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コスモナウト 第七章 夢の星

はじめこの星に来た時、波止場に宇宙船を泊め、4日ぶりに空気を吸い込んだ時奇妙な匂いを嗅いだ。少しふらつく。もしかしたら旅の疲れが出ているのかもしれない。

水路が張り巡らされた星、というのは前も訪れた事があった。水路、水というのは人類が生活する上で必要不可欠のものである。そのような似通った星が多いことには納得できた。しかし、このライという星は、その理由のために張り巡らされたものではないのだった。

「この星、この街は美しさが一番の価値として置かれているの」
彼女は言う。
街を案内され、その時も感じることができたのだが、この水路はあくまで景
観のために作られたものであり、橋、街並み、街灯、どれをとっても一つ一つが「美しい」という概念を第一に作られているようだった。
この星を訪れた理由は特になく、今までと同じように燃料補給のためと食料調達が目的であった。
まるで物事がここまで滞りなく進むのか、というほどスムーズに買い集めること
ができ、一息つこうと喫茶店に入りデッキに通された時、彼女に声をかけられたのだ。
彼女はソウと言った。青いワンピースを着こみ、金の髪を一つに縛る彼女はこの街の精霊の如くに感じられ、その美しさに心を奪われた。
「アポロンは何をしている人なの?この辺の人ではなさそうだけれど」
「ああ、僕はコスモナウト、宇宙人だよ」
「へえ。じゃあ遠くから来た人なのね」
そうだ、と言うと彼女は空を見上げた。コーヒーの煙も彼女の視線を追うように天へ昇って行った。
空は澄んでいる。まるで、この空もこの星の景観に合わせるように薄い青に身を染めている。風が通り過ぎる。彼女の髪はふわりと浮かびあがる。花の匂いが自分の脳髄にまで響くのだった。
「私は画家なの」
「そうなのか」
「そうなのよ。この街並みを描いているわ。あまり売れないけどね」
それもそうだろう。この街の絵を買う人、それがいるとすれば自分のような旅の者か、異星交流する商人だろう。なにしろこの街に住む者であれば、自分の目で街を絵画という媒体を挟まずとも見ることができるからだ。
「けど、私が本当に描いているのは夢のようなもの、ね」
「へえ、見てみたいな」
その言葉に彼女は反応を示した。
「あ、なら私の家に来る?」
てっきりアトリエのようなものがあると思っていた。これでは、彼女を誘っているようにも聞き取れてしまったのかもしれない。
「来なさいよ。まだこの街にいるんでしょ。それなら私の家に来なさい。ここの宿は高いもの」
彼女に案内されたのは海の近くにある白い家だった。白樺が原料なのかもしれない。
街の最南端に位置していた。さすがに街からかなり外れてしまっているためか、この場所に家を構えている人はいないようであった。
部屋に入ると、油の乾いた匂いが立ち込めた。それが、画材から放つものと分かるまでしばらく時間がかかった。
絵には白色のシルクの布がかけられており、その全貌を見ることはできなかった。
「その辺に腰かけて」
彼女に催促をされ、窓際の椅子に腰を掛ける。窓からは浜辺を見ることができた。
「またコーヒーになっちゃうけど」
ソウは二つのカップを持ってきた。
「そういえば」
「なにかしら」
彼女は自分の対面に座る。
「なんで僕に声をかけたんだい?」
「なぜかしらね。なぜかしら」
その理由を彼女は明かすことはなかった。
ゆっくりとした時間が流れる。今まで、思えば沢山の惑星に赴き、その生活は「馴染む」、「暮らす」という概念から外れた、ただひたすら動きつづけるという生活であった。
だからこそ、こうした時間は学生の頃を思い出す。ひどく懐かしい匂いを漂わせるものであった。
「そうだ。絵を見に来たのよね」
「ああ、そうしようかな」
彼女は「こっちよ」と呟くと立ち上がった。
彼女はその布を取り外す。すると一人の男の顔が描かれていた。その男の顔に見覚えがある気がしたのだが、ここまで夢うつつに笑う男と出会ったことは無かったので気のせいかもしれなかった。しばらく眺めていると彼女は声をかけてくる。
「部屋は隣にあるのを使って。一通りの生活するための品が揃っているから」
「ありがとう」
「ええ。あとどのくらいこの星にいるつもりなの?」
彼女は優しい瞳で語りかける。
「そうだね。どのくらいだろう」
実際のところ、この星にそこまで長居するつもりはなかった。必要な物は、まるで夢のようなでスピードで手に入れることができたからだ。しかし、何故だか今はそ
の重い腰を椅子に下ろしたまま、こうして彼女とずっといても良い気がしてきたのは、不思議だった。
その横顔を再び見る、すると脳髄の奥底で電気が走った。彼女はどこかで会った気
がしていたからだ。学校、いやもっと昔、それもと最近か、どこかで。分からない。しかし、その彼女の美しく滑らかな曲線を見ていると忘れかけていた人間の欲、というものが再び呼び戻されている気がするのだった。
「そうだ。アポロン。夕飯はどうしましょうか」
「ううんと、どうしようかな」
「もし、好みがなければ何か私が作るわ」
「じゃあ、おねがいしようかな」
彼女はその言葉を聞くと、台所へむかった。エプロンをかけるその仕草、艶やかと形容する以上の惹きつけるものがあった。
彼女が調理をしている間はやる事も特に無かったので自分の手記を確認することにした。
いつも、自分が着込む服にそれはしまっている。しかし、今日自分の手元にそれはなかった。
「あれ、おかしいな」
「どうかした?」
「いや、いつも手帳を」
ポケットから様々な物が飛び出す。どこかで気に入って買った蛙の置物、美しい羽、そういったガラクタ染みた物はいくつか出てくるが、いつも身につけているはずの、ペンやノート、懐中電灯も何もかも持っていなかった。
「宇宙船に忘れたんじゃない?」
ああ、そうか。と一人納得をした。こんな時もあるだろう、と特にその事をそれ以上気に留めることはなかった。
さて、どうしたものか。このまま何かをしなければならない気はするのだが。自分は一体何をすればいいのだろうか。
「海に行こうかな。ここから近いし」
「ああ。今は止めておきなさい」
「何故?」
「この星の海にはね。竜が出るのよ」
「え?」
「竜よ。竜。知っているでしょう。長いからだをくねらせ、人を食べるのよ」
はあ、と頷くしかなかった。竜、ねえ。確か空想上の生きものだった気がするのだが。自分が意図的に行おうとすること、手記を書く、もしくは海に行く。この二つが打ちのめされたことにより、もう何も考えようとは思わなかった。そのままの姿勢で、彼女がエプロンをつけ、せわしなく動く様を見ているだけであった。

