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椋本 和明/椋本営農

法人名/農園名:株式会社椋本(むくもと)営農/百姓 善次郎
農園所在地:京都府舞鶴市
就農年数:14年
生産品目:酒米「祝」、餅米、万願寺甘とう、自社米を使ったどぶろく「でんじろ」の製造や「京都米サイダー」
HP:https://mukumotoe.com/
Facebook:https://www.facebook.com/kazuaki.mukumoto?lst=100002194758210%3A100004044263942%3A1536794778
※写真は、水田につながる水路に蓄積した土砂を浚っている作業の様子

no.200

自分だけが儲かるのではなく地域の未来を考えなければ…。それが本当の集落営農

■プロフィール

 京都・舞鶴で7代続く農家に生まれる。京都府立東舞鶴高校卒業後、海上自衛隊に入隊。教育隊を経て、調理を担当する給養員を希望するが、整備の仕事に配属され、護衛艦や補給艦で勤務する。

 1年の大半を海外で過ごす生活だったが、日本にいる時は実家の水田を手伝うなど農業にも携わる。自衛隊在籍中に調理師免許を取得し、硫黄島への航海業務では調理を担当する夢も叶えたことで決心が固まり、45歳で退職。

 父の農地を引き継ぐとともに周囲の水田の作業も受託して、酒米と万願寺とうがらしを中心に栽培を開始し、2011年7月からは専業農家として独立。専業化にあたっては、個人より法人経営の方がいいという勧めもあって、泉源寺地区の集落営農組織を法人化し、代表に就任した。

 カメムシの被害があった年に、余った酒米を活用する必要に迫られてどぶろくを作ったり、佐賀県のサイダーメーカーと提携して「京都米サイダー」を開発。2018年には京都の6次産業化コンテストに入賞。

 コロナ禍で酒米が余剰になったことをきっかけに、製造を始めた米粉で猫の形をした回転焼「猫米焼き」を開発し、キッチンカーでさまざまなイベントに出店。

 2020年には舞鶴のオリジナルキャラクター「八島かおり」とコラボレーションして、どぶろくや京都米サイダー、餅などの商品の販促に使うようになった。

■農業を職業にした理由

〜自衛隊員を経て実家の農家の後継に〜
 ぶどうや養蜂、水田など、代々さまざまな作物を作る農家に生まれ、近隣も兼業農家の多い環境で育つ。

 自宅近くの高校を卒業後は、海上自衛隊に入隊し、護衛艦や補給艦の整備業務を担当。年の大半を海外で過ごしながら、帰国時には家業の水田を手伝っていたが、40代に入ってから、生まれ育った泉源寺の田園風景が、農家の高齢化によって次第に荒れ果てていく現状を見て、寂しさや焦りが募っていった。

 子供の頃からぼたもちなどの和菓子作りが好きで、海上自衛隊でも調理業務を希望。在職中に調理師免許を取得して、硫黄島での航海では調理を担当するなど、「ある意味夢が叶った」と45歳で退職。

 就農を決意し、父の田んぼに加えて、近隣の水田の受託耕作や万願寺とうがらしの栽培を始める。地域のリーダーとして集落営農組織を立ち上げ、法人化して代表を務める。

〜酒米の栽培と、コロナ禍からの新たな展開〜
 実家を継いだ頃は、酒米の「五百万石」の栽培に補助金が出る制度があった。当時はちょうど集落活性化のためのNPOが発足していたタイミングであり、集落の生産基盤の柱として酒米を作ることとなった。

 その一環として1ヘクタールの広さの田んぼで京都限定の酒米「祝」と、酒造りに使ううるち米「京の輝き」の栽培を始める。カメムシ被害で規格外米が返品となった際には、どぶろくやサイダーを作ってイベントなどで販売したところ、評判になり、2018年の京都6次産業化コンテストに入賞した。

 ところが2020年、コロナ禍で酒の需要が減ったことで米が大幅に余り、「京の輝き」が200袋も返品に。酒米は食事用に販売してはならない規則があるため、米粉に加工してお菓子などを作ることを発案。

 京都府と農政局に働きかけ、補助金を得てキッチンカーとお菓子の型を購入、「猫米(ねこめ)焼き」という回転焼をイベントなどで販売。これをきっかけに、米粉の可能性を感じ、「湿式米粉」を製造と、これを原材料にした米粉麺や米粉パンの製造も企画している。

■農業の魅力とは

 自分の道を自分が思うように進めること。もちろんうまくいかないこともありますが、それも含めて自分の道を作れることです。

 それから、他の業界とのつながりが作れることも面白い。農家は同業者だけのコミュニティにおさまりがちですが、商談会などに顔を出せば、メーカーとか世代が異なる人たちとの交流が生まれます。そういう人たちと話していると元気もやる気も出てくるし、新しい可能性が広がります。

 自衛隊を退職して家業を継ぐことにしたとき、地形的に海と山にはさまれた舞鶴は一次産業にとって可能性が高い場所だと思いました。ただ、昭和30年代に行われた区画整理の影響で、現在では使いづらい農地が多く、耕作放棄地も多いため、府や市に「整備してほしい」と掛け合ったものの、周辺は兼業農家が多いこともあって、思ったように進みませんでした。

 ならばと、自治体に頼らず、自ら県外に赴いて、利用できる国の制度や補助金などの情報収集に励みました。約5年間、農政局と掛け合った結果、ようやく圃場の整備が国の事業によって採択されることになりました。2024年以降、この整備事業によって田んぼが使いやすくなることが期待されます。

 そうなれば、米粉を作るための生産も本格的に着手できますし、私だけでなく、周囲の農家にとっても働きやすい環境が整い、本当の意味での「集落営農」が可能になるでしょう。地域を代表する専業農家として、農業を良い形で次世代に繋げて行きたいのです。

 母校・東舞鶴高校では父の代から20年以上、農業指導も続けていて、生徒たちと一緒に古代米を育てています。収穫後には黒い古代米でおこわを炊いて、生徒たちに振る舞うことも楽しく、農業と地域の魅力、可能性を伝える役割を担っていかなければならないと思っています。

 最近、京都の北から南までの耕作放棄地をうまく再生している若者たちがいます。レモンを活用した飲み物を作りたいと考えていた日本果汁、宝酒造と伊藤園とコラボして、「京檸檬」というブランディングに取り組んで、新商品を開発したということもありました。

 農業には、畑だけじゃない可能性がたくさんあるんです。広いつながりができれば、違う世界が開拓できるし、たとえ失敗したとしても新しい道が開けます。

 でも、それはもちろん、きちんと自分の仕事をしているからできること。
目の前のことに誠実に向き合えば、どんどん道が開けてくるし、自分のアイディアを形にできる。…農業には、会社勤めとはまた違った無限大の魅力があると思います。

■今後の展望

 2023年12月現在、58歳です。実は60歳になったら引退しようと思っていました。それまでにある程度形にして次に渡そうと。でもやってみたらなかなかうまくいかず時間がかかっています(苦笑)。

 ですが、2024年以降、補助金による整備が進んで区画が使いやすくなれば、先が見えてくると思います。

 今後売り上げを伸ばすためには、米そのものだけではなく米粉、それも湿式米粉を展開したいと思っています。京都に1軒、湿式米粉を作る製粉メーカーがあるので、そことの協業で粉やパン、麺などもできるようになれば、米が余っている農家の人たちにも新しい可能性が生まれます。

 自分だけではなく、地域の農家の未来も考えていかなければ……。それこそが本来の集落営農ですから。(記:沼田実季)

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