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「パジュランギおじさんと、小さな迷子」

5年前の映画らしいけれども、実はつい先日、noteで素敵な記事を読んで知ったインド映画「パジュランギおじさんと、小さな迷子」。
全国で再演しているとのことで調べてみたら、なんと明日まで!
日曜日に知ったのでぎりぎりセーフでした。
こういうのは母も好きかろうと思って誘ったらクリティカルヒット。
二人で思いっきり楽しみました。

内容は、パキスタンの山に住む女の子シャヒーダーが声を出せなくなったので母親に連れられてインドのイスラム寺院にお祈りに行くものの、ひょんなことから母親とはぐれて一人インドに取り残されてしまう。
そこで出会ったのが、インド人でヒンドゥー教のハヌマーン神の熱心な信者のパワン(パジュランギの愛称)。
紆余曲折あって、そのパワンがビザもパスポートもないなか、パキスタンに入ってシャヒーダーを親元に送り届ける、というお話。

インド人とパキスタン人は隣国だからこそ、かもしれないですが、非常に仲が悪い。
更にヒンドゥー教とイスラム教という宗教の隔たりのある二人なのですが、なにせシャヒーダーは声を出せないので、最初はパワンはインド人のバラモン出身の子と勘違いしています。
それがパキスタン人と分かり、更にはイスラム教徒と分かって「なんてこった!」状態になります。

更に当時、パキスタンと緊迫状態にあったようで、パキスタン領事館に行くとデモでしっちゃかめっちゃか。
そもそもシャヒーダーがパキスタンという確固たる証拠もないのでビザすら下りないので、最終的には不法侵入しながらパワンが親元に返すことになったのでした。

インド映画なので歌ったり踊ったりするのはもちろんのこと、何かと表現が派手。
それだけでも十分楽しめるのですが、何よりも、シャヒーダーがものすっごく可愛い!!!
出てきた瞬間にとろけそうに可愛い!!!
ただ整った顔というだけではなく、本当に愛くるしいのです。また声が出せないという設定なのもよく、可愛い可愛いシャヒーダーが、表情をくるくる変えながらパワンについて回るのがはちゃめちゃに可愛いのです。
「可愛い」しかほぼ言っていませんが、このシャヒーダーだったからこそ、物語をこんなに魅力的にさせているのだと思いました。

物語としてはかなり王道で、大体は予想の通りに進みます。
でもそれでいいのです。
王道だからこそストーリーが力強く、愛によって国境も宗教も国間のいがみ合いも超えていくというメッセージが目いっぱいに伝わってきました。
全体的にコメディタッチではあるものの、最後は涙涙涙で、母は泣きすぎて頭痛くなるくらい…

最後に、私が一番良かったなと思った点を書こうと思うのですが、ネタバレになってしまうかもしれないので、それが嫌な方はここで「戻る」ボタンなりを押してくださいませ。


さて一番良かったと思った点は、インド映画ながらパキスタンへのリスペクトを強く感じたところ。
インドサイドの作り手であれば、インド人の方がまずパキスタン人を受け入れ、それでパキスタン人もインド人を受け入れるようになるという図にしがちかもしれません。
確かに、パワンがシャヒーダーのために国境を超えるというのが”インド人の素晴らしさ”が前提にあるように見えますが、彼はどちらかというと自分が強く信じる宗教に基づいて行動しているところが大きいのです。
本当の意味での宗教・文化の許容はパキスタン人から始まります。

それが、追われて入ったモスクの導師から始まるのです。
異教徒の寺院だからと言って入らないパジュランギに、「モスクは異教徒にも開かれている。だから鍵がかかっていないのだ」と言い、それが物理的な扉の話だけではなく、導師自身も体現しているのです。
パワンをインド人スパイと思っている警察から隠したり、逃亡を手伝うのはもちろんのことなのですが、パワンと別れる時、導師はイスラム教徒の別れの挨拶をしようとします。ところがパワンはそれを拒絶するのですが、それに気分を害した様子もなく、「なんて挨拶をするんだ?」と聞いて、ヒンドゥー教の挨拶「ラーマ万歳」と言って別れるのです。

このシーンにいたく感動したのですが、それをインド映画が描いたということにも、製作陣の平和への想いを強く感じたのでした。

観れて本当にラッキーだった!と思える映画でした。

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