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誰もが不幸に

僕は双極性障害の当事者としてピアサポートを続けている中で最近、特に感じることがある。
それは今の精神科医療と福祉のままでは誰も救われないのではないか…ということ。
先日も静岡にある精神科病院で虐待が発覚した。
この手の事件は頼んでもいないのに定期的に発覚する。
ということは氷山の一角であり常態化している可能性がある。
古くは宇都宮病院事件に始まり大和川病院事件や神出病院と悪質かつ性懲りもない病院が今も後を絶たないのは精神科特例によるところが大きいと思う。
(参照:地域精神保健福祉機構HP)

要するに精神科医療を可及的速やかに整備するために厚労省が人員配置などを他の医科よりもかなり少なく設定して良いというかなり乱暴な通知を1958年に出していて今も変わらず残っている化石みたいなルール。
言うまでもなく優生思想による時代錯誤なルールが今も変わっていないというのは治療ではなく収容という位置づけが未だに変わっていないことになるので人権もへったくれもあったものではない。
昨年、障害者権利条約の審査で国連から強制入院などについて改善勧告が出たけれど厚労省は日本精神科病院協会の猛反発を受けて尻すぼみしてしまった。
恐るべし、日本の精神科医療。

で、僕は数年前にこのことを知ってからずっと考えていることがある。
それは働く側が過酷すぎるということ。
殴られても文句は言えないけれど殴り返したら大問題になる環境だと当たり前のことをボヤく医療関係者がいるくらいだし、
実際、慢性的に人手不足だと思う。
もちろんそれを理由に拘束するのは問題外なんだけど
そうでもしないと手が回らないくらい過酷、いや劣悪な労働環境になっているのも現実としてあると思う。
患者の権利は守られても労働者の権利が守られていないことによるストレスは心や理性を壊していくブラックな環境になっていく。

当然ながら地域の精神保健福祉は医療が絶対的な力を持っているから法人によっては隷属に近い関係性になっていて本人が望む生活とはかけ離れた支援しかできないのをこの目で見てきた。
本人の意志を恣意的に変えて支援計画を立てるので地域生活が忍耐の連続という人もいたし、
家族の望む形で支援をしていて逆らうと「不穏」と言われて入院をチラつかせてきた…なんて人もいた。
目に覇気がない、というより生気がなくてどっちが当事者か分からないような支援者もちょいちょい見てきた。

誰一人として幸せではない。
そんな現実が精神科医療にあるのではないか。
幸せなのは製薬会社と組んで講演ばかりしている不真面目な医者くらいだろう。
この状況を根本から変えない限りウイルスのように不幸は広がり続けていくと思う。

ワークライフバランスとかライフウェルネスという言葉から数光年かけ離れた環境でも信念を持っている人たちを守らなければ未来永劫この連鎖は続く。
だからといって今すぐ精神科特例を撤廃すれば廃院になるところも出てくるだろうし、
それこそ日本精神科病院協会がチラつかせてくる行き場をなくした患者をどうするのかという問題も起こる。
(ちなみに長いこと入院させられていて駅の改札が今でも有人だと思っている人がいた)
こうした極めて深刻な問題を解決するためにはそれぞれの立場を超えて同じ立ち位置で話し合っていくしかないと僕は思う。
対立している限り解決することはないと思う。

とかく僕ら当事者は自分たちの権利を掲げることはあれど相手の権利についてまで意識を持っていくことができていないのではないだろうか。
そろそろ喧嘩をやめて共に考えていく時期なのかなと思う。

当事者と良識ある精神科医療、福祉従事者が手を組めば変えることができると思うのは楽観的過ぎる綺麗事なのかな。

仮にそうだとしても僕はもう喧嘩に飽きたし疲れた。
大変だけど幸せを感じることができる。
お互いがそんな風になったら良いなぁと思いながら僕はピアサポートを続けていく。
「Peer」とは「仲間」という意味なんだから同じ想いを抱いていたら疾患の有無にこだわらずやって行けたらいいじゃん。

ってなところで今日はここまで。
いつも僕の雑文に目を通してくださって本当にありがとうございます。

では…お約束の…
アディオース!

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