花を育てる女
この街には、花を育てる女がいる。
花と言ってもただの花ではない。赤やピンク、緑や紫など、様々な色の花は全て海水を養分としているそうだ。
「この子達はね、とっても元気なの。海水をたっぷり吸ってカッコよく咲くの、海兵さんみたいじゃない?」
腰の曲がった女は独特な比喩表現を使いながら、花に水をやった。「しょっぱいのがいいみたい」と漏らしながら、ゆっくりと庭を周る。海水で作られた人工池の水面には、庭の奥に聳える和室が反射していた。そこには赤いランドセルと、卒業証書が入った筒だけが置かれていた。
女は、これでもかと無知なほどに水をやる。煌びやかに咲く花は敬礼をするように、彼女に柱頭を向けていた。
「海は怖くないですよ、海は優しく大きいですよ」
水をやりながら女は口ずさみ、花は目に見える速さで生気を養っていく。その姿はまるで丼鉢に盛り付けられた白米を喰らう若人のようだった。
じょうろが水を垂らし軽くなっていく度に、女の手には皺が増えていく。腰はさらに曲がり白い髪は増え縮れ、声は枯れていた。花を育て八年、彼女の身体は八十ほどにまで老けていた。
「もう今はおばあちゃんだけど、みんなが育てば十分」
女はそう言って、石の上に腰を下ろし静かに眠りについた。結局一度も通わなかった小学校の卒業証書は、彼女の担任が仕方なく家に届けた物だった。ランドセルは色褪せることなく輝きを放ったまま、静かに眠る彼女を見守った。
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