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【コラム】存在するものは全て善である│アウグスティヌス「告白」【連載4回目:2024/05/24】

著者プロフィール:

 抜こう作用:元オンラインゲーマー、人狼Jというゲームで活動。人狼ゲームの戦術論をnoteに投稿したのがきっかけで、執筆活動を始める。月15冊程度本を読む読書家。書評、コラムなどをnoteに投稿。独特の筆致、アーティスティックな記号論理、衒学趣味が持ち味。大学生。ASD。IQ117。

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 神義論における、「神が善ならなぜ悪が存在するのか」問題に対しての解答として、「悪は実体ではない」という論がある。これを述べたアウグスティヌスを引用し、彼の真意について考察しよう。

 それから、朽ちるべきものも善であることがわたしに明らかになった。朽ちるものは、最高善であれば朽ちるはずはなく、また善でなければ朽ちるはずはない。もし最高善であれば朽ちることはなく、またまったく善でなければそれらのうちに朽ちるようなものは何もないからで ある。朽ちるということは害することであり、善を少なくするのでなければ害することにはならないからである。しかしそれらはまったく善を失うなら、まったく存在しなくなるであろう。

(「告白 上」岩波文庫,p227)

 説明が非常に分かりやすいので、恐らく大半の人が理解したであろうが、つまりこういう事である。良いものを悪くするのが害するという行為である。全ては害される。よって、全ては良いものである。つまり、この世の被造物(物質)は全て良いものである。

 この論理だと、核爆弾でさえ、良いものになる。核爆弾は、「朽ちる」からだ。しかし、果たしてこういった考えはいいのだろうか。少なくとも、物質そのものは良いものであるという考え方は出来る。核エネルギー自体は、原子力発電などに使用され、良い影響をもたらす事もあるだろう。もしくは、武器でさえ、用途があるのだから、良いものだ、と捉えるという事か。

 つまり、神の作ったあらゆるものは良いものだ、という事だ。では、なぜ悪が生まれるのか。これを、アウグスティヌスは意思の背反として説明する。つまり、「核爆弾」は悪ではない。自由意志によって、「核爆弾を敵に投下する」のが悪である。もっとも、この例だと、「核爆弾を作った」意思も悪になると思うが。

 悪を犯す事も含めて、完全に自由なのが自由意志である。自由意志そのものは善である。しかし、悪を犯す。悪を選べるという事も含めて、善なのである。つまり、神は善なる自由意志を与えたが、その中で、人間のみが悪を選べるようになった。こういった見事なロジックが成立するのだ。

 実際、水を飲めば旨く、鳥の鳴き声は心地よく、空は心を癒すこの世界において、我々に与えられたものは善なものだらけだ。物質は極めていいものである。しかし、極めていい物質を愛するのではなく、それを通して作った神を愛せよという事である。ところで、こういった考えは、物質嫌悪的なキリスト教徒とは違っている事にも留意すべきだろう。

 今回はやけに当たり前の話になってしまったが、「物質は悪ではない」という話について簡単にまとめられたと思う。それでは。


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