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『脳が目覚める「教養」』#2 教養とは何か

2019年8月20日に発刊される新刊『脳が目覚める「教養」』(茂木健一郎著)の試読版として、「はじめに」および第1章を無料公開しています。"雑学の寄せ集め"のような薄っぺらい教養入門書では得られない「真の教養」を身に付けるために必要な考え方とは――?

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その1

教養は、あなたをより自由にする知識であり生きるスキルである

「教養ってなんですか?」

先日、とある女子校に講演会で伺ったときに、ある生徒から聞かれました。

僕はこんなふうに答えました。「教養とは、もともとリベラルアーツだから、より自由になる知識、スキルです」

「教養」と聞くと、皆さん何を想像するでしょうか? 多くの人が共通して思い浮かべるのは、岩波文庫のような「本を読んで学べること」だったり、哲学の始祖といえばソクラテスと間髪入れずに答えられるような「知識量」だったりするのではないでしょうか。

ソクラテス(紀元前469頃-紀元前399)
古代ギリシャの哲学者。『ソクラテスの弁明』が有名だが、ソクラテスは著述活動を行なっておらず、執筆は弟子のプラトン等によるもの。

もちろん、それらは疑いなく「教養」です。教養なのですが、僕はこのタイプの教養を「静的教養」と呼んでいます。

「静的教養」を身につけるには、たくさん本を読んで、音楽を聴いて、映画を見て、自分の知識の幅を広げるしかありません。昔の文化人、教養人といわれる人は、そうして知識を自分の内側に取り込みました。

そして、ある過去の時点までは、そのようにして「普通の人よりたくさんの知識を持っている」「ものをよく知っている」ことがステータスであり、社会的立場や収入に直結していました。

資本主義以前の時代や、日本でいえば大正時代や昭和のはじめまでの階級制が維持されていた時代においては、勉強できる、本を読める、知識を増やせることは、そのまま富裕な階級の人間であることを意味していましたし(社会が資本家と労働者に分かれていた時代においては、資本家=富裕層でなければ、1日を読書や学問に費やすことはできませんでした)、特権を享受できるということだったのです。

現代に必要な新しい教養とは?

でも僕は、現代に必要な教養はそれだけではないと思っています。現代において、「静的教養」とともに必要な教養を、僕は「動的教養」と名づけました。「動的教養」とはどんなものかというと、たとえばこんな感じです。

あなたはいま、中国を旅行しています。中国語の看板ばかりで、何が書いてあるのかわからない。じゃあ、Google Lensを起動して、看板をかたっぱしから読ませてみよう。

さて、看板を読ませたら、中国でもタピオカミルクティーのお店が乱立していることに気づいた。どこのお店がおいしいのか、中国版ツイッター「微博」で検索しよう。

微博
正式名称は新浪微博(シンランウェイボー)。新浪公司が運営するミニブログサイトで、Twitter とFacebook の要素をあわせ持つ。

中国語は読めないけれど、Google translateで翻訳すれば無問題──つまり、あなたの身近にあるツールを使いこなして知識の幅を広げ、コミュニケーションに役立てる力。僕はこれこそが現代の「新しい教養」であり、「動的教養」だと思っています。

「動的教養」は、かつての「静的教養」のように社会的な階級とは結びつきません。しかし、「動的教養」もまた、現代における収入と直結しているのです。

たとえば、ユーチューバーなんかが典型ですね。最近のトレンドのひとつが、YouTuberの低年齢化です。5、6歳の男の子がスポンサーからいろいろなおもちゃを贈られて、それに対する素直な反応をYouTubeにアップする。そんな動画がすごく伸びています。

YouTube
世界最大の動画共有サービス。本社所在地はカリフォルニア州サンブルーノ。YoutTube は造語で、Youは「あなた」、Tubeは「ブラウン管(テレビ)」という意味。

「本を読むことで得られる知識の量」や「階級」とは関係なく、「収入」に直結する「知」。これこそが、現代の教養の姿です。

動的な教養が、あなたを自由にしてくれる

そんな「動的教養」がもたらすのは、「自由」です。6歳のユーチューバーが一生分の富を稼ぎ出せば、彼はこれから先の人生を、ただ、自分の好きなことの追求のために使えます。

