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「短い話を長くする」を考える

このところ考えることの一つが、「短い話を長くする」です。
短い話を長くすることで、話の印象が豊かになる。その定理のようなものを考えています。

特に結論が出る話ではないのですが、最近の体験と絡めてエッセイ的に記しておきます。ジャズギターの話です。

ギターという楽器は、主役と脇役を兼ねられる守備範囲の広い楽器です。エレキ化すると、セッティングやエフェクターによって音の選択肢はさらに幅広く無限大になります。
そんな多様な選択肢のあるエレキギターを、アンプ直でソロで弾ききるという、究極的にシンプルな演奏を先日聴いてきました。プレイヤーは中牟礼貞則(なかむれさだのり)さん、老舗ジャズクラブ横濱エアジンにて。

中牟礼貞則さんは、日本のジャズ界を代表するジャズギタリストです。88歳にして現役プレイヤーという事実に驚きますし、まだまだ表現の研究をされているお姿に、リスペクトが絶えません。先日、活動70年を振り返り掘り下げる、ドキュメンタリー書籍が発行されました。

私はソロジャズギターが好きです。ピアノほど流暢ではなかったり、整然としすぎていないややノイジーなところが、自然を感じて心地よいのです。ジャズギタリストのリーダーアルバムの最後の1曲だけソロギターの曲が入っていたりすることがあるのですが、本編では構築的なアプローチがメインになる反動からか自由度や抽象度の高いアプローチになることが多く、独特の味わいを楽しんでいます。

例えば、Russell Malone の Heart Strings というアルバムの締めくくりのナンバー "What a Friend We Have in Jesus" なんかは、まさに余韻を残す見事な演奏です。もともとゴスペルソングをギター1本で表現しており、メランコリックなハーモニーを織り交ぜながら展開しており、琴線に触れるような名演ではないかと思っています。心の中に入っていくような感覚になります。

※リンクを貼っておいてなんですが、アルバム通して聴いてほしい!

さて、お話を中牟礼さんに戻しましょう。

中牟礼さんのソロギターは、いわゆる「ポロロ〜ン、きれ〜い!」(雑)という印象かというと、全く異なるものです。
とても力強く、歩まれてきた人生が乗っかってくるような重みがあり、マイペースで、優しく美しい。そしてなんといっても、全てを細部まで語る表現ではなく、力強いピッキングで断片を表現し、全体を想起させる。

いうなれば、「水墨画」のような演奏です。

木を見せて、森を想起させる。筆を休めたかと思えば、急に森が出てくる。道が開けて突き進んでいったかと思えば、霧に包まれる。演奏を聴いているのに、自省的なひととき。聴く人にとってさまざまな意味をもたらす、演奏を超えた、芸術表現なのではないかと思います。

また、ジャズという演奏形態が、タイトルにもなっている「短い話を長くする」という性質を内包しています。
ジャズはざっくり言うと、同じコード進行をぐるぐる回す、最初と最後の回はメロディを奏でる、中間部は自由、というのが基本ルールです。

スタンダードナンバーが再構築され、オルタナティブなストーリーとして奏でられる長い話は、吟遊詩人の語りよろしく異世界への旅に連れ出してくれるようです。

※中牟礼さんがよく演奏する"Detour Ahead" 

動画の冒頭にて語られている中牟礼さんの様子は、吟遊詩人的な趣があります。

短い話を長くする。直線的な話を曲線的(=回り道 Detour Ahead)にする。ここになにか意味を見出せる気がしています。

それではごきげんよう。

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