思えば、自分にはそういう願望があったのかもしれない。旅などせず、愛する妻を持ち、子を育てる。優しく、耽美な生活にあこがれていたのかもしれない。
「ここらが潮時なのかもな」
「え?」
ソウが小さな声に反応をする。
「潮時って何が?」
「ああ。まあ僕の旅、かな」
「いいんじゃないかしら。そうだ。私と住まない?」
彼女がどのような意図で、尋ねたのかは分からない。その突然の提案に自分は「YES」とも「NO」とも言わずただ、「それもいいかもしれない」という曖昧な表現をしたのだった。
そうこうしている内に彼女は料理を運んできた。何とも豪勢な食事であった。魚がホイルにつつまれ、みずみずしい野菜は踊るようにトレイに収まっている。そこに芳しい匂いを放つパンがびっしりと並んでいた。
懐かしい味だった。ずっと前に食べたことがある母の料理にそっくりだと思った。
「おいしい」
「よかった」
涙が出るのを我慢した。何故涙が出るのか、分からない。ただ、その味に感動した訳ではない気がする。
「あのね。私あなたのこと好き」
ソウは静かに料理を口に運びながら言う。
「あ、ありがとう」
「好きになったわ。今日、あなたに会った時から。私はね。あなたがコスモナウトって聞いてとても残念だったのよ。ああ、この人はいずれどこかに消えてしまうんだなって」
「そう、だね」
「でも、あなた潮時って言ったじゃない?どうかしら。私と一緒に住みましょうよ。幸せよ? きっと。こうして海の近くに家があって、時々街に行って」 
いいなあ、素直に思った。
「私の仕事な気がするの。あなたをここにとどめることが。そうね。そうなのよ」
彼女が自分に惹かれる、それと同じように自分も彼女に魅かれている。それならば、答えは簡単な気がした。
「しばらく、そうだな。うん。しばらくここにいてもいいかな」
勿論、と言うように彼女は微笑んだ。
夕食を済ませると、自分は部屋を案内された。そこには生活に必要なものが全て備わっていた。まるで、秘密基地のように居心地の良さを感じるほどであった。部屋に備わった酒を少しだけ飲み、ベッドに腰を下ろす。そこは天窓がそなわっており、空を眺めることができた。
窓から見えるのは漆黒の世界。しかし、何かが足りない気がした。目を凝らそうと思った時、ソウが現れた。
「そうだった。そうだった」
彼女は一人つぶやきながらベッドに近づく。彼女はベッドに立ち上がる。自分を丁度跨ぐように立ち上がり、天窓を閉めてしまった。
何か、何かが見える気がしたのだが、彼女のその行為によって、その気にかかった物は分からずじまいになった。
「ちょっと待って。いま」
「いいじゃないの」
彼女はそのまま覆いかぶさるように自分に向かう。鼻と鼻がぶつかった。ソウの瞳がこちらを見る。その瞳はまるで、何もかも吸い込むものである気がした。今思っていた、気になること、自分が何をしていた人なのか、そういった複雑で自分を形成していた何かを彼女の瞳は飲み込んでいく。
自分の口の中に柔らかなものを感じた。彼女の舌であった。その感触を確かめる内に、自分の思考は止まった。

