「ホンネを話してほしい」という前に
「本音で話そうとチームで決めたのになかなか話してくれない」
「ひとりだけ本音が聞けずいつまでたっても打ち解けない」
こういう声を友人から聞くことがある。
友人の気持ちもわからなくはない。
おそらくチームビルディングにおける「本音で話すことの大切さ」を何かの本やセミナーで聞き、それを実践しているにすぎないのだろう。
だから悪気があってそう言っているのではないのもわかる。
しかし僕はこの言葉に、非常に強い違和感を覚える。
今回はそんな、本音にまつわる話。
1、「本音で話しているのに」
先日、僕の友人から聞いた意見だ。
その友人はとても温厚な人で、あまり普段から怒りを見せることがない。
いつも笑顔で愛想よく、周囲からも好かれているように思える。
それだからか、よく友人からストレスをため込んでいないか「心配」されるようだ。
(ちなみに、僕も出会った当初はよく心配していた)
本音で話しているのに、「本音を話していいんだよ」といわれる。
本音で話していると伝えてもそれを信じてくれない。
そして本音で話してくれないと嘆く。
本音で話している人はどう対処すればいいのだろうか。
2,そもそも本音とは
本音とは何なのだろう。
いつもの辞書で引いてみた。
辞書によっては、「本音を吐く」という表現で「建前」の対義語であるとも記載されていた。
関係が深い相手には言いづらいけれど、それだけに自分の「素」をさらけ出すこと、ありのまま、考えていることを遠慮することなく伝えることが本音であるならば、先述の友人は本音で話していることになる。
それでは、「本音で話してほしい」という人は何を期待しているのだろうか。
3,本音を言う=不満の期待?
思うに、「目の前の人が何か(特に不満や反対意見)を抱えていると発言者が(時として『勝手に』)思い込み、それを聞くことで自分が安心したい」という自己の欲求の表出なのではないか。
目の前の人が何か言いだしづらいのではないか、居心地悪く感じているのではないか。そう考え、その後押しをすることには問題はない。本音を言いたくても、周りを気にして言うことに抵抗ある人もいるからだ。
そうした人には、「本音で話していいんだよ」という言葉は深くささる部分があるだろう。これは「寄り添っている」証拠であり、信頼関係を築く上で、またチームで物事を行う上でも重要なターニングポイントになりうるだろう。
しかし自分はその人ではなく、あくまでも「他人」。
他人が本音を話しているかどうかを完全に見抜くことは難しい。
その人のバックグラウンドを把握できていない初期段階は特に、その人への配慮が必要だと思う。相手の感情や性格、考え方なんて、その段階で完全にわかっているようなものではないだろう。
本音で話していないと「決めつけ」、「なんで本音で話してくれないんだよ」などと目の前の人に伝えることは自身の傲慢であり、余計にチームの雰囲気が悪化する可能性がある。
本音で話しているのに「本音で話す」ことを強要することで、逆にチームの雰囲気を乱してしまっては本末転倒である。
「自己満足」か「他者への配慮」か。
その境目は微妙なラインであるかもしれないが、そこを見抜けるか、見抜けないかが人と関わっていくうえでのキーポイントの一つだと思う。
相手への配慮をしつつ、自然と本音で話してくれるような、そんな関係性を長期的に築いていきたい。
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