2020 0829

午前9時起床。いつも通り。今日は近所の博物館でやっていた「壁に埋もれた男たち展」を見に行こうとしたが、月曜が休館日だということを、到着するまで忘れていて、やむを得ず引き返す。

そういえば、思い出した出来事があったので以下の通り記す。祖母の葬式を行っていた時のことだ。私は当時幼かったので、坊主がひたすらお経を上げていたり、親戚連中がしんみりとただ座っている状態が、最初は物珍しかったが、次第に退屈になっていった。そんな時、ちょうど虫眼鏡(これがどういうわけかレンズも含めてプラスチック的な素材だった記憶がある)があったので、こいつでしんみりしている親族連中を覗くとどう見えるのかな、という興味がわいたので、周囲を見渡した。すると、どういうわけか、坊主も含めてその場にいた親族一同が消えたかのように見えなくなった。お経も聞こえなくなった、空の座布団と仏壇の周囲を見渡すと、驚きのあまり虫眼鏡を外し、その場で立ち上がってしまった。すると、お経が再び響くと同時に、親族一同が以前のまま姿を現した。私は後ろに座っていた親父に、おい、しょも、おとなしく座っとれ、と小さい声で注意を受け、軽く頭を小突かれた。今のは何だったんだ…とあっけにとられた私は、座った後、確かめてやろう、と再び虫眼鏡で周囲を見てみた。今度は、親族一同がぼんやりと映っており、お経も聞こえるし坊主もいるではないか。さっきのは何かの見間違いだったのかな、と思ってふと前列の親戚のおばさんを見ると、ちょうど右肩に、隣に座っていたばあさんがもたれかかっていることに気づいた。このばあさん、具合でも悪いのか?と思ったが、おそらくそういう状態のせいで、今度は隣のおばさんが右肩を重苦しそうにしている。このばあさん、どこかで休ませたほうがいいんじゃないの?なんで誰も介助しないの?と思ったので周囲の大人たちに知らせてやろうと虫眼鏡を外した。すると、さっきまでいたはずの、隣のばあさんが居ないではないか。にもかかわらず、おばさんは依然として右肩が重苦しそうにしている。葬儀が終わった後、件のおばさんは、座っている間、右肩が痛くてつらかったわー、今は何か軽くなったけど、と話していたので、さっきまで虫眼鏡で見ていたことを話した。するとおばさんは青ざめて、それってウチの(死んだ)ばあさんじゃないの…と言ったきり絶句してしまった。

それから、10年か20年後(このあたりの記憶はあいまい)に件のおばさんは亡くなってしまった。肩に腫瘍が見つかり、その1週間後くらいに急逝したらしい。その腫瘍が右肩なのか左肩なのかは、わからないが。聞けばわかることだったが、当時私が学生として遠方で下宿生活をしており、なんとなく疎遠になってしまったので、真相はよくわかっていない。こういった現象のよくある解釈としては、ばあさんの霊が葬儀の場でそのおばさんに、肩に気をつけろよ、という警告を発した、というとらえ方だろう。私は霊だの何だのの怪談の類は好きで、ちょくちょく聞いたり読んだりしてきたが、はっきり言ってその類の存在は信じていないし、そういう解釈もしたくない。憶測だが、この現象への私の解釈はこうだ。まず、虫眼鏡を通して周囲の人間がいなくなったり、また居もしない隣のばあさんが見えた、という現象は、葬儀というものをはじめて経験したが故に、生まれた緊張感がもたらした、幻覚ではないか。実際、葬儀が終わった後、私は結構疲労感があったという記憶がある。そのため、おばさんに腫瘍ができて亡くなってしまったのは、不幸な偶然と言わざるを得ない。しかし、怪談というのはこういう体験を元に、解釈(例:肩が痛くなったのはばあさんの霊の警告だ)を加えることで、組まれていくのだなあという感想をもった。

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