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タイムラインの並びを意識しすぎない

逆を言えば丁寧に、完璧な発信を心掛けるならタイムラインの並びまでも意識して創作や公開、発信をするのもありだと思います。フォロワー、読み手にとっては凄く便利でありがたい。その反面、目的に応じた流れしか発生しないので別のアカウントを持ってそれぞれで運営するなどの手間暇を多くかける必要も出てくるような気がします。

そこまでやりたくないよね、そこが最終目標ではないよね、という方はタイムラインはそれほど意識せずに書きたい時に書き、発信、公開も自分のタイミングで動いた方が長続きするかもしれません。ほんの小さなところを心掛けるだけで大きな差になることは間違いないのですが、8割9割まではそこまで意識するよりは先ずはきちっと続けること、ある程度の質量、品質を担保する方に意識を振り分けておいた方が良いと思います。

教科書等は体系立ててきちっと整理されていないと使いにくい面もありますが、行間が大きくなって細かいところまでは無かったりしますね。効率よい勉強には役立ちますが、なんとなく無機質で面白みがないかもしれません。

noteやTwitterも同じで体系立てて書かれたものはタイムラインを追いやすい一方で、タイムリーな情報や流れを味わうことはできません。今、この瞬間ならではの流れ、動きを味わう方が嬉しいと感じる人も居ると思います。書き手の息遣いというか、動きが見えてくる、感じ取れる、共感しやすくなるなどのメリットもあるかな?と。

もちろん書くからには、公開するからには読み手に対する目的や配慮、意識は必要ですが、上記のような方々を意識するならこの行き方もありだと思うんですよね。

書き手だけの都合を考えたらなおさら、思い浮かんだフレッシュな材料で書くことも意欲も上がりやすいし、手がけやすい面があるもの。そういった感覚は読み手とも共有できると思います。神屋はそうやって20年以上、こうして発信、書くことを続けてきました。

ちょっと参考にして頂ければ幸いです。


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