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リトアニア暮らしで「やりたいこと」って何だっけ

自分自身、特に海外経験が豊富というわけでもないけれど、2度の長期海外滞在をしているためか、日本の友人知人に時々「自分のやりたいことに向かって行動していて、すごいね」と言ってもらえることがあります。

なんとなく嬉しい気持ちもある一方、いつもその言葉にちょっと違和感がある。


わたし、本当にやりたいことを求めて海外に来ているのだろうか?


いや、確かにノルウェーの時はそうだった。コーヒー文化の中に身を置きたくて、帰国の危機が背後に迫る中、必死にバリスタの仕事に応募しまくった(そしてなんとかなった)。

ついでに和菓子の材料もたくさん持って行ったので、人とのつながりを通じて和菓子イベントも開催できたし、困難は多かれど、かなり意義のある時間だったと思います。


しかし、今回のリトアニア滞在では、すでに半年以上ロックダウンが続き、ワクチンを打たない限り、思うような形で人に会えないのが現状(規制はだいぶ緩和されたけど、ロックダウン自体は6月末まで延長するかも〜らしい)。


そんな状況で、果たして今の自分がほんとうに「やりたい」と思っていた暮らし方ができているのだろうか。

そもそも、わたしはほんとうに「やりたいこと」を持って、リトアニアへ飛んできたのだろうか。実際、そこすら怪しいところ。


確かに、飛ぶためのきっかけは、あったほうがいいと思います。

理由はぶっちゃけ、自分のエネルギーが向くのであれば、なんでもいいんじゃないかしら。語学を頑張りたい!とか、現地の知り合いがほしいとか、海外で仕事してみたい、とか。

その時点で「目標(大なり小なり、やりたいこと)」があるといいよね。なんのために飛ぶのかわからない状況では、さすがにちょっとどうにもならない気がするので。


でも、来てからその目標を達成する必要は、必ずしもないです。

現にわたしは、リトアニアへ来た小さな動機がいくつかあったけれど、実際に来てみて状況も考え方もきっと変わったし、それに伴って現時点でかなり気持ちは変化しています。


最近とても日が長くなってきて、まだ若干肌寒くはあるものの、過ごしやすい気候が続く中、冬ごもりの時とはまた違った見方ができるようになった気がするこの頃。

というよりは、あれだけ悶々と自問自答していたあの頃から一転して、今はあまり自分の「やりたい」の声が聞こえないのです。


最初こそ、リトアニア語の学校とか行きたいな〜とか思っていたけど、対面授業の機会を見計らっているうちに「ま、英語でもなんとかなるし、独学でいっか」になっちゃったし。

手仕事の作り手を訪ねるつもりでいたけれど、大きなお祭りもイベントも開催できない状況で、地方の名手を当たる事すら困難な今。


でもね、すべては常に変化しているもの。だから、当初の理由や目標がたとえあったとしても、達成できなかったからって落ち込んだりする必要は全くなくって。

わたしの場合も、確かに手仕事は大好きだし、もっと色々とみてみたい気持ちはあるのですが、その感じでいえばおそらくこれまでの短・中期滞在の時の方が、よっぽどローカルな手仕事を見せてもらっていたような気がします。森の農園に暮らしていた頃なんかは特に。


ただ今回は今回で、例えば民芸市がオンラインに切り替わってじっくり見られるようになったり、オールドタウンで手に入る民芸品を実際の生活の中で使ってみられたりして、それはそれでいいなって。

本当なら作っている光景を見学したり、作り手の物語を聞くこともしたいけれど、もし今回の滞在で叶わなかったとしたら、ただ単純に今はタイミングじゃなかったのかもな〜と思うでしょう。


どちらかといえば、今のわたしは「今」よりももう少し先の時間軸を見据えているような感じ。けれどそれもまた、リトアニアで実際に暮らしながら「やりたい」の声を聞きながらたくさん考えたからこそ到達したんだろうな、と思うに至っています。

今までのリトアニア滞在では気がつけなかったこと・改めて気がついたこと、それらを通して感じたことに耳をすませられただけでも、もしかしたらリトアニアに長く身を置いている意義はあるのでしょう。たとえ当初の「やりたい」を実現できていないにしても。


5月は花の季節。桜やリンゴ・プラムに始まり、タンポポや野草の花々の盛りが過ぎて、今はライラックが咲き誇っています。日本でいうところの、ツツジみたいな感じかしら(色の鮮やかさと、どこにでもある感じが)。

空を仰げば、ツバメの群。そういえば森の農園にいる頃は、週に1度はクライペダという港町へ出かけたけれど、5月の景色にはいつもツバメがいたような。あとガンドラス(コウノトリ)。


6月はいよいよ、夏至が待っている。今年はきっと夏至祭もやらないだろうけど、陽の長い夏の日々をここで過ごせるだけでハッピーだな。

日々の小さな幸せへの感謝を忘れずに。

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