ一様さが保たれないという。むしろ神々の多様性に人間が対応できないと考えていたようだ。

一様さは人間ために保たれようが、神のためには保たれない。なぜならば神々は多く、人間は少ないからである。

神々は強く、その多様性に耐えている。というのは、彼らは星の如く孤独で、互いに恐ろしく離れて住んでいる。

というのは、人は近くに集まって住み、その特殊性を担うために共同を必要とするからである。救いのために、私は受け入れ難いことを教えた。このために私は受け容れられなかった。

神々の多さは人間の多さに対応している。

無数の神々は受肉を待ちこがれている。無数の神々は人間であった。人間は神々の本質を分有している。人間は神々から来たり、神へと去ってゆく。
P255

ユング自伝2
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程度の差こそあれ、神ほどではないにしろ、やはり人間も多様とは考えていたようだ。

かくて、「ありのままの存在」(プレロマ)について思いを巡らすことが無益であるように、神々の多様性を崇めることも無益である。

少なくとも、第一の神、活動する充満、最高の善を崇めることは良いことだ。我々は祈りによって、それに何かを加えたり何かを取り去ったりすることはできない。
P255

ユング自伝2
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この“最高の善”とは何だろう?
ユングの説明が是非聞きたいところである。

というのは活動する空虚が全てを呑み込むからである。輝かしい神々は天界を作る。それは多様で果てしなく広がり、増加する。その最高の神が太陽神である。

暗い神々は地界を形づくる。それは単一で、限りなく縮小し、消滅する。その最低の神が悪魔である。悪魔は月の精、地球の衛星であり、地球よりも小さく、冷たく、死んでいる。

天界と地界の神の間に何らの力の差はない。天界の神は拡張せしめ、地界の神は縮小せしめる。両者の趨勢は測り難い。
P255~P256

ユング自伝2
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ここで第Ⅳ章は終わる。

プレロマとクレアツールとは何かを再再掲しておく。

ユングを詠む(009)から再掲。

プレロマとクレアツールについてもう少しわかりやすい言葉に置き換えてみよう。
C.G.ユングを詠む(008)の説明を別な言葉で置き換えたものを文末に掲載しておく。私自身は言葉を置き換えることで、ずっとユングの多分言いたいことが腑に落ちた。

プレロマとは一見矛盾というか、相反する概念を包含した存在、あるがままの状態と捉えたらいいというのが、目下の私の解釈。「ありのままの存在」ということにする。なんだかんだ言っても対立や矛盾を含み混乱・混沌とするのが現実。それを「ありのままの存在」という。

プレロマを「ありのままの存在」と言い換える。
ここであなたの心の中にしかないイメージや空想・妄想・誤解釈もあなたの中にあるということで「ありのままの存在」とする。

で、次はクレアツールは「考える実存」と言い換る。
クレアツールは言語ではCREATURで生物のこと。ユングは生物とは言い切らず訳のわからない説明をしている。ただ、実存主義の「実存」に近いように見受けられる。

実存主義者の実存という言葉に対する説明は色々と違っているが、私の感じる共通のイメージは、意識があるとか、意志があるとか、心があるとかいった存在にとれる。

例えばミドリムシやミミズでも生きようとする意志があるので実存と思う。実存と言ってしまうと、これまでの「実存」と区別がつかないので、わざわざ「考える実存」とした。

石ころや金属の塊のようなものは意識や意志や心があるようには見えないので、「ありのままの存在」になる。

C.G.ユングを詠む(009)-神は死んでいない:『死者への7つの語らい(1916)』からhttps://note.com/no1coach/n/n173d2f397b64


<<<<投稿済の内容>>>>

⭕️C.G.ユングを詠む(001)
1.Carl Gustav Jung (1875-1961)
⭕️C.G.ユングを詠む(002)-自伝
2.ユングの自伝
3.ユングの故郷スイスについて
4.両親の影響
5.三歳で見た六十五歳まで秘密にした夢
6.ユングの子供時代の秘密
⭕️C.G.ユングを詠む(003)-少年期
7.変わり者ユング少年
8.もう一人のユング
9.牧師であるユングの父との葛藤
10.ゲーテの戯曲「ファウスト」の影響
⭕️C.G.ユングを詠む(004)-人格No1と人格No2
11.人格No1が主であり人格No2はNo1の影
12.父親の死
13. ブルグヘルツリで出会った患者
14.結婚
⭕️C.G.ユングを詠む(005)-フロイトとの交流
15.精神分析-フロイトとの交流
16.夢分析-フロイトとの交流
17.フロイトの彼の弟子たちへの評価
⭕️C.G.ユングを詠む(006)-無意識との対決
18.「お前の神話は何か」―無意識との対決
19.ユングの心象風景
⭕️C.G.ユングを詠む(007)-アニマ
20.老賢者フィレモン
21.アニマ
22.無意識との対決の収束
⭕️C.G.ユングを詠む(008)-プレロマとクレアツール:『死者への7つの語らい(1916)』から
⭕️C.G.ユングを詠む(009)-神は死んでいない:『死者への7つの語らい(1916)』から
⭕️
C.G.ユングを詠む(010)-至高の神:『死者への7つの語らい(1916)』から

ユングを詠む


この後の内容。

第Ⅴ章では、教会について。
第Ⅵ章では、性のデーモンという言葉が語られる。
第Ⅶ章では、人間について。

だんだんと何のことかわからなくなってくるが、私の勝手な感想を書いていく予定。

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こころざし創研 代表
ティール・コーチ 小河節生
E-mail: info@teal-coach.com
URL: https://teal-coach.com/
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