大切なことだからこそ「書かない」選択肢もある
何でも全部書きまくる人も居るでしょう。全てがコンテンツでネタにする。そうでないとどこかで行き詰まるのかもしれません。
でも大切なことだらこそ書くという選択肢もあれば、そっと心の中にしまって置きたいこともある。
コンテンツとして成形し、市場に出すという行為はどうしてもその大切なことさえも消費することになる。流通に乗せることになる。
想いはどんどん出していく。
これも1つの正解。
想いはあえて出さない。
これも1つの正解。
だからあえて出していないだけで興味がない訳ではないし、無関心な訳ではない。
出しているからといって無遠慮でもなければ、逆にスゴく思っているかどうかは解らない。
結局、他人の心中は推測出来たとしても正解なんて、正確に捉えることは難しいと思う。
表面に出ていることだけ、上辺だけで判断しないのも大事だし、上辺だけを気にして無理に取り繕う必要もない。
SNSがもたらした便利さと新たな悩みや葛藤。そういう部分はあるにせよ、自分らしく動いていくしか、選んでいくしかないように思う。
それはリアルでも変わらないことだったし、これからも変わらない。オンオフいずれにしても何らかの行為には、自分という身体性を伴うことだから。
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