見出し画像

ロケット&サブマリン~僕の双極性デイズ~ピアの扉編

ところで僕は双極性障害に関する専門書をほとんど読んでいない。

せいぜいDSM-5に目を通したくらいだと思う。

もちろんピアスタッフだったこともあるので障害者総合支援法や精神保健福祉にまつわる制度などは把握しているけれど、

それも自分が法律や制度を活用するためという前提だったりするので相談を受けて分からないときに調べていることが多い。

というのは専門的な知識は精神保健福祉士(PSW)に任せておけばいいし

僕の仲間にはけっこうな数のPSWがいるので必要であれば繋ぐことができるからだ。

それよりも僕は僕自身の経験でサポートをしていきたいという信念がある。

乱暴な言い方になるけどPSWは勉強すれば何とかなる。

もちろん簡単とは言えないけれど(合格率はだいたい6割)

一方で精神障害当事者というのはなりたくてなれるものではないし

そもそもできればなりたくないと思う。

そして100人いれば100人の異なる経験がある。

だったら僕は経験で行こうと決めた。

その代わり一切のNGを取っ払った。

他の人に聞いたらひんしゅくを買うようなことでも僕は聞かれたら気にせず答える。だって相手が知りたいんだから。

実際、本の中で僕は双極性障害のことはもちろんカミさんとの生活、金銭的に困窮したこと、果ては性感染症になったことも書いた。

そこまでするのは結局、僕のようなピアサポーターというのは資格職が幅を利かせる福祉と医療からすれば野良、雑草でしかない。

だからどうやっても専門家には及ばない。

人間性を疑うような人でもやる気ゼロでも資格があればやっていけるという世界、教師とほぼ同じだ。

そういう現実に何度も直面した経験があるので僕は自分が飲んできた薬のことや使ったことのある福祉サービスの問題点を徹底的に把握した上で自分の性格と真正面から向き合っている。

性格が一番の問題だったかもしれないけど…はは…。

そしてあったら良いだろうなと思うサポートやワクワクするような企画を考えてあれこれと試している。

さて、ここまで読んでくださった方には僕がまるで意地っ張りのように見えるかもしれない。

大正解。意地っ張りなパンクスおぢさんです。

その理由は僕がピアに出会ったきっかけから始まります。

さて前回、僕は就労移行支援事業所に通所し始めたところまでを綴っているのですが、

ここに通っていなければ僕はピアの扉どころか永久に知らないままだったかもしれない。

これまで僕はほとんど福祉とのつながりはなく自立支援医療の更新で区役所を訪れる程度だったので、初めて受ける対人支援というのはものすごい衝撃だった。

とにかく些細な困りごとでも聞いてくれてアドバイスをしてくれるという存在は会社組織にはカウンセラー以外に存在しないと思うし、

よほど付き合いが深くない限り友人や恋人でも難しい。

最初はもちろん何を相談していいのかもわからずモゴモゴしていたんだけどそんな時は向こうから色々と投げかけてくれるので自然と相談を切り出すようになっていたし、家事の負担を軽減できるコツのようなものも教えてくれたりしてずいぶん助かった。

そして何となくこの福祉という世界に興味を持った。

というのも今まで僕はずーっと人の役に立ちたいという気持ちが根底にあったから。

いやもちろんどんな仕事でも誰かの役には立つし仕事だけが人の役に立っているわけじゃない。

ただ僕は明確に人の役に立つ仕事で食べていきたいとずっと思っていた。

特に二度のうつで利益追求型の組織には向いていないことに気付いた一方で利益を求めない仕事なんてあるんだろうかと首をかしげていた。

それが見つかった。

僕は思い切って担当職員に上に書いたことを伝えた。

そして最初のほうに書いた通り資格がモノを言う世界だと知るわけです。

しかも僕は高卒なのでPSWの受験資格すらない。

実に短い夢でした。

そんな僕に担当職員が教えてくれたのがピアだった。

当事者が自分の経験を活用して同じように困っていたり苦しんでいる人のサポートをするという仕組みなら僕にもできるかもしれない。

ただし全国的に見てピアで食べていけている人は極めて少ないので正直、ものすごく難しいと言われた。

この言葉で僕の頭に浮かんだのは座右の銘としている「一途バカ」である。

バカと呼ばれるくらい一途になれ。

あの時、自分を鼓舞した言葉が舞い戻ってきた。

ものすごく難しいということは不可能ではない。

さしてやりたい仕事があるわけじゃないし、やりたくない仕事は続かない人間なので中途半端に就職するくらいなら玉砕覚悟でピアで食べていくという道に挑んでみようと思った。

例えばピアスタッフになることがラスボスクラスの手ごわさだったとしても利用期限の1年後までに僕がLv50くらいまでレベルアップしていれば何とかなる。そんな感じで考えていた。

ただし。

普通に1年通っていたんではLv25くらいまでしか上がらない。

僕は健常者として働いた経験はあるけれど精神障害者として働いたことがないのでLv1みたいなものだ。

ちょっと不安はある。

けどやるだけやってダメなら諦めもつく。

どうせ後悔するならやってからにしたい。

2012年11月。

僕にとって勝負の1年が幕を開けたのだった。

ってなところで今日はここまでにしておきます。

今回はいつもより少し短めにできたとはいえ

最後まで読んでくださってありがとうございました。

次回は就労移行支援事業所の鬼軍曹について綴ろうと思います。

どうぞほどほどにご期待ください。

それでは!アディオース!!




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?