欲望と現実の狭間で鳴る音
こんにちは。こんばんは。
8日目の夜です。
今日は、朝起きた瞬間に思ったことから。
朝、起きて、瞬間、思ったこと。
『お風呂にいきたい。温泉に浸かりたい。朝風呂したい。』
眠気眼で「朝風呂」検索しても…
そうだよね、どこもやってないよね…
やってるわきゃないと思ったよ。思った。うん。
ただ、
えっ!やってるの?
という驚きと共に、この状態で行くべきか行くまいか、半分わくわく・半分罪悪感を感じる感覚を…
って、隣の部屋から「うるせぇ!」って怒鳴りが聞こえて動揺しています。大丈夫でしょうか。
…つづきを…
…味わうような想像をしてしまったんですよ。一瞬。
そして、おっきいお風呂にざっぶんと浸かって、はぁぁぁぁ~~と身体が緩んでいく感覚を想像のなかで味わってしまったんですよ。うん。
だから、人の欲望として、それを叶えたくなるではないですか!(誰に訴えている)
あ、マック食べたい。
と思った瞬間に、厨房の「ティリリ、ティリリ♪」のアラームが聴こえてきて、ポテトのかおりがはっきりと漂ってくるみたいに。
そうしたら「あ、マックいこ!」ってなって、その思いを形にしたいじゃないですか!マックポテトをたらふく食べたいじゃないですか!
(モスもすき)
でも、今はできない…
(マックポテトとモスポテトは食べられるけど)
ふわぁって、頭に浮かぶ光景や身体の欲求が、すぐ形にできない時期。
それが、事や物によって制限されている時期ですよね、今。悲しいかな、今。
だと、その時、できないときに、それがストレスになるのか、鬱憤がたまるのか。
しゃぁないと、悲しみつつも、忘れるか、別なことで慰めるのか代替えをするのか。
やりたいことリストにとりあえずあげとくのか。
色んな選択ができるんですよね。
その時の心の動きを見つめる機会が、今後もありそうに感じる。
ただ、どう感じれば正しいとか違うとか、すごいとかダメだとかはなくて。
自分がどう感じるか、どう反応するか、客観的に見守ればいいんだと思う。
そして、意識的に感じて、することを選べばいいんだと思う。
何を選んだっていいんだ。
それがきっと、後で自分に必要な出来事を運んでくるだけだから。
ただ、そうなると多分、だんだんと自然に溜め込まない方を選んでくるよね。
だって、ストレスためてたら、自分へのダメージが一番でかいから。
多くは、反射的におこなわれる事がおおいから、なかなか気づきにくくて、知らないうにちにストレスや鬱憤をためてしまうんだよね。
なにか起こったら、
気づいて、見守って、感じて、選ぶ。
うん、よし、やろ。
さて、では、今日の私はどうしたかと言うと。
ひとしきり、ちょっとしつこく調べて、
現実を目の当たりにし、
自宅のお風呂にいつもよりあっついお湯をはって間に合わせようかと画策するも、
水道代とガス代の心配をしてケチり、
結局、
いつものさんぽを、
いつもの川原から、車でちょっとだけ走った海の見える芝生と緑が沢山の公園(めちゃ広いとこ)に場所を変えさんぽすることで、
お風呂の思いを昇華させた次第であります。
お風呂の想いよ、また今度ね…
そして、いいさんぽでした。
たくさん携帯でしゃしん撮りながら、海と海の音と、緑と野良猫ちゃんと、朝の空気と太陽に癒されました。
写真、まとめたnoteつくろうかな。
あぁ、なんだか今日もnoteに助けられています。
この一筆書きの時間が、結構自分をリセットさせてくれている。
また明日も、明後日も。
…タイトルの音は、なんかカッコいいっぽくつけていますが、結局「ティリリ♪ティリリ♪」のことです。
ではでは、おやすみなさい。
今日の一曲:「布団の中から出たくない」「なつのうた」 打首拷問同好会♪
(こうぺんちゃんとともに自分をほめたい)
…忘れていた。お隣さんはあのあと、すごく静かになりました。寝言だった、もしくは、解決した、と思って寝ます。
再び、おやすみなさい。
nixhour