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『セヴン・アイズ』第4話

その日はライブが始まる前から
何だか空気がおかしかった。
先ほどまでがらんとしていたフロアを
埋め尽くす客は、まだ誰もいないステージを前に
妙に殺気立ち、そのぴりぴりした空気は、
今夜何かか起きることを予想しているようであった。

無言のままステージに登場した4人が、
押し寄せる客を完全に無視して
それぞれの位置に立ち、
楽器を手にしたかと思うと何の前触れもなく
爆音のような演奏が始まった。

バンドの名前は『クレイジー4』、
ジュンローとミツオが作ったバンドである。
バンド名の通り、ギターのジュンロー、
ドラムのミツオに加えて、ベースのキョウイチ、
ボーカル&ギターのマサトという4人で構成され、
全員同じ高校に通う3年生で、
結成から1年を迎えていた。
バンド名はあえてダサい名前をつけた。
「ダサいのがかっこいい」と言う
ジュンローの言葉からだが正直、メンバーは
あまりかっこいいとは思っていなかった。

8ビートの激しいナンバーを3曲
立て続けに客に浴びせると一旦演奏が止まった。
会場はすでに酸欠状態だ。
ボーカルのマサトがドリンクを一口、
口にしてからマイクに向かった。
「こんばんわ、クレイジー4です」
その言葉に客席が沸く。
そして、さらに何か言おうとしたとき、
ジュンローが次の曲のイントロを弾き始めた。
外のメンバーも慌ててジュンローについてゆく。
マサトも、チッと舌打ちをしつつも
ギターを掻き鳴らしボーカルをとった。

曲が終わってもジュンローは演奏を止めなかった。
間髪を入れることなく次々と曲を続けていく。
それはまるで、何かに追われているかのようにも見えた。
メンバーは途切れることなく続く演奏に、
必死でついていくしかなかった。

最初についていけなくなったのは、客だった。
一番前にいた女性が突然倒れこんだのをきっかけに
あるものは倒れ、あるものは奇声を発しながら暴れだし
そして、どこからともなく乱闘が始まった。
ほとんどの客がトランス状態に陥り、
我も分からず興奮し喚き散らし、
腕をぶんぶんと振り回しながら
誰かれ構わず殴りかかった。
倒れこんだ客の上で痙攣のように
小刻みに体を震わせながら
ダンスをしているものもあった。
客席はまさに、阿鼻叫喚、地獄絵図であった。
その様子を見てジュンローは、にやりと笑った。
そしてその笑いは段々と高笑いに変わっていった。
目の前で繰り広げられる光景がおかしくてたまらない、
といった様子だった。

バンドで最初に異常をきたしたのは、ミツオだった。
突然だらりと腕を垂らすと、
一切の演奏を止めてしまった。
その目は、ある一点を見つめて動こうとしなかったが
その視点の先には何もなかった。
次にベースのキョウイチが意識を失い倒れこんだ。
マサトはかろうじてマイクスタンドを
握り締めてかろうじて立っている状態であったが、
既に歌ってはいなかった。

そんな中、ジュンローの鳴らすギターの音だけが
鳴り響いていた。
しかし、メロディーには程遠く、もはやそれは
ノイズ以外のなにものでもなかった。
会場は、まるで猫が断末魔の悲鳴を叫んでいるような
体中を掻き毟りたくなるような音で溢れていた。

マサトはジュンローに向かって
演奏を止めるように叫んだが
ジュンローの耳には届いていないようだった。
そこでマイクスタンドを杖代わりに
ジュンローの元へ行き耳元で叫んだ。
「演奏を止めるんだ!今すぐ止めろ!!」
しかし、ジュンローは演奏することを止めなかった。
そこでマサトはもう一度ジュンローに向かって
叫ぼうとした時、ジュンローがマサトに顔を向け、
顔一杯に笑顔を浮かべた。

「お前、聞こえてんじゃねぇか!演奏を止めろ!!」
しかし、ジュンローは演奏を止めるどころか
そのスピードを増してきた。
マサトは今にも倒れそうになるのを堪えながら
マイクスタンドにもたれかかっていたが、
突然、手にしたマイクスタンドを高く振り上げ、
ジュンローめがけて振り下ろした。
それをジュンローは素早く身をかわすと、
マサトを睨みつけた。
ようやく演奏が止まった。

「邪魔すんじゃねぇよ!俺の最高のステージをよ!」
そう言って演奏を再開させようとしたとき、
マサトが再びマイクスタンドで襲い掛かった。
先ほどよりも勢いがあったがジュンローは
余裕でかわした。
しかし、足元が不安定だったために
体のバランスを崩してしまった。
その一瞬を見逃さなかったマサトが
ジュンローの足を払った。
客席に向かって倒れこむジュンロー。
そこには両手を挙げて踊り狂う客がいた。
腕にはトゲのついたリストバンドをつけている。
客もろともフロアの壁に叩きつけられたジュンローが
悲鳴を上げた。

押さえた左目からは血が流れている。
倒れた際に客のリストバンドについたトゲで
傷つけてしまったらしい。
その悲鳴で我に返ったように客が
自分を取り戻していった。
我先にと出口に向かう客たちに踏まれながら
左目を押さえたジュンローがのた打ち回っていた。
マサトはその姿を見て呆然と立ち尽くすしかなかった。

倒れたジュンローに手を差し伸べたのはミツオだった。
自分を取り戻したミツオは、
ジュンローの肩を抱いて裏口から外へ出た。
この騒ぎを聞きつけて警察がやってくる前に
店を出る必要があった。
月明かりが照らす裏通りのアスファルトの上で
ミツオの肩を借りてふらつきながら
ジュンローは小さく「スマン」と言った。
人に謝るのはこの夜が最初だったのかも知れない。

この夜、『クレイジー4』は消滅した。

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