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第3章 仲間紹介①:ふーき

今回は、ABCのもう一つの柱となる古着・リメイク服を担当する3人の仲間たち紹介①、ふーきさんです。同じ大学学部の先輩です。僕は正直服のことは疎いですが、メンバー3人それぞれすごく気持ちいい筋の通り方をしたファッションをしているなぁと思います。ふーきさんは本屋の話を持ちかけたのが初対面だったのに、すごく面白がってくださってつくづく人に恵まれているなと感じます。
紹介にあたって、本人から自身の読書経験について寄稿いただいています。どうぞ。


本屋に服を置くらしい、しかもその本屋は同級生がやるんすよ、と後輩から話をもちかけられて、何それおもろそうと思って僕も本屋オープンに一枚かむことになった。ブログに何か書きませんかといわれたのでせっかくの機会だし何か書いとこうとおもって、これから何か書く。どうせなら本について書こうかな。実は僕は小説が大好きで、それは自分の性格に大きくかかわっている気がしている。とはいっても気がしているというだけで、別に確証があるわけではない。性格なんてあってないようなものだろうから。なんで気がしてるのかっていわれるととても困ってしまう。

僕は、何か本を読むと、その本を読んだ時の周りの風景とか、気温とか、感情とか、そういうのも一緒にこの出来損ないの脳みそにたまる。本を読みなおした時に、その時のことも一緒に思い出されるってわけ。これは可逆的に作用する。川上未映子さんの「乳と卵」(文藝春秋,2008年初版)という小説が大好きで、初めて読んだのは高校1年生の秋だったけど、その時の衝撃はすごかった。そこで成長について考えるようになったし、女子には僕には理解できない感情があることとか、自分の嫌いな部分が生きていくことと同時に変わっていくこととか、体がかわっていくこととか、そういうことを感じるようになった気がする。うーん。なかなか言葉にできないけどそんなこと。今も秋口になると、少し寒くなってきたなぁとかそんな時に読み返す。するといつでも僕はあの時に戻れる、なんてことはないけど、なんとなくそんな気がして、忘れたらいけない感情をまだ忘れていないことを確かめて、少し悲しくなったりうれしくなったりする。過去に戻るってわけじゃなくてその時の感情に戻るってことが大切、な気がしてる。あと、自分の彼女の指を持ち続ける小説、中村文則さんの「遮光」(新潮文庫,2004年初版)も好き。何やってんだろう、ってわかってるけどやめられないことあるじゃん。そういうことを感じたときにこの本を思い出す。僕は、あんまり頭がよくないから、そういう感情だけでも覚えてたいと思って本を読んでるのかもしれない。頭いい人は本を読んでるなんて言うけど、それはきっと嘘で、何にも考えられないから読んでるんだよね、少なくとも僕は。でもこの体験って不思議とほかの媒体ではなりえない。ドラマとか映画とか漫画とかアニメとか、こんな風に感じない。どうしてかな、って考えると、多分頭の中で映像を展開するかしないかの違いだと思う。ラジオドラマだとこの体験はできるし。

あーしょうもないことをここまで書いてしまった。そうそう、本のことをもう少し。本ってなんかエロくねっていう話。さらっとエッチなこと描写しやがるじゃないですかあいつら。あれってなんかよくないですか。例えばカフェでかわいい女の人が本を読んでたとして、その本にブックカバーがしてあったとします。そしたらその中身はその人にしかわからない。その人が村上春樹のどのシーンを読んでるかわからないじゃないですか。あーまたしょうもない。やめますこの話。カット!

一つの描写された行動や物事が、読む人によって変わるのも好きです。例えば、sex、親、服、酒、旅行、殺人、銃、レコード、とかね。さて、本屋さんの話全然してないけど結構書いたし、まあいいでしょ。また機会があったら書くよ。よろしくABC。寒いね。


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