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芥川龍之介は厭世観を解消するために筋トレをすべきだった?

「死」の文学入門~『「死」の哲学入門』スピンアウト篇 第2回
内藤理恵子(哲学者、宗教学者)

『誰も教えてくれなかった「死」の哲学入門』著者、内藤理恵子氏の寄稿によるスピンアウト企画「『死』の文学入門」。
第2回は芥川龍之介を取り上げます。
※第1回 K的な不安とSNS―夏目漱石『こころ』
※関連記事『誰も教えてくれなかった「死」の哲学入門』幻のあとがき

芥川龍之介との不思議な縁

拙著『誰も教えてくれなかった「死」の哲学入門』に「あとがき」は出てきませんが、それに相当する箇所があります。天文学者カール・セーガンの「宇宙階層論」を私なりに深堀りするために、2019年5月から6月にかけて東京都中央区銀座8丁目の「中銀カプセルタワービル」に滞在した時のエピソードを書いたのがそれです(同書P277〜281)。それは、芥川龍之介との不思議な縁の始まりでもありました。

中銀カプセルタワーから徒歩数分の場所にカフェーパウリスタという喫茶店があります(カフェーパウリスタは日本における喫茶店発祥の地)。そこに出入りしているうちに、店の片隅に長谷川泰三氏(『カフェーパウリスタ物語』の著者)による「パウリスタの鏡」についてのリーフレットが置いてあるのを見つけたのです。それによれば、芥川龍之介の自殺の遠因となったのは、「カフェーパウリスタの壁の鏡」ということでした。芥川はすでに精神錯乱状態にあり、それをはっきりと自覚したのが「パウリスタの鏡を見た時だった」とあるのです。確かに、遺稿となった『或る阿呆の一生』の鏡のくだりを確認すると、こうあります。

 カッフェの壁に嵌めこんだ鏡は無数の彼自身を映していた。冷えびえと、何か脅かすように。……(芥川龍之介『或る阿呆の一生』)

わずか1か月だったとはいえ、毎日のようにカフェーパウリスタに通った私は、ある時、店に流れる独特の空気に気づきました。カフェーパウリスタならではの「磁場」とでも言うのでしょうか、そういったものがとてもフラットで、視野がクリアになったような妙な感覚におそわれたのです。そのクリアな眼でカフェーパウリスタの壁の「大きな鏡」を眺めていると、明鏡止水の境地で己の姿と対峙できました。ここに芥川の自殺の「トリガー」があったのでしょう。つまり、自分がすでに狂っていることに、カフェーパウリスタの鏡を通して「気づかされた」という流れになるのです。彼の最晩年の作品は自分の狂気すらも私小説に仕立て上げ、前期とはまるで違った作風になっています。

芥川龍之介とはどのような生涯を送ったのでしょう。明治25年(1892年)に生まれ、生まれた直後に母親が精神を病み、芥川が11歳の時に亡くなりました。その後、夏目漱石にその才能を見出されましたが、体調の悪化、女性関係のこじれなどで心身ともに消耗し、35歳で睡眠薬自殺(他説もあり)しました。彼の死については諸説ありますが、作家・評論家の中村真一郎は彼の死を「何のために死んだのでもない」「具体的な理由があったわけではない」とバッサリ斬っています。本当にそうでしょうか。

複数ある遺書の中では「ぼんやりとした不安」のくだりが非常に有名ですが、他方、別の遺書では「勿論死にたくない。しかし生きているのも苦痛」「僕は現在は僕自身には勿論、あらゆるものに嫌悪を感じている」と明確に述べており、つまり「死にたくない」と「自分で自分がとことん厭になった」の狭間で消耗していたことがわかります。第一次世界対戦や関東大震災など、芥川が生きていた時代は未曾有の非常時だったわけですが、震災の跡地を歩いていた時の彼の快活さ(川端康成の証言)などをみるに、彼は外的事象云々よりも、自分を含めた人間という存在そのものの中にある「地獄」に自身が耐えられなくなったのでは、と考えた方が解せます。

そして彼の内的な地獄を改めてありありと映し出したのが件の鏡であった、というわけでしょう。諸説あるかと思いますが、私はそう思います。彼は死の間際、パウリスタの鏡の向こうに何を見出したのでしょう。

