【三国志の話】「三国志の登場人物リスト」を作る(その3 名前負け編)
個人的にまとめつつある三国志の登場人物リスト。その1では総人数の見積もりを書き、その2では同姓同名の人たちを挙げました。
今回は筆者が作成中のリストの中から見つけた、「名前負けしてしまった残念な人たち」です。
はじめに
シンプルに「三国志の残念な人物事典」を作ろうとすると、かなりのボリュームになるでしょう。
残念さにもいろいろありますので、今回は名前負け、つまり、「名前に対して実績が一致しない人」に絞って、数名挙げてみます。
(簡単に言えば、「別の意味もある、面白い名前の人たち」です)
4位:王族
彼は王の一族でもなければ名家の出身でもなくて、ただの兵士でした。
まあしかし、正史に名前が載るということは、文字通り歴史に名を残したということ。
良くも悪くもすごいことです。
3位:白寿
もし名前の通りであれば、長生きして99歳の長寿を祝っていたはずですが、残念ながら天寿を全うすることができなかったようです。
2位:厳密
彼には官僚の仕事に必要な厳密さが、やや足りなかったようです。
1位:王国
彼は、後漢朝廷の統治が及ばなくなった涼州で、反乱に加わります。
そして反乱軍のトップになりますが、独立国を作ることなく、鎮圧されてしまいました。
188年11月に、王国たちの軍は敗退して分裂します。
陳倉は、のちに諸葛亮でも攻略できなかった難攻不落の要害ですから、反乱が失敗したのは仕方のないことだったのかもしれません。
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