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恋とジャズと金継ぎ

歳を重ね、気づけば恋の話はタブーとなった。

これは、「侘び寂び」を考えていたところに、ある友人から恋に関する話を聞いた結果たどり着いた、思いつき。物事の不安定な状況を楽しんだり、憂いたりするのが人の心かもしれず、それが日本人が持つ美意識といわれる侘び寂びを形成してきたのではないか。

その不安定な状態から着地させようとして、枠組みや名付けをする。例えば、恋愛であれば「結婚」のような論理的で客観的で確固たる位置付けを目指して彷徨うことが、多々ある。
状況に恵まれ結婚そのものに着地する場合はもちろん、関係性としては全く合理的ではないのになぜか結婚を目指してしまい破綻するケース(痴情のもつれの典型例)や、関係があることを周囲に認知してもらうことで、確からしさを得るようなケース(あの人たちはデキている、と言われて嬉しい例)など、さまざま思い浮かぶのではないだろうか。

あるいは「あの人にとって特別な存在ということが担保できればそれでいい」というスタンスに立てば、変化球的な表現として「養子」というのもある。
横浜の個性的なミュージシャンである鶴岡龍さんのKIMINOKOという楽曲では、そんな、特別な存在でありたい/自由でいたい、という2つの願いを両立した、大変ワガママな心境が表現されていて少し笑える。

KIMINOKO

君の養子になりたい
いつも気にかけて欲しい
特別に扱って俺を
わがままを聞いてくれよ

君の子供にさせて
毎朝起こして欲しい
でも夜は彼女の家に泊まるかもしれないけど

(以下略)

鶴岡龍とマグネティックス/LUVRAW

単なるワガママなのか、遠慮をユーモアに転換したのかわからないが、終着点ではない着地点としての「養子」というワードが強烈だ。同時に、前述したような色情に迷う人々に対する、ある種の提案のようにも思える。

恋愛というのは、どこまでいっても主観的な感情で、ただただ実態しか存在せず不安定。それゆえに、文学的な芸術活動との親和性が非常に高い。そのことに納得をさせられるような、詩世界だと感じる。

恋愛が持つ、関係性の創造と破壊と修復という構造を考えると、ジャズ・ミュージックが思い浮かぶ。楽曲構造という最低限のガードレールが敷かれた中で、演者同士による個性のぶつかり合い、車線変更、あるいはコースアウトに至ったのちに復旧することもあるのがジャズの特徴。
音を発することで創造し、あるいは関係を壊し、そこに別の演者が新たな音を投げかけて全体を修復する。そんなやりとりがドラマとなり、第三者である聴衆に擬似体験やカタルシスをもたらす。

同じ楽曲でも、アーティストによって違うのはもちろんのこと、メンバーによっても違うし、演奏する度に違いが生まれる。この点は多くの人が知っているジャズミュージックの顔だと思うが、楽曲のアレンジ上の違いを除けば、演者同士のインタープレイ(相互作用)によってこそ演奏の違いが生まれる。

音楽は競争じゃない。協調だ。一緒に演奏して、互いに作り上げていくものなんだ。

マイルス・デイビス

伝説的ジャズマンにして革命的音楽家の、故マイルス・デイビス氏の言葉だが、これは当然ながら仲良くやることがいいと言っているわけではない。一緒に音を出すのは、それまでの関係を壊すことでもある。そして、また音を出してそれを修復する。
つまり、ジャズ・ミュージックにおいて起きているのは、常に「破壊と修復」なのではないだろうか。

破壊と修復、と聞くと思い浮かぶのが「金継ぎ」だ。
日本の伝統的な修復技法であるが、近年は世界のアーティストを魅了し、作品のモチーフにも度々登場している。イタリアのジュエラー「ポメラート」のコレクションや、映画『スターウォーズ スカイウォーカーの夜明け』でのマスクにも金継ぎが登場する。不完全さを受け入れることに美を見出し、その証として金継ぎのモチーフが存在感を放っている。

日本の伝統的な金継ぎを世界に発信する作家の 清川廣樹 氏は、BBCでのインタビューにこう答えている。

“In an age of mass production and quick disposal, learning to accept and celebrate scars and flaws is a powerful lesson in humanity and sustainability.”

「物が大量に生産されすぐに捨てられる時代において、傷や欠けた部分を認め、むしろその良さを見出すようになると、人間らしさや持続性といった教訓を強く得られる。」

The Japanese art of fixing broken pottery - BBC REEL

一見すると欠損や不完全さを感じさせる傷に、むしろ良さを見出す。ここに、豊かな人間性を見出していることがうかがえる。

さらに、金は「浄化」「自分を映しだす」「永遠の輝き」「不老不死」など様々なものを象徴してきている。継ぐだけであれば、漆だけでも事足りるところにわざわざ金を抱かせるのは、外面的な装飾性に加えて、修復したことに意味づけを行なっているのかもしれない。


恋愛〜ジャズ〜金継ぎ。これらは侘び寂びから派生した思いつきだが、いずれも「枠組みと実態」を行き来する点でも共通しているように思える。両者が重なるところに垣間見る「不合理的な揺らぎ」が侘び寂びなのかもしれない。そして、実態によって既存の枠組みを壊し、新たな解釈という枠組みを獲得する。そんな、「破壊と修復」活動が繰り返されるわけだ。

あらゆるサステナビリティを考える際にも「破壊と修復」という視点は欠かせないだろう。何も起こらず劣化もしない、単に同じ状態が延々と続いていくことがサステナビリティではなく、変化をしながら続いていくことがその本質ではないだろうか。可視化されずに感性の中だけに実態が存在する感覚は、成熟した人間文化の骨格を成すように思える。

つまるところ、大小さまざまな「一期一会」の連続が人間文化なのだろう。

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