しばらく、と言ってもどのくらいの月日が流れたのか分からない。この家にその曖昧な期間住んでいた。彼女は、自から食料を調達しに行くため、自分は何もすることがないまま、この家から一歩も出ることはなかった。また、不思議なことで出ようとも思わなかった。
「どうかした?」
「ああ、いや」
彼女は絵を描くことはなかった。その油絵具はカサカサになっており、最早しばらく書いていないのかもしれない。自分がここにいるせい、とはじめ思ったがどうやらそうでもないらしい。
「私はもう絵を描かなくてもいいのよ」
「何故だい?」
「私が描きたいものは夢って言ったでしょ」
彼女が何を言いたいのか分からなかった。
「そうだ。今日は随分とおいしそうなお肉が手に入ったのよ」
そういうと彼女はエプロンをかけ、食事をつくる。
そして二人は食事を終え、決まって愛し合うのだ。
そんな日々が永遠と続くように思えた。そうだ。これでいいのだと思うように自分はなっていく。
数か月、数年が経ったかもしれない。彼女、ソウは見れば見るほど美しく、その平穏な生活は今までで一番幸せだった。

そんな生活が続くなか鏡を見る機会が偶然訪れた。ほとんど意識をせず、バスルームにある鏡を偶然見た。ある夜のことだ。
その時、はじめ鏡に映る存在にひどく驚いた。自分が思っている自分ではない、というのが簡単な理由であるのだが、その顔に見覚えがあった。
急いで裸のまま、廊下へ出る。ソウはすれ違う自分に驚いた。
「どうかしたの?」
「い、いや。あの絵ってどこにある?」
「絵?ああ。いつものところに」
彼女は何故か寂しそうな顔をしていた。
彼女に言われた場所、そこにはいつものようにシルクにかけられた絵があった。
それをはぎ取る。すると、当然なのかもしれないが、そこには自分の顔があった。
「そう、だったのか」
その絵は鏡の自分であった。何か幸せそうに微笑む自分、であった。そう、幸せ、そうに。
「そうか。僕は」
裸のまま、自分は部屋を走り回る。それは悪魔に取りつかれたような顔をしていたに違いない。
いつも寝ている部屋に辿り着く。そうだ。僕はあの時。
天窓は閉められている。そこには、自分には何かが見えた気がしたのだ。その手を天窓へと伸ばす。その時、彼女が再び現れる。
「待って」
その彼女は、泣いていた。
「待って。その窓を開けば全て終わるわよ」
「そう、だろうね」
「ええ。終わるわ。あなたの幸せは終わるのよ?」
「そう、だろうね」
そうなのだろう。自分の幸せそうな鏡に写る笑顔を見た時におもった。彼女が描く夢のような生活、自分があこがれていた平穏な生活に自分は幸せのようなものを感じていたのだ。しかし、それはあくまで「幸せのようなもの」、「幸せそうなもの」なのだ。
「僕はね。何か勘違いをしていたようだ。幸せ、夢。そんなものはすでに僕は手に入れているのにね」
彼女は止めようとはしなかった。その窓を開く。星、星が煌めいていた。それぞれが何十、何百、何万という距離を超えて、時間の壁を越えて光輝いている。
これがあの時、見えかけていたものだったのだ。
その星明かりは部屋に降り注いだ。その閃光は部屋中を包むようだった。
「ねえ、アポロン。あなたが宇宙を旅する理由って」
彼女は消えかかる体を気にも留めず尋ねる。
「『幸せだから』だよ」
「そう。私は逆だったのね。あなたの求めるものと」
彼女は最後に呟く。
視界は星明かりで真っ白な、何も見えない世界へと変わっていった。

「兄さん、兄さん」
頬を叩かれ、ようやく気が付いた。目の前には老人がいた。その白髪は埃にまみれている。
呻き声を上げながら、立ち上がる。そこは宇宙船を泊めた波止場であった。
水路が多くあった。しかし、それは美しさなどとは皆無であり、生活のしやすさを第一に考えられているかのように雑多で、武骨だった。
頭が痛かった。脳の奥がきりり、と痛む。水面に近づき水を飲もうとしたが、その老人が制した。
「兄さん、いけない。この水は排水も交じっているんだ。飲んだらあぶない。この匂いにあんたもやられたんだろ」
「匂い?」
「ああ。この街は香をたいていてね、それがすこし幻覚物質を孕んでいるらしくてな。わし等のような住人はなれているから平気だが、あんたみたいな旅人がこうして倒れることはよくあるんだよ。この排水にもその香の匂いが溶けてしまっているんだな」
思えば、ひどく鼻に突く嫌な甘い匂いがした。
「どうりで」
水面を見る。そこには自分の顔があった。栄養不足のせいか、青白く、髪もボサボサのままだ。しかしその瞳はまっすぐ水面に写る光のせいか輝いていた。
「そうだ。ええと」
「儂はマコトじゃ」
「マコトさん。この辺で燃料と食料が帰るところはあるかな」
老人は、一つ考えこむ。
「燃料は分からんが、食料ならそこに」
彼が示した場所、そこは波止場に備え付きの市場であった。様々な食材を売る青いワンピース、金色の髪をした売り子がいた。彼女は夢で見たソラとそっくりであった。なるほど、自分は随分と簡単な男であるらしい、と一人自嘲した。

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