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CINEMA memo. Vol,1

『素晴らしきかな、人生』

最近この映画の一部を抜粋したSNSを見てすぐにみたいと思った。
前から見たいとは思っていたけど、心が動いたのはこの時だった。
愛・時間・死 を演じる。
という斬新な発想。
とても奥深くとても素晴らしいメッセージが詰まった映画でした。
何かを伝えるという事において
既成概念に収まっていては伝わらない。
再確認させられた映画だった。
舞台はChristmasなのでこの週末にいかがですか?

Amazonのレビューでとても伝わりやすい内容のものがあったので抜粋します。
※ネタバレ注意!!(内容を知りたくない方は此処からは読まない様に♪)

映画の原題は『Collateral Beauty』。


病院の待合室でたまたま居合わせた見知らぬ年配の女性と母親との会話で娘の死に対して通常なら「残念だったね」とかお悔やみの言葉を言うがこの年配の女性はそれは『Collateral Beauty』だったねと言った。日本以外の視聴者はこれがタイトルと結びついて「ハッ」とさせられる。一番の盛り上がりシーンがなんの関連性もないタイトルで台無しだ。

娘の死は親にとって起こりうる最悪の出来事。自分が死ぬより辛い。でも年配の女性は幾度も最悪の出来事を経験してきたがごとく無感情にそれは『Collateral Beauty』だとつぶやいた。『Collateral damage』「必要な犠牲」という言葉があるがこの場合も『Collateral 』とは必要と訳すのが最も近いかも知れない。『Collateral Beauty』とは必要な美徳と直訳する事が出来る。間違っても「幸せなオマケ」では意味が通じない。娘の死という最悪の出来事でもそれはその人にとって気づく為に必要な事であったと解釈出来る。
母親は言われたときは分からなかったがやがて最悪な出来事を内観(なぜそれが起きたのか自分の心を分析する事)したときに当たり前の日常が実はすべて有難かったと後で気づく。それはある種覚醒ともいえる。

我々もつらい時はある。しかしそれは間違いなくその人にとって必要だから起きていると作者はいいたいのであろう。出来事が最悪であればあるほど気づきも大きくなる。
最悪な出来事が起きたとしても『Collateral Beauty』だと思って対処すれば勇気が湧いてくる。
難解な哲学を現代の寓話という形で描いた脚本にビッグイイネだ。
最悪の出来事を通じて高次、神、仏、天使と呼び方は様々だが実は我々に役者を登場させて気づきを起こさせてるのではないかと深く考えさせられる作品だ。タイトルは残念だが内容は抜群に良い。

ウイルスミスの出てる作品に外れはない。

まさに、このかたの言う通り。
人生にはとても受け入れられない様な事も起こる。
深い悲しみという、辛い事態をどう受け入れていくのかが
その人を創っていくのだろうと思う。
取り巻く人、人生の目的、
キャストもキャラクターも調和して無駄などないと気付かされる。
その一つのストーリーを描いたこの映画。
映像特典の制作秘話までお勧めします。
惹かれた方は是非。


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