![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/60302222/rectangle_large_type_2_bc5d3899c2521f67582f5e90eeb220cd.png?width=1200)
理想を押し付けそうになること
こんにちは!ダイバーシティ、障がい者雇用などの領域でPR/マーケティングをしております、にわと申します。
自己紹介はこちらに書きましたので、よろしければどうぞ^^
今回は、仕事中に感じた「理想のぶつかりあい」について書こうと思います。意外とみんなやりがちだと感じています。
自分では「絶対この方がいいにきまっている」と思っても、なぜか賛同を得られない、うまくすすまない―
そんな方はぜひお読みくださいね。
ここでいう理想
はじめに、本稿での「理想」を簡単に定義してみたいと思います。
今回はあくまで「主観的なもの」「個人の理想」を扱いたいと思います。
社会の共通認識とか、常識とかに興味がある方にはお役に立てないかもしれません。
余談ですが、理想は個々にもっていてかまわないと、私は考えています。
実現したいことも、育ってきた環境も異なるなか、求めるものや形が異なるのは当然だと考えるからです。
人を傷つけるものでなければ、という人もいますが、極端な話をすれば、実際に傷つける行為にでなければ被害はでないという考えもあり得ます。
これに関しては、今回は割愛します。
共通認識
一方、組織、こと仕事においては、共通認識をもっておいたほうがよいものがたくさんありますね。
CIとか、理念、目的やゴールを共有して、相互理解を深めておくことが必要であることは、多くの方が感じていると思います。
そこで、常識だろ?とか、当たり前だろ?正論だろ?と言ってしまう人があらわれると、理解できない人や賛同できない人との温度差が生まれてしまいます。
正論については、松本淳さんのこちらの記事がおすすめです!Visionaryな組織であっても(あればあるほど)個の意見も重視される・・・納得です。
あえて、うちのチームではこれを最適解としよう、とか、この形をゴールとしよう、ということを共有しておくことはあり得ますが、「あなたはこれを理想だと思いなさい」とはなかなか言われませんよね?
もちろん、経営者だけは別ですね。経営者の言い分がワガママになってもかまわない、という意味ではありませんが、やはり仕事のチームにおいては、ステークホルダーの意見も大切ですが、経営者の意見として組織の理想を示されることはあるでしょう。
とはいえ、理想って共通認識ではないのです。
それぞれの人の正義や正しさ、ともいえます。
正義論に関しては、研究室時代にかじったこともあり、長くなりそうなのでこのあたりで止めます。
理想の入り込むスキマ
とはいえ、ある程度仲間やチームでするべきことや目的を共有していれば、個々人の理想で見解がわかれることは、そんなに頻繁には訪れそうにないようにも思えます。
それでも「あの人がこう言ったんだ」「全然相手にしてもらえない」「こうすればもっとよくなるのに、なんでしないんだ」という不満(理想のぶつかりあい)が出てくるのでしょうか。
もしも、組織の体制やマンパワーを整えていても、あるいは整えようとしていても、理想がぶつかりあうとしたら、その一つの理由は
そこに、あなたの権利や裁量がある「ようにみえる」
からではないでしょうか。
裁量があるかどうかではなく、「あるようにみえる」からです。相手がコントロールして、自分がコントロールできないことに対しては、長いこと不満を募らせることはあまりない、という人が多いのではないでしょうか。
手が届きそうで、届かない。
もう一歩誰かが手伝ってくれれば、自分の思い通りになれば、叶うのに。
私は本来、これだけの権利があるはずなのに。なんで認めてもらえないんだ。
私もよく思います。ただし、ごめんなさい・・・
それ、幻想かもしれないですよ。
不確定要素があると、どうしても自分にプラスに働く方向でものを描きがち。
人間は妄想の中で生きている、という言葉もありますが、残念ながら、不確定要素があるからといって、それがあなたの理想をかなえる保証にはならないのです。
相手を説得しようとしてしまう
こうだったらいいのにな~
↓
こうあるべきである
↓
なんで、こうしないんだ
↓
・・・
ここで、相手を説き伏せたり、自分の意見に従わせようとしたり、それもうまくいかないときに拗ねたりしていませんか?
「~べき」という「べき思考」は誰もがしてしまうものですが、そこにがんじがらめになると、却って自分が苦しい思いをします。
ちなみに、私は性格診断などでは「理想家」とは遠いところにいるようで、わりと昔から「自分と相手とはちがう」と考えて生きているところがあります。そのかわり、自分の意見が通らないと、自分を責める傾向もあり、それはそれで苦しいです。
相手を変えるより自分を変えろ、とはよく言ったもので、自分の心持ちを切り替えたほうが手っ取り早いというのもあります。
もちろん、ソーシャルワークなどの専門的なテクニックとして、意図的に介入し、相手の認知や考えを軌道修正していくこともありますし、友人やチームメイトであっても、自分の意見を伝えながら、賛同を促すことはあり得ます。
「納得させる・説き伏せる」と「考えの軌道修正を導く」ことのちがいも曖昧といえば曖昧なのですが、前者と後者の徹底的な差異は
相手が自分の意見に従うことを前提とする・当然と考えるかどうか
ですね。
納得させる行為やかかわりかたって、自分本位です。あなたのためですとか、チームのためですとは言いますが、自分のためなのです。
相手のことを思うのであれば、少々の差異は気にならない、というのもあるかもしれませんね。
多様性と個々人の理想
結局この話は、ダイバーシティに行き着くものです。
相手と自分の考え方や価値観が異なるから、思考パターンも行動パターンも異なるから、少々ちがってもいいや、と思えるかどうか。
結果よければすべてよし、とも少しニュアンスが変わりますが、組織でCredoやビジョンを共有して、行動自体は極端に規制しないという場合も、この多様性の尊重に似ている気がします。
最後にお伝えしたいのは、普段周囲に思いやりをふりまく人が、いきなりどうしたの?と思うほどに自分の理想を訴えてくるとき。
そんなときは、「あなた、自分の理想を押し付けるでないぞ」といきなり断じるのではなく、
ちょっと、あの人余裕がないのかなー
なんて考えてみませんか。きめつけるのも、理想を押し付けるな、という考えも、翻って自分本位かもしれませんからね。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?