幸せだと思いたいこと

私は多分、日常生活で幸せと感じる場面が多い人間なんじゃないかと思う。朝6時台に起きて朝焼け見ながら早朝のなんとも言えない匂いをかぐのも好きだし、早起きしてコーヒー飲んでストレッチして、健康的な朝ごはんとか食べちゃって、休日ならそのまま二度寝なんてしたら最高。起きてから洗濯機回して好きな映画やアニメを観て本を読んで、少し仕事の勉強なんてしたりして。夕方洗濯物回収しながら軽く掃除をして今日の夕飯を考える。寒い冬は鍋と日本酒!少しくらいニンニクも入れよう。まだ早いから、鶏肉を塩麹でつけ込んでる間に銭湯へ行ってサウナに入り、乾杯用のビールと日本酒を調達。しっかり味の染み込んだ鶏肉を使って鍋を作る。
お風呂上がり、ビール、鍋。夜は飲みながら相席食堂をまったり観るのが好き。お鍋が終わったら98円のうどんで締め。あぁ、こんなの極上の幸せ!

1人でいる時間も好きで幸せだし、友達といる時間も幸せ。

いつもより時間をかけてメイクして、髪の毛もセットして、仕事の時とは違うから準備にも時間がかかるけど、「可愛い、自分!」と思えた時はなにしろ気分が高まる。可愛いカフェでやたら写真を撮って、後から見返すと何だかめちゃくちゃ楽しそう。仲間と複数で居酒屋でわいわい、コロナでできなくなった時期もあったけど、自分の好きな人たちとくだらない話しで大笑いするのはやっぱり楽しい。世界で1番面白いんじゃないのここ!?っていう、高校生のような感覚になる。(節度は弁えてます。。)

連続で青信号を渡れた時、好きなお菓子が再販してた時、思い切り運動して身体を動かした時、ライブに行った時、お笑い番組でめちゃくちゃ面白い漫才を見れた時、コンビニの中華まんの包み紙に可愛いパンダが書いてあった時、アラームより前に起きれた時、いつもより早めに寝れた時…何をあげたらいいかわからないけど、幸せを感じる瞬間はたくさんある。

でも、私の周りにはもう1種類の幸せを感じてる人がたくさんいる。だれか1人と、お互いを好きだと言って、大切に想い合い、家族になっていく人たち。誰かに大切に思って貰えることは奇跡なのに、なぜか私は本能的にその気持ちを受け入れることができない。
これだけたくさんの幸せを感じておいて、贅沢な悩みなのかもしれない。自分でも、贅沢だなと思う。もういいじゃないかと。今の時代、幸せの形がどれだけあると思ってるんだ、と。
それでも、私は人生を一緒に生きていける人が欲しい。その人がいたら孤独にならないとは思わない。多分、孤独感はどんな状況でだって突然味わうものだと思う。
私は孤独を癒すためじゃなくて、パートナーという存在が自分にとってどんな存在なのかを知りたい。相手を大切に思い、思ってもらう関係を作りたい。私のことを思ってくれる人がいることを、幸せだと思いたい。

ので、諦めません。

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