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[ショートショート]チェリーボム

「愛してる……」
 その響きだけが僕の鼓膜に飛び込んできた。

 瀕死だった。
 痛い、という感覚すら忘れるほどに死にかけている。

 その日、東京が潰れた。
 地震でもない、戦争でもない、大きな大きな生物が東京を優雅に闊歩した。それだけだった。それだけで、東京の機能は壊滅した。しかし、誰がそのような超巨大生物の存在を予期しただろうか。SF映画でもあるまい。
 東京を壊した生物は「怪獣」と名付けられたと、後になって知った。

 僕らの家もご多聞に漏れず、怪獣のお散歩によって半壊した。
 たまたま外に出ていた妻と息子は難を免れた。
 風呂掃除をしていた僕は災難に招かれた。壊れた家の下敷きになった。
 妻の声で目覚めたものの、今にも亡くなる寸前だ。

 それにしても、妻からの「愛してる」なんて久々に聞いたな。何年ぶりだろうか。
 もっと君を愛するべきだった。いつだって、君たちを愛していたはずなのに。死ぬ間際にこんなくだらない後悔をするなんて。

 だが、どうしたことだろう。
 意識が少しずつクリアになっていくような気がする。死の直前は意識朦朧としているものだと思っていたが、どうやらそういうわけでもないようだ。経験しないとわからないことは多々あるものだ。

「あなた、死なないで……愛してる。だから——」
 彼女は頬を濡らしていた。涙の粒が綺麗に輝いている。

「あなた……光ってる……?」

 あぁ、君の涙は虹色に光り輝いている。
 こんなにも美しい涙を見ながら死ねるとは、最期に良いものを見れた。

「あなた……大きくなって、る……?」

 僕の身体はいつの間にか瓦礫を押し除けていた。
 背中に乗った家の残骸は、まるで息子がちょこんと乗っているかのような重みしか感じない。
 さらに、どうしたことか体が七色に光っている。
 掌を見つめれば、既に君の身体と同じくらいの大きさになっていた。

「な、なんじゃ、こりゃあ……!?」

 その声は台風のような風速となり、君のことを少しだけ吹き飛ばしてしまう。

「ごめん……」
「いいの。あなたが無事なら。あなた、本当に良かった……愛してる」

 君からの「愛してる」の響きだけで、強くなれる気がした。
 その一言だけで、ムクムクと力が湧いてくるのだ。

「あなた、また大きくなってない……?」

 僕はいつの間にか怪獣と同じくらいの大きさになっていた。

 怪獣が驚いたように僕のことを見た。
 敵だと認定したのか、一気にこちらまで駆け寄ってくる。

「ご近所の皆さん、こちらは危険です! 逃げてください! 怪獣が……怪獣が向かってきています!」
 僕は大きな声で叫ぶ。

「あれま、滝沢さん、やたらと大きくなってまぁ」
 隣に住むお婆さんが僕を見上げる。

「こちらは危険です。逃げてください」
「はいはい。歳をとると耳が遠くなるもんだけど、アンタの声はよーく聞こえるよぉ」

 老婆と話す数秒の間に、怪獣が目と鼻の先にまで迫っていた。

「あなたも早く逃げて……!!」
 妻が叫ぶ。

 僕は意を決して伝える。
「僕は、逃げない。勝てるかはわからないけれど、君たちが安全な場所に行くまで、僕はここから離れない——今まで言わずにごめん。愛してるよ」

 妻が僕に抱きつき、涙ながらに言う。
「絶対に、絶対に生きて戻ってきて。あなたの帰りを待ってるから。あなた、愛してるわ」
 電信柱のように太く堅い僕の右腕に、君の温もりを感じた。

 僕の身体が再び七色に光ると、さらに大きくなっていった。怪獣の大きさを超える程に。

 その光に向かって、怪獣が突進を仕掛ける。
 僕は逃げることなく、その怪獣の体当たりを真正面から受けることにした。

 ドシン!!

 衝撃が大気を揺らす。
 地響きのような音が遠くの空まで響いた。

 が、想像以上に痛くも痒くもなかった。
 さながら、息子が抱きついてきたときのような。そのような軽さを実感するだけだった。

 僕は怪獣の体をヒョイと持ち上げる。
 怪獣は空中で足をジタバタとするも、僕からは逃げることができない。
 怪獣の体を持ったまま、僕は足元に気を付けながら慎重に東京湾まで怪獣を運ぶ。
 沖の方まで歩いて行って怪獣を放すと、怪獣はすごすごと海の中へと潜っていった。

「勝った……?」

 近くを飛んでいたマスメディアのヘリコプターから人が乗り出して、僕にマイクを向ける。

「怪獣をやっつけてくれてありがとうございます! でも、あなたは一体!?」
「えー、っと……滝沢、です」

 家に戻ると、そこには妻と息子、そして、ご近所さんが待っていた。

「あなた! ありがとう!」
「お父さん、凄い!」
「滝沢さん、あんた、やるねぇ」

 僕は妻と息子を掴むと、ささやかな喜びをつぶれるほどに抱きしめた。

「あ、あなた、死んじゃう……」
 妻が息絶え絶えの声で言う。

 一晩経つと、僕の身体はいつもの通りの大きさに戻っていた。
 ずっとあの大きさのままでは食費もままならぬと心配をしていたところだ。

 だが、その日から、僕の人生は大きく変わった。

「あなた、また怪獣ですって。『愛してる』から行ってきて」
「またかよ……」
「あ、ここで大きくなられると——」
 屋根を貫いてしまった。

 遠くの方に怪獣の姿が見える。

「やれやれ」
 行ってくるよと手を振ると、「気をつけてね。愛してる」と妻がそっけなく告げる。
 同時に身体が七色に光り、僕はさらに巨大化をする。

「がんばれ! 愛してるぞ!」
「愛してるよ! 滝沢さん!」
「タッキー、ファイト! 愛してるー!!」

 多くの人々から貰う「愛してる」という言葉。

 今日も愛が地球を救う。

<リスペクト>
『チェリー』スピッツ

#クリエイターフェス  #ショートショート

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