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【三国志の話】「三国志の登場人物リスト」を作る(その4 短命編)

 個人的にまとめつつある三国志の登場人物リスト。
 その1では人数の見積りを書き、その2では同姓同名の人たち、その3では名前負けした人たちを、それぞれリストアップしました。
 今回は短命に終わった人たちです。(年齢は全て数え年)

 早すぎる死が惜しまれる人物と言えば、郭嘉かくか(38歳で病死)、周瑜しゅうゆ(36歳で病死)、龐統ほうとう(36歳で戦死)などが有名です。

 もっと若くして、才能を期待されつつも発揮できずに亡くなってしまった人物を5名紹介します。


(順位は筆者の主観)

5位:王弼おうひつ(226-249)

24歳で病死。

 幼いころから異才を示し、十数歳で『老子』に傾倒、魏の吏部尚書何晏かあんに「後世畏るべし」と感嘆された。
 任官して曹爽そうそうに仕えたが、出世には関心がなく、ひたすら老荘学に志し、『老子』『易』の注をつくった。
 清談にかけては、当時右に出る者はなかった。疫病のため若死にした。

徳間書店 「三国志全人名事典」

 曹爽の周囲には学問ばかりで実務ができない知識人が集まっていたイメージですが、彼はどうでしょうか。
 長生きしたら学者としては成功したのか、あるいは彼も司馬懿しばいと衝突して活躍できなかったのか。

4位:孫慮そんりょ(213-232)

 20歳で病死。

 孫権そんけんの子。幼いころから聡明で孫権に可愛がられた。228年、建昌侯に封ぜられた。
 のちに仮節を授けられて半州に幕府を開き、治績を挙げたが早死にし、孫権を嘆かせた。

徳間書店 「三国志全人名事典」

 孫権が期待した男子と言えば、筆頭は皇太子だった孫登そんとう(33歳で病死)ですね。
 せめてこの孫慮が長生きしていたら、呉はどうなっていたでしょうか。

3位:楊慮ようりょ(生没年不詳)

 17歳で病死。

 字は威方。蜀の長史楊儀ようぎの兄。有徳の士で江南の第一人者と目されたが、十七歳で夭折した。

徳間書店 「三国志全人名事典」

 わずか17歳で、ここまで人格が評価されていたということはすごいことだと思います。

2位:夏侯栄かこうえい(207-219)

13歳で戦死(!)

 魏の征西将軍夏侯淵かこうえんの子。幼いころから利発で将来を期待されていたが、魏軍が漢中で敗退したとき、わずか十三歳で従軍し、討ち死にした。

徳間書店 「三国志全人名事典」

 敵に攻め込まれたときに若くして戦死という話はよく聞きますが、彼は曹操が漢中に攻め込んだときに戦死したのです。
 夏侯淵の血筋で勇猛果敢だったのでしょうが、驚くほかありませんね。

1位:曹沖そうちゅう(196-208)

13歳で病死。

 字は倉舒。曹操そうそうと環夫人の間の子。五、六歳ですでに大人をしのぐ知力を有していた。
 孫権から象が献上されたとき、群臣を尻目に「象を船に乗せ、沈んだところにしるしをつける。あとでその線まで石を積み、ひとつひとつ石の目方を計ればいい」といって象の目方を計った。
 また、罪人を見かけるたびに、その罪状を調べなおし、無実とわかると釈放してやった。曹操の寵愛を集めたが、十三歳で病死した。
 のち、文帝(曹丕)は「もし曹沖が生きていたら、わしもこの位にはつけなかっただろう」ともらしたという。鄧哀王の爵号を追贈された。

徳間書店 「三国志全人名事典」

 この1位は予想通りだったという人が多いのではないかと思います。「アルキメデスの原理」で象の体重を測った、天才少年ですね。


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