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私は私で生きていきたい


見た目で判断するのも判断されるのも心底嫌いである。


ブサイク、かわいい、太ってる、痩せてる。そんな外側の評価が大嫌いだ。


そんなことより、内側の心の優しさだったり、唯一無二の才能だったり、何かに詳しかったり、いきいきと生きていることを感じられる人の方が好きだ。


だけど、無意識のうちに「あの人は可愛いから」「あの人は美人だから」「スタイルがいいから」自分と他人の差の起点を外見のせいにする。


自分が自分らしく生きられないのは、自分が好きなように生きられないのは、劣った見た目を理由にしたがる。


生まれ持ったこの顔はどうにもならない。しかし、体型はコントロールできる。世間一般的に受け入れられるのは「痩せ型」である。私はどうしてもそれに依存する。


痩せに依存するとは、食制限に依存することにも繋がる。制限に依存すると、人はどうなるか。大きな反動が起こる。自分の中で抑え込んでいた欲望が一斉に解き放たれ、逆へ逆へ向かおうとする。


悩ましいことに頭は「痩せ型」を維持したいまま、反動が起こるものだから、綱引き状態で、脳内は一体どちらの方向へ行きたいのか分からず混乱状態だ。


痩せることへの依存と食べることへの依存は共存できないのに、どちらの欲求も最大限で起こっているからおかしなことになる。食べることを辞めなければと思えば思うほど、食べる手が止まらなくなる。


よく、薬物依存に例える人がいるが(もちろん、使用したことはない)罪悪感を抱えながらも食べることで心が満たされる様は、言い得て妙だろう。



冒頭にも書いたように、私は人を見た目で判断するのは嫌いである。痩せた人が皆綺麗とは思わないし、太った人が醜いとも全く思わない。


しかし何故か、それが自分には当てはまらない。痩せていなければならない。その呪縛から抜け出しきれずにいる。


「能力や内面の美しさを磨け」と言われても、痩せた自分が認められる体型が基礎にあって、やっと、そこに目を向けられるようになるのだ。自分が認められない体型の自分は価値がなく、なんのやる気も出ない。そんな異常な考えを持つ。


甘えているだけだと思われるが、本人は大真面目にそんな考えを持っている。


これはもう思考の癖で、こびりついたものだから、強力な研磨剤のようなきっかけや、上塗りされる価値感を見つけなければ一向に変わらない。


たくさんのそこから抜け出した方のエピソードを見ても、やはり、出会いや環境の変化は大きいのだろうと思う。自分の居場所を見つけた人は、本当に強いなと感じる。


それとともに、本人の意思の強さ。思考変える、視点の方向を変える。覚悟がないとできない。初めは、歯を食いしばる思いだろう。



摂食障害。なったきっかけは人それぞれだけど、抱える苦しみの理由は皆似ている。人にかけられたのではなく、自分でかけた呪いなのに解くのが難しい。


私も未だにもがき続けているが、同じ苦しみを持つ人、新しく出会ったキラキラする考えを持った仲間、憧れる人を見つけ、以前より私を私で生きられている気がする。


外見に囚われないで、もっと、私は私で生きていきたい。

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