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【三国志の話】個人的な「三国志の登場人物リスト」を作る(その3 名前負け編)

 個人的にまとめつつある三国志の登場人物リスト。その1では総人数の見積もりを書き、その2では同姓同名の人たちを挙げました。
 今回は筆者が作成中のリストの中から見つけた、「名前負け」してしまった残念な人たちです。


はじめに

 シンプルに「三国志の残念な人物事典」を作ろうとすると、かなりのボリュームになるでしょう。

 残念さにもいろいろありますので、今回は名前負け、つまり、「名前に対して実績が一致しない人」に絞って、数名挙げてみます。

4位:王族

 彼は王の一族でもなければ名家の出身でもなくて、ただの兵士でした。

王族おうぞく
 呉の部将郭馬(かくば)の部曲(私兵)。郭馬に従って広州で反乱を起こし、広州督の虞授(ぐじゅ)を殺した。

「三国志全人名事典」徳間書店

 しかし正史に名が残ったということは、良くも悪くもすごいことです。

3位:白寿

 もし名前の通りであれば99歳まで(?)長生きできたはずですが、残念ながら天寿を全うすることはできなかったようです。

白寿はくじゅ
 蜀の部将。諸葛亮しょかつりょうの北伐に従って戦死した。

「三国志全人名事典」徳間書店

2位:厳密

 彼には官僚の仕事に必要な厳密さが、やや足りなかったようです。

厳密げんみつ
 呉の官吏。都尉に任ぜられ、丹陽(たんよう)に水利ダム浦里塘(ほりとう)を築くことを建議、百官が疑問視するなか、兵士や人民を徴発し莫大な費用を使って建設を強行したが、士卒が多数死亡し、人民の恨みを招いた。

「三国志全人名事典」徳間書店

1位:王国

 後漢朝廷の統治が及ばなくなった涼州りょうしゅうで、反乱に加担します。そして彼は反乱軍のトップになりますが、独立国を作ることなく、鎮圧されてしまいました。

王国おうこく
 涼州(りょうしゅう)の賊。狄道(てきどう)の人。187年韓遂かんすい馬騰ばとうら関中の反乱軍に呼応、合衆将軍に推戴された。188年再び挙兵して右扶風の陳倉(ちんそう)を囲む。

「三国志全人名事典」徳間書店

 188年11月に王国たちの軍は敗退して分裂します。陳倉ちんそうは、のちに諸葛亮しょかつりょうでも攻略できなかった難攻不落の城ですから、反乱が失敗したのは仕方のないことだったのかもしれません。

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