芥川は、件の鏡について多くは語っていませんが、私が実際にその鏡を見て思い起こしたのは「浄玻璃(じょうはり)の鏡」でした。千葉県の虫生(むしょう)地区で「鬼来迎(きらいごう)」という古くから伝わる仏教劇を見たことがあり、それに「浄玻璃の鏡」が出てきます。「浄玻璃の鏡」とは、地獄の閻魔王庁にあって、死者の「生前のおこない」を映し出すという鏡のこと。それがもし現世に存在するとしたら、このようなものに違いない、と思わせる“厳かさ”がパウリスタの鏡にはありました。

芥川は作家として脂が乗っていた中期に「地獄」を題材にした「地獄変」(1918年に連載)という短篇を書いています。ある狂気の絵師が「地獄の絵」を描くために正常から逸脱していき、ついには自分の娘が死んでいく様までを克明に絵に描き、その結果として傑作が生まれる、という物語です。その物語を読む限りでは、芥川は正気と狂気、美と醜、善悪や倫理を超えた境地に達しています。善悪の彼岸にいる芸術家芥川龍之介自身を「裁く存在」など、もはやいないような無双状態にも思えますが、それでいて自身を断罪し、自死へと導いたのは「浄玻璃の鏡」のような存在、つまりもう一人の彼自身だったのではないかと思うのです。

芥川の「読み間違い」

芥川は、それでも、死を選ぶ前にキリストに救いを求め、さらには、それに挫折していました。なぜ挫折したのか。断定はできませんが、彼の聖書の読み方に少なからず問題があったのでは、と思います。特に「聖霊」についての解釈などは首を傾げざるを得ません。

例えば、「我々は風や旗の中にも多少の聖霊を感じる」「聖霊は必ずしも『聖なるもの』ではない」「聖霊は悪魔や天使ではない。勿論、神とも異なるのである」「我々は時々善悪の彼岸に聖霊の歩いているのを見るであろう」「マリアの聖霊に感じて孕んだことは羊飼いたちを騒がせるほど、醜聞だったことは確か」「彼(キリスト)は母マリアよりも父の聖霊の支配を受けていた」など、彼の聖書解釈は「三位一体(父・子・聖霊が全く同一であること)」の概念が驚くほどにすっぽりと抜け落ちており、その代わりに「聖霊」と日本的な「霊」の解釈が入り混じった風変わりな解釈を展開させていきます。

<芥川龍之介、日本の文学者、1892―1927>

芥川

(イラスト:内藤理恵子)

芥川龍之介に対する疑問

芥川の「曲解」は、それに留まりません。彼の精神を蝕んだ厭世観の源泉は彼の環境にもあると思いますが、その考え方の輪郭をより一層強めたのは、哲学者ショーペンハウアー(詳しくは『誰も教えてくれなかった「死」の哲学入門』P68〜75にて)の「読み方」だと思うのです。ショーペンハウアーの思想といえば「ペシミズム(悲観主義)」が代名詞のように語られます。たとえば、ショーペンハウアーの人生観を集約した次のような文章を読むと、そのまま、厭世的に読めてしまいます。

 ひとつの雄大な美しい音楽を演奏しようと準備を整えている管弦楽団から、わたしたちが、ただ、混乱した音調、走り過ぎ去る管弦の音、始まったり途絶えたり・しかもさっぱり完結しないさまざまな楽曲や、いろんな種類の細かい断片的作品ばかりを聴かされるのと同様に、人生においても、全体が錯乱しているため、意のままになる快適な富裕な境遇とか、幸福に恵まれた生涯などは、とても認められず、現れてくるのは、ただ、それの断片、杯をつきあわす弱々しい音、発端だけであとは続かぬほんの真似ごとぐらいのところに過ぎない。──たとえ、その管弦楽団の中で、或るひとりが、いかなる楽曲をはじめたところで、調子は乗らず、節は乱れて、期待していたような雄大な美しい音楽とはならないから、むしろ演奏を思いとどまった方がましであろう。
(ショーペンハウアー『自殺について』訳・石井立、角川ソフィア文庫)

ショーペンハウアーは人生を音楽に喩え、注意散漫な酷い演奏にしかならないのだから、それなら始めから演奏しない方がマシだと端的に投げてしまう。そのような厭世観に芥川もすっかり呑み込まれた可能性は高いと思います。事実、芥川はショーペンハウアー(ショオぺンハウエル)について以下のような考察を作品中に残しています。

