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文芸誌批評-文學界 八月号- 1. 絲山秋子 『なんだかわからん木』


 というわけで、文芸誌を読んだ。日頃から読んではいるのだが、こんな風に”批評”してみるのは初めてだ。偉そうな言い方をしているが、気に入った作品の感想をとにかくつらつらと述べるだけなので、暇な人は読んでほしい。 

そもそも、文芸誌とは?

 
 文芸誌とはなんだろう?例えば気になる女の子に「好きな雑誌とかある?」と聞く、何かしらの答えが返ってくるだろう。酒の席で友に「最近アツい漫画は?ジャンプ派?マガジン派?それともサンデー?」なんて話は、絶好の肴だ。

 文芸誌とは、小説や随筆、短歌など様々な分野のエキスパートが練りに練った作品を一度に読むことができる、素晴らしい雑誌なのだ。それにも関わらず、酒の席はおろか読書好きの間でもなかなか話題に上がらない。悲しいものだ。なので、批評を書く。偉そうに書いて恥ずかしくなったり「的外れ」だと非難されても、それで少しでも記憶に残れば万々歳だ。

 前振りはこれまで、今日はある一作品に絞って書いていこうと思う。それでは、お楽しみあれ。


絲山秋子 『なんだからわからん木』

 最初に読んだのは、絲山秋子先生の『なんだかわからん木』という作品。題にある通り、実家に突如生えた名前も品種もわからない木を巡り、主人公であり語り手の絵衣子が過ごす日常を描いたものだ。

 いやあ、めっちゃくちゃよかった。絲山先生の作品は恥ずかしながら初めてだったんだけども、他の作品も読みたい、というか読む。

 あまり物語の核心に迫りすぎるとネタバレになってしまうので、結末や内容について深くは言えないけれど、この作品は難しいことを簡単そうに描いてると思う。詳しく述べていく。

 まず、この作品はバランスがすごくいい。陰と陽、リアリスティックでありながらファンタジック。読者は絵衣子と同じように「この木はなんだろう?」と胸を躍らせながらページを捲るわけだが、その道中は興奮や高揚だけで出来上がっているわけではないのだ。

 その要因は語り手、絵衣子にある。五十代、独身。管理職に身を置くがこれ以上のキャリアアップは望めないという彼女の境遇は、どこかの駅のホームで吐かれる、溜息とそっくりだ。これといった趣味もなく兄たちもどこか頼れず、自治体との関わりも億劫になる。心身をふんだんに使った彼女の語り口は、読む人が読めばかなりリアルなもので思わず目を背けたくなるものかもしれない。実際、僕はこの小説で、更年期の女性の実態を知ってしまったような気分になった。

 けれど、この語りこそ、絲山先生の凄い点だと思う。語りはリアリスティックで決して幸せなことばかりではないのに、気分が暗くならないのだ。絵衣子の語りは非常に軽快で、コミカルな自虐や読者への切実な訴えには思わず笑みを溢してしまう。例えば、このシーン。現代における年齢別の”アイデンティティ”について語る場面だ。

人生のなかでおばさん、おばあさんである時間は長い。仮に十二歳までを子供とし、二十歳までを若者とし、三十五歳までを青年としてみよう。三十五歳から六十歳までをおばさんとすれば二十五年間。そこから八十五歳まで生きるとすれば再び二十五年間。どう思います?愕然としませんか?

文藝春秋 文学界 2022年8月号 P61 より

 読者に対しメタ的に語るという行為は好き嫌いが分かれる。けれど、こんなにも切実に語られてしまったら「うんうん」と頷かずにはいられない。二十代のフリーター独身男性が親近感を持ってしまうのだから、彼女の魅力は間違いない。


 バランスのいい作品である要素は「固有名詞」にも散りばめられている。絵衣子の実家は黒蟹県灯籠寺市、働く街は紫苑市、登場人物も面白い漢字が多く、これはあくまでも「物語」なのだと再認させてくれる。

 


 そして、結末に差し掛かる。「なんだかわからん木」の正体とそれに対峙する絵衣子の感情は、我々も感じたことがあるような大切な、忘れてはいけないものだ。詳しいことが言えずもどかしいが、総じてこの作品は素晴らしい。是非とも読んでほしい作品だ。



 いやあ、文学批評緊張する〜、温かい目で見てね。

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