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20歳で赤ちゃん戻りした8月のあの日

8月は、私が20歳の2年前に 摂食障害で初めて入院を経験した月だ。私にとってこの入院は、人生が振り出しに戻ったと同等の経験だった。

低体重と筋力低下によって、動かなくなった足腰。一日中ベッド上、車椅子生活。ハタチにしてオムツ。寝返りがうてないので、1人で寝ることもできない。まるで「赤ちゃん」に戻ったようだった。

物理的(身体的)な逆戻りもあったが、社会的にも同じことが言えた。看護師さんは、私に「赤ちゃん言葉」で接してくる。優しい声…というよりは、猫撫で声で、様子を伺ってくれる。

「入院患者」として、そういった優しい対応をされることは当たり前なのかもしれないが、初めて入院という経験をした20歳の私にとって、それはすごい違和感で、なんとなく侮辱されている気分だった。

「もう子供ではないのに」という思いとは裏腹に、着替えをさせてもらっている自分の身体とのギャップに困惑した。
脳では「自分は子供ではない」と思っているのに、身体は「助けがないと動かない」。
また、脳では「歩ける」と思っているのに、実際は「立つことさえできない」。

自分の中に「赤ちゃんの私」と「自己を持った大人の私」が共存していて、そのどちらが本当の自分なのか分からなくなっていた。

病院では様々なルールがある。
立つことができるようになるまでは、ベッドから勝手に動くことは許されない。部屋の中にあるものを取る際にも、看護師さんを呼ばなくてはならない。1日の水分を取る量も規制がある。体力を消耗すること(読書やスマートフォンをしようすることさえ)もしてはならない。これが治療である。

なにもかもが受け身で、してもらう側だった。看護師さんに対して、申し訳ないという思いばかりで、「すみません」と連呼していた。
そういう意思は、はっきりしていたので、してもらうことに恥ずかしさがあった。看護師さんは「それが仕事だから」と仰っていたが、私は患者ではなく、1人の人間としての意識が強すぎて、耐えきれなかった。

私は本当に何もできない人間になってしまったのだと呆然とする日々だった。夏なのに肌寒い部屋の中で、窓の外を眺めて、過去を振り返ることしかできなかった。

入院した当初は、なぜか、走馬灯のように、小さい頃の記憶から最近の記憶までが振り返られ、良いことより後悔することの方が多く、涙が出た。
この病室から一生出られないように感じ「生まれ変わったら、ああしたいなぁ」など、未来への期待より「たられば」の回想しかできなかった。

自己があるにも関わらず、自己を砕かれるように扱われることは、こんなにも悔しく、情けなく、大変なことなのかと思った。

このように書くと、看護師さんが不当に扱っていると誤解されそうだが、そうではなく、これを「仕事」として担ってくれる方がいることの重要性も強調したい。

もし、この病院での「治療」を自分の父母や、自分をよく知る人にしてもらっていたとしたら、私はもっと「本来の自己」と「赤ちゃんのような自己」との分別がつかなくなっていたと思う。
心を許している人に世話をしてもらっていたら、甘える自分がどんどん強くなり、治るどころか完治から遠退いていただろう。

私は、3ヶ月という比較的、長い期間の入院であったが、それでも自我を持って明るく方向転換できていけたのは、第三者の病院のケアがあったからだと思う。

大人の仲間入りをした20歳の年に、自我と葛藤をできたことには意味があった。

猫撫で声の看護師さんに嫌悪感を抱いていたが、しんどい時にはその声に嫌悪感は何故か無かった。

本来の自我とは「赤ちゃん」のような私なのか、「赤ちゃん」のように扱われることには違和感を抱く私なのか…。

退院が近づくにつれ、過去を振り返るより、将来について考えることができるようになった時、その答えは出た。

心身ともに健康になった時、自我も安定する。これが、本来の私である。しかし、身体と精神が正常でない時は、自我の捉え方も異常である。

退院時、正常になった私は、人生をこれからまた再スタートするやる気で満ち溢れていたことを覚えている。

「赤ちゃん」になって、リセットされたことは案外悪いことではなかったのだと思う。


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