 「しかしショオペンハウエルは、──まあ、哲学はやめにし給え。我々はとにかくあそこへ来た蛾と大差のないことだけは確かである。もしそれだけでも確かだとすれば、人間らしい感情の全部は一層大切にしなければならぬ。自然はただ冷然と我々の苦痛を眺めている」
 「ショオペンハウエルの厭世観の我々に与えた教訓もこういうことではなかったであろうか?」
(以上、芥川龍之介「侏儒の言葉 補輯 ある自警団員の言葉」より)

厭世観につける薬──筋トレ・睡眠・萌え

ところが、ショーペンハウアーは現世の無意味さを説いているのとは別次元で、“それはさておき”、生きている人間がいかに生きていけばいいのか? を丁寧に指南していました。形而上学的な世界観と処世術の両者をきっちり後世に残している哲学者などそうそういませんが、ショーペンハウアーはそれを実行している稀なる哲学者なのでした。ショーペンハウアーは、自身の思想が“劇薬”であるとの自覚があったのか、「解毒剤」を残していたというわけです。「解毒剤」とはどのようなものだったのか。具体的に言いますと、なんと「筋トレ」と「睡眠」と「美しい人間を見ろ(もしくはそれをベースとした芸術に触れること)」でした。

 「筋肉をおおいに働かせているあいだも、その後も、脳を休息させなさい」
 「軽度の筋肉活動によって呼吸が増し、酸素の供給がよくなって動脈の血液が脳へ上昇するのを促す」
 「脳には、熟考に必要な睡眠を十分に与えるとよい」
 「健康なときは、全身および身体の各部をおおいに働かせて負荷をかけ、いかなる不都合な影響にも抵抗できる習慣をつけて鍛えなさい」
(以上、ショーペンハウアー『幸福について』光文社古典新訳文庫)
 なんといっても、最も美しい人間の顔かたちほど、これをながめるわれわれに、一瞬何ともいえないような快感を与え、われわれ自身を、否、われわれを苦しめるすベてのものを超越させてくれるものはない。
(ショーペンハウアー『存在と苦悩』訳・金森誠也、白水ブックス)

ショーペンハウアーは「美」について、ゲーテの言葉「人間の美しさを眺めた者は、けっして不幸に見舞われない」を引用し、それは、めったにない諸条件の下に芸術家によってもたらされる、とも指摘しています。

芸術を「萌え」と超訳していいのか? は議論が分かれるところかもしれませんが、筋トレと二次元萌えを掛け合わせたアニメーション『ダンベル何キロ持てる?』(原作:サンドロビッチ・ヤバ子、作画:MAAM、コミックス:小学館)が流行したのは記憶に新しいところです。つまり、ショーペンハウアーは「萌え×筋トレ」の早すぎた先駆者でもありました。

芥川龍之介は果たして「筋トレ」をすべきだったのか?

しかし、もし芥川龍之介が“よく眠る筋トレマッチョマン”であったとしたら、彼の晩年の名作は存在しないことになります。有名なモチーフである「ドッペルゲンガー」も「透明の歯車」も、神経衰弱症状と切っても切り離せないでしょう。「侏儒の言葉」には以下のような文言もあります。

 わたしはある雪霽れの薄暮、隣の屋根に止まっていた、まっ青な鴉を見たことがある。
(芥川龍之介「侏儒の言葉 補輯 鴉」より)

健康的な生活をまっとうすることが正しい生き方だとすれば、神経衰弱に陥って自ら死に接近し、ついには真っ青なカラスを幻視するまでの体験は明らかに“間違っている”でしょう。それでも読者は、いつの時代も芥川の作品の中に「己の歪み」を鏡のように見出し、共感してきました。なぜなら、多少の違いはあれども、人間というものは、少なからず歪んでおり、その“歪み”こそが存在論的な普遍性を持ち得ると思うからです。

音楽でも文学でも、「健康的な、余りに健康的な」肉体には、傑作の魂は宿らないのかもしれません。

<ショーペンハウアー ドイツの哲学者、1788―1860>

ショーペンハウアー

(イラスト:内藤理恵子)

著者プロフィール

内藤理恵子
1979年愛知県生まれ。
南山大学文学部哲学科卒業(文学部は現在は人文学部に統合)。
南山大学大学院人間文化研究科宗教思想専攻(博士課程)修了,博士(宗教思想)。
現在、南山大学宗教文化研究所非常勤研究員。

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