勉強したければ大学まで行って勉強してもいいし、学歴などおかまいなしにもっともっと自分の好きなことを極めていってもいい。その先にあるのは、まだ多くの人が知らない新しい「場所」かもしれません。

もちろん、古い教養、「静的教養」を積むことでも、いまより新しい場所へは行けるでしょう。でもそこは、きっと昔ながらの価値観や伝統的な階級にしばられた、自由とはいえない場所です。

しかし、新しい教養、「動的教養」をあわせて身につければ、あなたは本当に自由な、「新しい場所」へ行くことができるのです。

多くの人は、勉強であればテストでいい点数を取る、あるいは仕事であればお金を稼ぐために資格を取る。そのために必要な知識やスキルが教養だと誤解しています。

しかし、現代社会は複雑で、我々の人生も複雑です。そこを生きる自分も複雑な存在で、そんな複雑な世界を自由にたくましく、しなやかに生き延びていく方法を教えてくれるものが、本当の意味での教養だと僕は思うのです。

「教養」は使っていない脳の回路を覚醒させる

もう少し、教養がもたらす効果についてお話ししましょう。

たとえばレオナルド・ダ・ヴィンチ※。ルネサンス※を代表する画家の彼が、ヘリコプターや戦車のデッサンを残していることはよく知られています。また、彼の絵は息を飲むほどの精緻な表現で描かれ、光に溶け込んでいきそうな登場人物の優美さや不思議な表情は、何百年にもわたって人々を虜にし続けています。

レオナルド・ダ・ヴィンチ(1452-1519)
イタリアのルネサンスを代表する画家。代表作は「モナ・リザ」「最後の晩餐」など。「人類史上最も多才」との呼び声も高い教養人。
ルネサンス
再生・復活を意味するフランス語。14世紀にイタリアで始まったギリシャ、ローマ文化を復興しようという文化運動。ルネサンス運動の時代(14-16世紀)を指すこともある。

そんな魅力の背景には、当時としては最先端の解剖学や、光の原理に関する知識がありました。彼は人体の精密な解剖図を残しており、眼球の解剖を通して光とレンズの関係に気づいていました。

ルネサンスといえば14世紀。カメラが発明される400年も昔に光の原理を見出し、ライト兄弟※が初飛行する500年前にヘリコプターを想起していた……と書くと、彼のすごさが伝わるでしょうか。

ライト兄弟
オリバー・ライト(1867-1912)とオーヴィル・ライト(1871-1948)の兄弟。自転車屋を経営しながら動力飛行機の研究を続け、1903年に世界初の有人飛行に成功。

なぜ、ルネサンス期イタリアの画家であるダ・ヴィンチがそのように卓越した知見を持ち、さまざまなものを発明、想像し、多くの天才的な絵画を描くことができたのでしょう。

彼が天才だったから? もちろん、それはそうなのですが、ではなぜ彼が天才だったかというと、静的教養と動的教養をあわせ持っていたからだ、と僕は思います。

彼は、地元の名士で公証人だった父と農夫の母の間に生まれた私生児で、子ども時代は当時の良家の子息が受けていたラテン語やギリシャ語の教育を受けられませんでした。

その代わりに、博学な叔父から天体観測の方法や嵐や水の力といった気象学の知識、植物や生物などの博物誌の知識を与えられ、独自の教育を受けたといいます。

また、当時レオナルド・ダ・ヴィンチが住んでいたヴィンチ村はトスカーナ州のカントリーサイド。自然豊かな環境で、ダ・ヴィンチは叔父から学んだ気象や生物に対する知識を、実体験することもできました。

叔父から書物的な知識、つまり静的教養を学び、その一方で学校的な場所ではなく、自然界で動的な教養を培った。それは幼少期だけでなく、師匠であるヴェロッキオの工房に見習いとして入った10代の頃も同じでした。

田舎町から芸術の都・フィレンツェに移住した彼は、それまで学んでいなかった古典教養を猛然と吸収しつつ、絵画の知識とともに、解剖学や軍事術といった当時最先端の情報を学んでいくのです。

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日本実業出版社のnoteです。まだ世に出ていない本の試し読みから日夜闘う編集者の「告白」まで、熱のこもったコンテンツをお届けします。