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1本の糸と、そこから生まれる編み物の魔法


かれこれ3年近く、編み物をしています。


思えば小学生の時、友人に教わってかぎ編針を使って猫耳の帽子を編みました。あの時使ったかぎ針はどこへ行ったのだろう。それ以来、編み物をした記憶はありませんでした。

けれど、ノルウェーに住んでいたとき、特に肌寒くなってきた頃から、いつも通っていた職場近くの毛糸ショップが妙に気になりだしたり、カフェに行ったり、あるいはバスや地下鉄に乗っていると、ちょっと編み物、みたいな軽い感じで何かを編んでいる人をたびたび見かけるようになったりして、へ~やってみたいなあ、と思うようになりました。


ちょうど同じころ、西ノルウェーに滞在していた友人が遊びに来てくれて、彼女もまた編み物が得意だったこともあり、一緒に毛糸と針を選んでもらい、またイチから編み物をやることに。

ちなみにここで教わったのは、あの時のかぎ編みではなく、棒針での編み物。わたし自身こっちもずっとやってみたかったので、難しそうとは思いながらも思い切って挑戦してみました。


なんかね、左利きって、方向感覚をつかむのが苦手なんだって。それ、すごい分かる~!って思ったのがこの時でした。

友人の手つきを、なぜか全然マネできない。どの方向から針を入れ、どの方向へ針を出しているのか、目ではもちろん見えているけれど、どうしても頭で理解できず、めちゃめちゃムズカシイ~!!って思ったレクチャー初日でした。

けれど、彼女が西ノルウェーへ帰った後も、時間を見つけてはひたすら黙々と手を動かし、動画などを観ながらなんとか感覚で理解し、気が付けば初めて編んだストールから次はヘアバンド、そして靴下、小物入れ、帽子、ひいてはセーター・・・といった具合に、どんどん色々なものを編むように。すっかりはまってしまいました。


編み物のとにかくスバラシイと思うところは、まずたった1本の糸で何でもできちゃうこと。そして失敗したり気に入らない形になってしまっても、一度ほどけば糸に戻るだけなので、そこからまた好きに編めばいい。例えばセーターの糸をほどいて帽子や靴下を作る、みたいなことも出来ちゃう。それってすごくない?

また、糸を組み合わせれば出来上がりの質感を変えることが出来たり、複雑な柄物を作ることもできちゃう。わたしはあんまり柄物とか複雑なパターンはやらない(単純にシンプルなものが好き)だけど、思わずアレもコレも編んでみたくなっちゃう。


加えて、わたしが編み物にはまったのは、そのタイミングもあったと思います。ちょうど仕事を辞めて時間が出来たこと、真冬のノルウェーでおうちにいる時間が多くなったこと、そして間もなく出国し、ゆっくりと時間をかけて東欧を旅したり、リトアニアの森の農園でファームステイをしながら草木染めを始めたこと、など。

持ち物の中には、いつも編み物セットが入っており、旅先で手に入れた毛糸で身のまわりのものを編んでいました。特に靴下、アームウォーマー。単なるアクセサリーではなく、実際に日常生活の中で実用性のあるものを移動中や暇な時間に作れるというのも、わたしにとっては生産的で合理的なの、とてもいい。

こうやって旅路で出会った毛糸を旅路で編み進めたりしたものは特に、その時の思い出や空気感も一緒に編み込んでいるような感覚になり、編みあがったあともそれらを手にするたびに、その時のことをふと思い出したりするものです。


常々、手仕事のいいところは、その素材や制作環境・時間なども含めたストーリーを持ったモノが生まれるところにあると思っています。そして、少なくともわたしにとってはその実用性もかなり重視するわけですが、技術的にめちゃめちゃ優れている必要まではないと思っている。完璧なものを手仕事に求めるべきではないんじゃないかな、とも。

なぜなら、自然の産物に完璧なシンメトリーは存在しないから。だけど、その微妙な不均衡さやズレ、歪みなどが、そこに更なる美しさをもたらしているのではないかなあ、と思うのです。それに、人の手でやっているんだから、そうもなるよねって話。


ちなみに、トップの画像は春先に自分で羊毛からハンドスパンした毛糸をアームウォーマーに編もうとしているところ、なのですが、この糸ももし機械できちんときれいに紡げば、もっと均一な太さの編みやすい糸になっていたでしょう(この糸の、なんと編みづらいことか)。また手編みよりも機械でやった方が、編み目がキレイで左右の形が揃ったアームウォーマーに編みあがるはず。

けれど、あえてそれをせずに自分の手でつくる、ということは、その素材に対して五感を集中させ、作る時間を楽しむことであり、出来上がったものを長く愛するということでもあると思うのよね。

そして、自分で作っているので、どういう風にできているのかが分かる。だから、もし糸がほつれてしまったり、穴が開いてしまっても、どういう風に補修したらいいのか分かる。そして何より、自分の手でつくったものだから長く大切に使おうって思えるものです。


何も自分の手で作ったものに限る必要はないけれど、手仕事ってやっぱり誰かの「手」で、時間をかけて作られたものであり、その素材や制作過程の思いなんかに心をかたむける瞬間があり、その人のかけてくれた想いや労力はもちろんのこと、素材となる自然の恵み(そうじゃない場合もあるけれど)に感謝の気持ちを持つことってすごく大切だよなあ、と。

今、簡単にモノが手に入る時代だからこそ、手仕事を愛する時間の大切さをより実感するわけです。


あ、そうだ。わたしは普段SNSでハッシュタグというのを付けないのですが、ある友人に #knittingmeditation というタグがあるよ、と教えてもらいました。

つまり、編み物をしていると自然と無心になり、瞑想状態に入ることがある。これこそ忙しい現代人の生活にはなかなかない時間だと思うけれど、このハッシュタグはわたしがいつも手仕事をしている時間に感じている幸せそのものを表しているようにも思いました。


無心であることって、ものすごい癒しの時間だよねえ。だってなんの考え事もしなくっていいんだもの。頭も休んでいる状態。けれど手元では何かが編み進んでいる。これってすごいよね。

そうじゃなくても、編み物をしながら何かちょっと考え事をしたりするのも、けっこう好き。きっと編み物という行為自体が、かなりの癒し効果を持っているような気もします。


ホント、魔法みたいだ。編み物って。


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