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「学び」についてnoteを巡回してみた

「勉強法」や「学び」、インプットしていくことに興味があります。もちろんアウトプットも必須ですが、先ずは「入るもの」が無ければ何も出せませんし、形作るのも難しいと思います。

ですので、自分の中にインプットを、特に膨大に放り込んでいき醸成させていくのも必要だと考えています。

先ずはこちらを

2年半ほど前に書いたnoteですが、大意はあまり変わっていません。やはりインプット、それは体験でも追体験でも情報でも変わりなく「何を入れてきたか」で自分が形成されていくものだと思います。

特に自分の場合は「読む」が1番得意なインプット方法になります。次に身体を動かす方法でしょうか。音声や動画などはそれらを補う感じですね。

その得意とする「読む」を最大限活かし続けていきたいです。

教育についてはいろんな人の、いろんな意見があると思います。得意不得意でも分かれますよね。恐らく正解はないですが、全てを一律にするのではなく、スポーツやクリエイトなどの力を伸ばす人、その環境も評価を得て堂々と選べると良いなと思います。

本来、教育は競争する為に入試などがあるのではなく、それぞれのレベルや個性に応じて選べるようにするものだと思うので。通信制などもそういった意味で必要な人が、必要に応じて活用しやすいように整備されていけば良いなと思います。


「学ぶ」ことも筋トレと同じで、自分で考える特訓をすれば鍛えられる。知性には限度がないから、何歳からでも学べるのではないか。

「#学ぶこと」でnoteを巡回してきました。次は「#最近の学び」で巡回。

読書の悩みもいろいろあって、最近は神屋も電子書籍に馴れようとしています。本筋ではないけど、読書に付随する楽しみもまた学び促進への刺激になったりしますね。

「スポーツ」と置き換えてみれば。スポーツを成立させていく上で必要なことも同じように語れるもののような気がします。

労力をかければかけるほどよいものはできるはずだ。作り手は、モノを作っていることが本分だ。そんな話はリアルでもツイッターでもよく耳にする。けれども、クリエイティブ勢の「幻想」が「事務」とか「現実」「数字」を霞ませ、会社を傾けていった


私達には、誰かの苦労が見えない。だから個別の事例を上げてくれることは尊く、誰かの声に耳を傾けることには価値がある

学ぶ上で、新しいことに取り組む、興味を持つ時に大切な態度意識だと思います。


運動が苦手でも、目が見えなくても楽しめる、まったく新しいスポーツ。既存のスポーツのように勝利至上主義だけじゃない、だれもが楽しめるようなスポーツ。そんなスポーツがあればいいんじゃないか──。


年齢を重ねるほど知性(知識)は増えていきますが、それらをその場面ごとに引き出し、適切な形で人に伝えることの何と難しいことか…。


あとがき

たどり着いたnoteたちは当初、目的というかイメージして検索をかけたものとは違ったかもしれません。このnoteの冒頭と途上ではずれがあるかもしれません。

でも、検索して「答えを探す」行き方とは違って様々なnoteに出会う楽しみと学び、それらを読んで何かを感じ、思考することもまた大きな意味を持つような気がします。

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