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【書評】古典黄金本格は、難しい│「朱の絶筆」鮎川哲也

 鮎川哲也の「朱の絶筆」を読み終わった。本書のあらすじは、篠崎豪輔という傲慢な流行作家が、別荘で殺される。別荘に集まっていたのは、9名で、うち6名は殺害の動機がある。犯人はなぜ原稿の束を焼却したのか?というもの。

 オーソドックスな古典的本格ミステリである。キャラクター造形は舞台装置+α程度のもので、事件及びトリックに焦点が置かれる。この、一昔前の日本人の会話というのは、独特の雰囲気があって、中々良い。良いのだが、この手のタイプも読み慣れてくると、退屈に感じる。

 本書の特徴は、冒頭部分で、それぞれ名前を伏せた状態で、A~Gまでの人物の動機が語られる事だ。物語を読み進めていくと、「コイツはBかな?」といった具合で、大方予測が着くのだが、微妙に何人かは判明しない。よって、これを予測しながら読み進めていく事になる。

 事件は恨まれる豪輔のみが殺されるかに思われたが、次々と宿泊者が殺されていく。順当に考えて、彼らの間に隠された怨恨があるか、もしくは都合が悪い自体があり殺されたかのどちらかである。そういった感じで、次々と殺され、最後に名探偵が現れ、解決する。

 まず、第一に、僕はミステリレビュアーとしては下も下である。というのも、それは読んでいる数が端的に少ないからだ。よって、的外れな事を言う恐れが往々にしてある。それでも、これだけは指摘したい。端的に言って、本書は古すぎるように感じた。「今読むととても読めたもんじゃ」ない、と言うのは言い過ぎかもしれないが、退屈である。

 黄金古典本格としての体裁はある。しかし、リアリティというか、忠実に段階を追って話を進めていくので、反面、どうでもいい箇所が極めて多い。冗長である。肝心の犯人当ても、消去法から推理するような類のもので、正統派の犯人当てだとは思うが、それくらいである。

 普通にミステリとして犯人当てが一見難しく、分からないものを出して、読者への挑戦状を行い、最後に解決するだけのミステリ。ミステリ自体を開拓していた時代であれば、語る価値があったのだろうが、今読み返すとして、リーダビリティの面での洗練されてなさにどうしても着いていけない。

 ミステリレビュアーはトリックの質で評価するのだろう。よって、それを考慮すると、第一の殺人のネタは面白く、このトリックは考慮出来なかった。読み手としての技量の低さもあるだろう。連続殺人の動機は、普通に成立しているし、それに関する推理も十分に可能だろう。だから、ミステリとしての質は高いのだろう。

 問題なのは、僕のような初心者には、トリックの質を論じて楽しむようなレベルに達していない事だ。端的に言って、そういう読者には、楽しく読めるものではない。ミステリの熟練度が高い読者にとっては評価が高くなるのだろうというのは感じた。

 もっとも、今になって鮎川哲也氏を読み返すのは余程のミステリ好きであるから、楽しめる人が多数なのかもしれない。もう少しミステリの楽しみ方を弁えて、再挑戦してみたい。

著者プロフィール:

 抜こう作用:元オンラインゲーマー、人狼Jというゲームで活動。人狼ゲームの戦術論をnoteに投稿したのがきっかけで、執筆活動を始める。月15冊程度本を読む読書家。書評、コラムなどをnoteに投稿。独特の筆致、アーティスティックな記号論理、衒学趣味が持ち味。大学生。ASD。IQ117。

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