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関係性の追求

あの子とはいい感じにならないの?

なんで彼女いないの?

好きなタイプはどんな子?

ん〜・・・

なんだろうこの違和感。

それが世間的に、社会に認められるという古の時代から早数十年。

いまだにそういう価値観のもとに人間がいるというのもまた事実。

家事をしてくれる人が居なかったら、家を守ってくれる奥さんが居なかったら社会生活ができないというあの時代から結構な時間が経っている。

そして今は、家事をしてくれる人が居なければ、代行を頼めばいいし、料理が作れないなら外食すればいい。

洗濯機に衣服をぶち込んでおけば、仕事から帰ってきた頃には洗濯も終わっている。

価値観が大幅に変わっている。

この人と共に人生を歩みたい、あるいはこの人が豊かになるために自分は何ができるのだろうか?と考えさせてくれるような人。

あるいは、互いに共存して、尊敬し合って、持ちつ持たれつ。親しき仲にも礼儀あり。様々な『自分の足を引っ張らないような要素』というものに着目し出す。

だんだん分かってくる。

『あぁ、そういう存在はほとんど存在しない』と。

みんな大抵自分のことが好きだ。

自分に多くの目が向いた方が必要とされている感じがするので、注目してもらうために結構必死に人の袖を引っ張ってみたりする。

『ねぇねぇ、僕を見て、私を見て』

そこに自分の求めている人生の何かというものは存在しない。

それならわざわざ、交流のある人々に必要以上に関係性を求める必要はあるのだろうか?

そこに、自分や相手に対する幸せというものはあるのだろうか?

そりゃもちろん不幸になります!と言いながらその道に進む人なんて存在しないと思う。むしろ色々考えた結果、幸せになる道を選んだのだ。

ただその道が気に食わなかっただけのこと。

自分でいいと思って決めたので、なんとなくグダグダと文句を垂れるのが恥ずかしいとか思うから、酒の席でたまに愚痴をこぼすくらいに留めていたり。

その辺の真意はわからないけど。大抵の人の話を聞いていたら『結婚は墓場』とか言う人が多い。

自分で選んだ道なのにおかしな話だ。

自ら墓場に向かうなんて余程の物好きか。

いや、そう言うことではない。

みんな自分の幸せ、相手の幸せとは?を考える時間が少なすぎるということ。

そこまで考えていたら結婚や恋人なんてできやしないと思っているから。

だからこれ以上考えてはならんということでどこかで区切りをつけるためにその決断をしている。

大抵の物事は失敗に終わる。

だからみんな失敗したくないので、なるべく安全な方に行こうとする。

でも安全な方ってどっち?とわからなくなった途端に、自分の経験をもとに何かを決断したりする。

そしてその経験はほとんど出鱈目。

仲良くしていたら、『あの人たちなんだかお似合いだよね』と自分の経験をもとに判断する。

いや、そもそも仲良くしているのはそういうあれこれと考える必要もないくらいに自然に対応できているから良いのであって、そこに他人の手が加わることで途端に関係性が破綻していく可能性だって大いにある。

でもそこまでの責任は負わない。

たまに人間というのは無責任になる。

僕は自然と関係が作られていき、そして自然と時間を共に過ごすというのが重要だと思っている。

そんな机上の空論的な何かは世の中にたくさんあり、それは妄想に過ぎないのかもしれないが、そこは捨てきれない。

何事も不自然になった瞬間に終わっていく気がする。

だからいかに不自然さを消していくかと言うのが大切な気がしている。

というのも、もしかしたら不自然なのかもしれないけど。

そう、他人のことはやはりどこか気になりはするのだ。

でもその気になるというのが、自分自身が興味本位で気になっているだけなのか、その人の幸せのその先を気にしてのそれなのか、角度によっては凶器になることだってあるということだ。

それでもなお、それらの人に他人との関係性を追求することはできるかな?

そこを気にするよりも、関係性の構築を気にした方がよっぽど有意義な時間になりそうな気がする。

ある側面から見るとそれはドライと感じるか。

余計なお世話をするよりも、今この瞬間のその人との時間をしっかりと楽しむということが何よりの『自然』な付き合い方な気がする。

またクソみたいな文章を書いてしまった。それでは。

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